知人が、多和田葉子『献灯使』をクィア批評の視点から分析している論考を読む。 『献灯使』で、108歳の義郎は曾孫の世話をしている。両親や祖父母に代わって自己犠牲を払う義郎はイエス・キリストじゃないか、と気づく。 今度の海外旅行のお供は、久しぶりの多和田葉子にしようと思う。
多和田葉子「地球にちりばめられて」再読。 留学中に故郷の島国が消滅してしまった主人公と、言語学者らの仲間と共に母国語を探す旅に出る。 世界観を理解するのに少し時間がかかるが、自国の言葉を大切にしていきたいと思える一冊。シリーズ三部作の1作目として一緒に言葉の旅に出ませんか?
「感性は思考なしにはありえないのに、考えないことが感じることだと思っている人がたくさんいる。」 多和田葉子 2024.2.18 朝日新聞 折々のことば