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図書館でパブリックアートを



Ⅰ 多和田葉子『献灯使』の先行研究をチェックする 


 多和田葉子の『献灯使』(2014、講談社)を読んだ。大災厄の後の日本を描く、ディストピア小説だ。日本は鎖国され、言論の自由はなく、108歳の作家の義郎は、仮設住宅で身体に障がいのある曾孫の無名の世話をしながら暮らしている。彼は秘密裏に海外に赴く「献灯使」のメンバーに選ばれるが…、というのが、ざっくりしたあらすじである。

 他の方はどんなふうにこの小説を読み解いたのかしら、と思い、先行研究をチェックしがてら、26日と27日の2日にわたって、仕事帰りに立川市立中央図書館へ。立川駅から歩いて行けるし、中央図書館だから割と本が揃っていて、平日は20時までやっているから、ありがたい。 

 小川公代『ケアの倫理とエンパワーメント』(2021、講談社)や岩川ありさ『物語とトラウマ: クィア・フェミニズム批評の可能性』(2022、青土社)など、『献灯使』を取り上げている本を読む。小川、岩川両氏とも比較的、自分と年齢が近い書き手だ。『献灯使』の面白さは、過去の文学作品へのオマージュを捧げながら、新たな表現を模索しているところだと私は思うのだけれど、お二人とも、私が感じたようなことは書かれていない。

 文学研究は、先行研究を踏まえて新たな見方を打ち出す必要がある。『献灯使』について私が感じたようなことを他の方が書かれていないなら、論じる価値はあると思った。なあんて偉そうにいうが、私は多和田が本歌として踏まえただろう作品も、ちゃんと読んでいる訳ではない。今、ようやく読み始めたところで、泥縄もいいところだ。
 先行研究をチェックしたとき、ジョージ・オーウェル『1984年』を参照しておられる方がいた。翻訳にはなるけれど、こちらも読もうと思った。
 
 私は研究でパンを稼いでいる人間ではないけれど、先行研究されている同世代の方々を勝手にライバルだと思って、『献灯使』の論文書きを頑張ってみようと思う。

 多和田葉子との付き合いの長さだけは、他の論者の方に負けないぐらい長い。学生時代、論文を読んでくださった先生から、「あなたの言葉遊びの感覚は、多和田葉子に似ている。」といわれ、多和田作品は一時期、かなり読んだ。多和田はドイツ語でも作品を書いており、翻訳の問題からアプローチするのも面白そうだった。でも、ドイツ語はできないし、と思って、彼女の作品について一本だけ書いて活字にしたものの、その後うっちゃってしまっていた。

 一番いいのは、審査のある学会誌に載ることだけれど、要求される枚数に満たなかったり、審査に落ちたりしたら、来年、大学の文学批評の同人誌に載せればいい。同人誌であっても、国会図書館に入るので、先行研究扱いになる。

 なあんて書いてみたものの、肝心の論文をまだ1文字も書いていないので、捕らぬ狸の皮算用もいいところ。戯れ言だと思って、聞き流していただけると、幸いである。

Ⅱ パブリックアートに気づく

 図書館から出るとき、上の階に向かう階階段の壁に、陶板レリーフ(着色した粘土を埋め込んで焼成した立体的なアート作品)があることに気づく。これまで何度か図書館を利用していたのに、目に止めることがなかった。
 タイトルは「文化とやさしさのある街」だそうで、作られたのは1994年、作者は、望月直登さんという方だそう。

陶板レリーフの全貌
本を読む母と息子、かな?
縦笛を吹く男性と横笛を吹く女性
 その前にはピアノも
太陽を見上げる子供たちと両親、かな?
公会堂や図書館なんかを模しているのかな?

 作品が作られたのは、LGBTQなんて言葉はまだ存在しない時代だから、男性と女性という二項対立を自明のものとし、カップルを形成するのは男女であるという前提に立ってはいる。けれど、市民が書物や音楽に親しんでおり、子供たちが上を見上げているところから、未来への希望も感じさせるという点では、図書館にぴったりのよい作品であると思った。
 作者の望月さんについて調べてみると、たくさんのパブリックアートを手がけておられる方のよう。多摩地域にも他にも作品があるので、見に行ってみようと思った。

https://jptca.org/mochizuki_naoto/

Ⅲ 図書館にまつわる思い出 

 立川図書館を出て、ぼんやりと図書館について考えていると、図書館にまつわる思い出が蘇る。

 中学生の頃、徒歩5分のところにある図書館によく通った。3階に自習室があるのでそこで勉強して、勉強に飽きると、1階の雑誌コーナーで「キネマ旬報」をぱらぱらめくるのが楽しみだった。雑誌に掲載されているスチール写真を見て、どんな映画なんだろうと想像をふくらませたり、あらすじを読んで、この映画観たいなあ、と思ったり。父親の方針で家にテレビを置いていなかったから、小説を読んだり、映画を観たりするのが私にとっての最大の娯楽だった。
 図書館では、土曜日に映画の上映会があった。中学1年のとき、父と一緒に小さなスクリーンで小津安二郎の『晩春』(1949)を観て、初めて原節子という女優を知った。私が惹かれたのは、原節子演じる紀子とは対照的な、経済的に自立し、離婚も経験したサバサバした女性アヤ(月丘夢路)だったのだが。

『晩春』で親子を演じる、原節子と笠智衆

 本を読むのが好きだったから、司書の仕事もいいなあ、と思ったけれど、父親のすすめで別の仕事に就いた。

 今でも図書館で働いている友人もいる。学生時代の友人のKさんは国会図書館に就職した。最初は東京で働いていて、途中からは関西館で働いている。同僚の方と結婚され、産休や育休を取りながら、仕事を続けておられる。関西館で働いているとき、同僚に『夜は短し歩けよ乙女』の、森見登美彦さんがいるといっていた。その時点で彼は既に世に出ていたが、後に専業作家になった。 

 Kさんがまだ東京の国会図書館で働いていた頃、彼女の大学院の同級生も働いていた。その同級生は博士課程に在籍していて、働きながら研究も続けて、あっという間に大学の教員に転身した。単著で学術分野の新人賞も受賞している。彼のお父さんも大学の教員だったはずだから、もともと研究に向く頭脳の持ち主だったのだろう。彼は下の名前が森鴎外の本名と同じ「林太郎」だったけれど、名前に負けない仕事をなさっているといえよう。 

 なんだか、あちこちに話題が飛んでしまったけれど、今日はここまで。最後までお読みくださり、ありがとうございました。


 立川中央図書館については、こちらをどうぞ。

 立川は、ファーレ立川にたくさんのパブリックアートがあり、パブリックアートの一大聖地といってもよいぐらいです。お時間のあるときに、散策されてはいかがでしょうか。 


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