【翻訳はチャレンジなら→読書·読解·解釈もチャレンジである】-多和田の誤訳論から-

【翻訳はチャレンジなら→読書·読解·解釈もチャレンジである】-多和田の誤訳論から-

 翻訳とは翻訳者のチャレンジ冒険である。チャレンジ結果が作品の生死をわける。

同様に読書·読解·解釈とは読解者の個性(思い込み)の挑戦チャレンジ冒険である。

 翻訳(読解)とは翻訳(読解)者の作品の解釈。翻訳(読解)者は誤訳を恐れず、常に孤独。翻訳とは文学解釈の究極形なら読解も作者以外の人が作品を読むで誤訳(誤読)になる。

 誤訳(誤読)とは作品読解と同義である。

作品読解は〇×の二項対立で考えない。

語読誤訳という読解プロセス。

誤訳誤読の幅が多いほど文学作品は生き残る。

 作者の意図を深読み妄想するのが翻訳(読解)者。文学とは描かれた情報以外の行間の妄想から成り立つ。翻訳者とは例えば、作品の映画化の脚本家か演出家だそうだ。

 読解者も勝手にではあるが、作品を支える個人的作品の映画化の脚本家か演出家であると言える。

 はっきり言って翻訳は(読解も個人的)二次創作、その成果は「二次的著作物」(読解も個人的脳内二次著作物)。原文を無難に訳して(理解して)も本人以外の他人が作者の意図に沿えるはずがない。

【多和田の月の詩】

※参考→『月の逃走』本文 

Die Flucht des Monds(The escape of the moon)

トイレでひとり歌っていると

月がころがりこんで来た

裸のままで自転車に乗って

暗喩の森を駆けぬけて

月がわたしに会いに来た(…)

 「言葉を比喩という老衰から救う」とは、表現を定番、慣用句という「(腐った)思い込み共有」の世界から抜け出させ、自由な発想どころではない、誤訳を恐れない大胆な誤訳で、『「のような」を脱ぎ捨てて裸で、自転車に乗る月』のメタファーは、「思い込み」監獄の囚人を脱獄させて(脱文脈・脱構築して)【月「のような」不安も月のような憂いも】消してくれて、比喩表現が言葉を「老衰」から救う。

【言葉を比喩という老衰から救う】

 月見ウドンはメタファーで暗喩。

月が自転車に乗るは擬人でメタファー。

松尾芭蕉「月日は百代の過客」は、人生を旅にたとえた暗喩(メタファーMetaphor)。

『奥の細道』冒頭

The months and days are the travellers of eternity.ドナルド・キーン訳を間違っているといってる人はメタファーの意味を知らない。

 月見うどんなら見たまんま月に見え、キツネうどんにキツネ肉はない。

メタファー早分かり  

◯「月見うどん」はメタファー

◯「たい焼」はメタファー

◯「白雪姫」はメタファー

メタファーは、類似性に基づく。より抽象的で分かりにくい対象を、より具体的で分かりやすい対象に《見立て》ること。

物を本来の姿ではなく、別の物として見るという物の見方、何かを表現するときに、別のものに置き換えて表現する技法です。

「擬人法」は、人間以外のものを人間に《見立て》て表現しする比喩で、《見立て》るという点で暗喩、メタファー(metaphor))の一種です。

【補遺的な解説】

△「きつねうどん」に狐は入ってません。

△「赤ずきん」女の子のこと。

△「たこ焼」タコを焼いたモノではない。 

△「白バイ」 白バイ隊員でメトニミー

メトニミーは、換喩。現実世界(民話のような想像世界も含める)のなかでの隣接関係に基づく意味変化である。「赤ずきん」は「赤ずきん」そのものを指すのではなく、赤ずきんをかぶった女の子(赤ずきんちゃん)を指す。「のような」は、間に入る事はできません。キツネウドンはキツネのようなウドンではありません。しかも《見立て》がありません。


【多和田に月(月の実体)が「会いに来た」】

Like the Sun, Like the Moon 

moon-like「のような」を脱ぎ捨てた裸の月が自転車に乗って「暗喩(メタファー·擬人化)の森を駆けぬけて」擬人化も払い除けた、生の月(月の実体)が「わたしに会いに来た」。

ここに、  

◯『日本人でなければ』みたいな腐った価値観《思い込み》の檻に閉じこめられた『月のような』【不安も】 

◯使い古された『月のような』抽象イメージに喚起される【憂いも】

「のような」を脱ぎ捨てた「月は月なんだ」の具体性の力に出逢って消え失せて私は救われます。

【「のような」を脱ぎ捨てた脱構築·脱文脈した、思い込み監獄から脱獄させた月の「月は月なんだ」の具体性の力】

 メタファーの脱文脈化された「感情」の営み感情の「文脈的な理解可能性」を追求しているらしいです。

   使い古された『月のような』抽象イメージに喚起される【憂いも不安も】「のような」を脱ぎ捨てた脱構築·脱文脈した、思い込み監獄から脱獄させた月の「月は月なんだ」の具体性の力に出逢って私の【憂いも不安も】消え失せて救われるのです。

以上 

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