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いつかたこぶねに

小津夜景氏は、ふらんす堂という出版社が主催している第八回田中裕明賞を受賞されており、その情緒あふれる俳句に記憶があった。

あたたかなたぶららさなり雨のふる

言葉の音感、音韻、視覚も含めた表現に驚きと新鮮な感覚に包まれる。
彼女は、現在、フランス在住ということで、私の好きなフランスに在住されたり関わりのあった辻仁成氏や池澤夏樹氏、伊集院静氏とも重なり、興味が強まった。

今回、図書館で彼女の「いつかたこぶねになる日」というエッセイは、あたたかなフランスの海辺の光を感じる日常の光景に、東洋的な漢詩との対比が生まれ、さらに漢詩の訳を自由詩の形で書かれていることでの漢詩と自由詩という対比が深層的に伝わってきて、とても新鮮な感覚に包まれた。

この本で、多和田葉子氏の「カタコトのうわごと」の一節を引用し、以下のように語っている。

この「わたしは、言葉無しで、ものを感じ、考え、決心するようになってきた」というくだりを読むと、ああ自分もそうだと安心する。
(中略)
フランス語も日本語もおぼつかない日々の中でわたしがほとほと思い知ったこと、それは思考とは記号の明瞭な文節がくりひろげるものではなく、脈略の糸のこんがらがったらくがきをたっぷりと含むつつその風景をかたちづくっている、ということだった。

いつかたこぶねになる日より一部引用


大学で哲学を専攻され、漢詩への造詣も深い彼女の考察は、とても深い。
特に「思考が脈略の糸のこんがらがったらくがきをたっぷりと含む」というフレーズは、まさに左脳による論理だった思考形成ではなく、右脳による
海王星要素の多い混沌とした思考状態がイメージされた。

「あたたかなたぶららさなり雨のふる」
中七のたぶららさとはラテン語で白紙という意味の言葉であるようで、それを平仮名でなりと続けた言葉の使い方、そしてあたたかなから下五の雨のふるという濡れたやわらかな感触に包まれるようなイメージが生まれる俳句に
驚くしかない。

タブラ・ラサ – artscape


小津夜景氏の句集とエッセイをそして、多和田葉子氏の「カタコトのうわごと」読んでみたいと思う。


今回もお読みいただきありがとうございました。



タブララサ辞書で調べりラ・フランス

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