やどかり

蓮田隆秀1961.6.16生まれ。noteを始めた日2021.3.8~。映画と読書とツイッターのまとめnoteにしようと思います。すでに三年経っていますけど未だに初心者です。誤字脱字当然のようにあります。ネタバレもじゃんじゃんしてます。それでもいいと言う人だけお読み下さい。

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蓮田隆秀1961.6.16生まれ。noteを始めた日2021.3.8~。映画と読書とツイッターのまとめnoteにしようと思います。すでに三年経っていますけど未だに初心者です。誤字脱字当然のようにあります。ネタバレもじゃんじゃんしてます。それでもいいと言う人だけお読み下さい。

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  • 五行詩は短詩だけど俳句や短歌に比べて規則もないのでもっとも作りやすい詩かもしれない。目指せ五行詩の芭蕉? 五行詩だけでなく他の多行詩も加えました。

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    • 目に菊花詩吟歌えば李白かな

      目覚めるのだけど寒くて起きれない。肩も痛いし。トイレだけがやたら近い。絶不調になったな。風呂入って洗濯しなければ。 昨日は引きこもりだった。休日だったのもあるし、読書は伊藤比呂美『野犬の仔犬のチトー』。「高橋源一郎の飛ぶ教室」で紹介され図書館に予約したのだった。 殺処分になるような人には慣れない野犬の仔犬を動物保護センターから譲り受けて育てた三年間の記録なのだが、伊藤比呂美が野人みたいな人だとおもっていたら、けっこう繊細な神経をしていて、だから宗教的なものにのめり込むのだ

      • ファンタジーはドラクエよりも龍之介地獄絵好きの天国嫌い

        • 脱ぎ捨てた靴下くわえ餌ねだる忠犬はママのもと叱られて

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          シン・現代詩レッスン91

          北村太郎「詩の詩」 『新選 北村太郎詩集』からなのだが、この詩は本文に掲載されているのではなく、政津勉の解説によるものだった。その解説によると四十四歳で急に詩集をだしたのは、やはり例の恋愛事件が発端だったようだ。そのなかで詩とはとか死とはとか、祈りはとか愛はとかいろいろ考えたのであろう。「詩の詩」は詩作における基本的スタイルで、同音異義語(わたしもよく使うが)「死の死」という作品が4篇収められている。それも参考に詩作ということを考えてみたい。 北村太郎の詩は自由詩ではある

          シン・現代詩レッスン91

          奴隷がよ休みもらってよ勤労感謝の日よ

          都市化の最たるところみなとみらいだった。映画を観に行ったのだけど映画も面白くなく疲れて帰宅。今日はダメダメの日だ。昼に句会があるのだが、参加を見合わせようかと思っている。よくわからない句会で即詠は魅力的なのだが、今日は最悪の状態だった。 勤労感謝の日だという。どう感謝せよと。この現実をせっせと作っている人間をか?Netflixで『今すぐ購入」という映画を見ようかと思っているのだが、そんなものを見てもどうにでもなるわけではない。それが社会の仕組みなのだから。それを止めるのは勤

          奴隷がよ休みもらってよ勤労感謝の日よ

          都市化という人工問題(脳化社会)

          『こう考えると、うまくいく。~脳化社会の歩き方~』養老孟司 脳化社会とはヴァーチャル・リアリティを現実だと認識してしまうこと。コンピュータの仕組みと脳は非常に近いという。言語脳を現実だと認識してしまうことなんだろうか。 死に対しての考え方が面白い。一人称の死は自分の死だから、これは経験できない(まれに臨死体験者がいるが)。二人称の死は身内とか親しい人の死で、これはなかなか死を受け入れられない。だから行方不明者など死体がない場合はそこかで生きていると感じる。死体があっても心

          都市化という人工問題(脳化社会)

          シン・現代詩レッスン90

          北村太郎「夏の果て」 この詩も『新選 北村太郎詩集』から。北村太郎の最初の詩集が発表されたのが四十四歳の時で、「荒地派」の中ではかなり遅い。本人はまとめるのに時間がなかったと言うが、それまでは詩集を出す必要もなかったのだと思う。 例の不倫事件で金が必要になったのかもしれない。新聞社を五十四歳で退職するまでは三冊の詩集を出したが退職後は九年間に7冊の詩集を出したという。1986年の鮎川信夫のエッセイではまだまだ恋愛詩を書くと宣言している。北村太郎の詩の特徴は難解な言葉を使わ

          シン・現代詩レッスン90

          シン・俳句レッスン165

          日本短詩形の変態 堀田季何『俳句ミーツ短歌』より「日本短詩形の変態」。 堀田季何が短歌もやっていたとは知らなかったが俳句での約束事の多くに嫌気がさす身としては、堀田季何の俳句を面白く読み、その繋がりでこの本を図書館から借りてきた。 堀田季何は俳句も短歌も短詩形と捉え文字数(音韻数)の違いでしかないという。そこまではなかなか言い切れないがかつての新興俳句では俳句はもっとも短い短詩として考えていた。そこから川柳との境界もなくなっていくのだが、俳句らしさは残していたと思う。そ

          シン・俳句レッスン165

          ボジョレと月を仰いで酒を飲む李白気分で詩吟をかなで

          ボジョレと月を仰いで酒を飲む李白気分で詩吟をかなで

          酒を飲み月を仰いで李白読み詩吟をかなでる週末の夢

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          金網や向こうから顔を出す白い花 《コスモス 》

          白いコスモス。昨日は久しぶりに吟行をしたのだが吟行で上手く読めない。興味深いものを見つけてその感動を詠むというのだが、銀杏の黄葉とか蜜柑とかの黄色が目立ったのにそういう句が読めずに、金網の白いコスモスなら読めそうな気がする。今日の一句。 字余りと季語をルビで処理する。定型にこだわれば花でもいいわけで、季語にこだわるならコスモスという字余りだけど7音だから、それなりに形は出来ている。その形が金網という世界を象徴している。花という顔はその向う側からの世界。いい句だと思うが、頭で

          金網や向こうから顔を出す白い花 《コスモス 》

          三巻本は無駄に長い。中巻を飛ばしてしまった。

          『蝦夷地別件〈上〉』船戸与一 (新潮文庫) 『ゴールデンカムイ』はアイヌと日本人の浪漫が描かれているがこの小説はかつて日本人がアイヌに対して行った虐殺を描いている。映画『シサム』はその前のアイヌの反乱を描いたものだが、そのあとにも悲惨な歴史があったのだ。 北海道が蝦夷地と言われていた時代はアイヌが先住民として居住していたが日本は植民地化するべく荒くれ者の一攫千金の土地としていた。それはチェーホフ『サハリン島』が流刑地であったように、江戸での反乱分子を蝦夷地に送り込む幕府の

          三巻本は無駄に長い。中巻を飛ばしてしまった。

          猿に負け蟹座の君の運勢は歌人とたわむる 砂に埋もれて

          猿に負け蟹座の君の運勢は歌人とたわむる 砂に埋もれて

          望月の欠けたるところ馬鹿唱和

          一昨日の写真だけど一番星が出ていた。金星なのか。惑星と恒星の見分け方がよくわからん。都市部では見られる星も少ないのだが。月だけだな。よく見るのは。月で思い出した。道長の望月の歌の月はもう過ぎたのか。 『光る君へ』もまだ観てなかった。最近は興味も薄れているのだが。 最近アクセス数も減っているのは一日の投稿数が定まっていないからなのだが、日記だといつも一定数の人が観てくれているのでこの数が本当の読者数なのかも知れない。 noteはそういうのを煽るように出来ているよな。数字が

          望月の欠けたるところ馬鹿唱和

          ときには父無し子のように生きてきた 父無し子だけの俺の人生(字余り)

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