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2025/02/02[日曜版]新聞書評を読んで読書の幅を広げる時間〜書評欄は宝の山〜
Clubhouseに於いて、新聞書評欄の本の紹介の開催のお知らせです。
下のリンクよりタイミングの合う方はご参加ください。
チャット、または直接スピーカーになっての参加も大歓迎です。
2025/02/0220時スタート ※約90分間・録音ナシ
「❤️スキ・いいね」ありがとうございます!励みになります。
Clubhouseに於いて新聞書評欄の本の紹介を、ほぼ毎週土曜日に音声ライブ配信。本の選者と私(ほぼツッコミ役)の2人でこつこつ開催しています。
こんばんは、今日は次の本を紹介したいと思います。
2025年1月25日掲載 新聞書評
●朝日(1/25)
「庭の話」宇野常寛著 講談社 3080円
「普通の子」朝比奈あすか著 KADOKAWA 1870円
●毎日(1/25)
「昭和ディープ街トリップ、335カット」明里著 303BOOKS 1870円
「荒木飛呂彦の新・漫画術 悪役の作り方」荒木飛呂彦著 集英社新書 1034円
「ハイパーたいくつ」松田いりの著 河出書房新社 1650円
「80歳、不良老人です。」太田和彦著 亜紀書房 1650円
●日経(1/25)
「シンギュラリティはより近く」レイ・カーツワイル著 高橋則明訳 NHK出版 2640円
「フリーランス農家という働き方」小葉松真里著 太郎次郎社エディタス 1980円
「労働環境の不協和音を生きる」堀川祐里編著 晃洋書房 2750円
「姉と弟」藤原聡(ふじわらさとし)著 岩波書店 2200円
「読まれる覚悟」桜庭一樹著 ちくまプリマー新書 880円
●東京(1/25)
「皇后は闘うことにした」林真理子著 文藝春秋 1870円
「東京降りたことのない駅」本橋信宏著 大洋図書 1980円
「蔦屋重三郎 江戸を編集した男」田中優子著 文春新書 1100円
●読売(1/26)
「朝、空が見えます」東直子著 ナナロク社 1870円
「皇室とメディア」河西秀哉著 新潮選書 2090円
「サッカーで生きていけるか」阿部博一、小野ヒデコ著 英治出版 2420円
「『駅そば』から広がるそば巡り」鈴木弘毅著 交通新聞社新書 1100円
●産経(1/26)
「ロンドンの姉妹、思い出のパリへ行く」C・J・レイ著 高山祥子訳 東京創元社 3080円
その他・追加情報など(※トーク中随時更新)
■書評で紹介した本の関連情報
■参加者からのおすすめの本
■今週読んだ本・多和田葉子
・「地球にちりばめられて」
「多和田さんは1982年からドイツで暮らし、日本語とドイツ語で作品を発表してきた」とある。
最初に思ったこと。だからこそ言葉について敏感な作品が生まれたのだろうか、と読み進めた。現在の日本の国語教育について、本の時間でも何度か取り上げたことがあったの興味を持てたということもある。
きらきらした文章だけれど、何か読み進むなか違和感を感じる。
そして、これは残酷な世界ではないかと気づく。
それが違和感の原因なのだけれど、相変わらす物語はきらきらとしている。
何かに似ている。自分の知っている中で探したら「星の王子さま」だろうか。きらきらしていて話がわかったと思うと、姿を失う。
砂がこぼれ落ちる感じがするお話。
どうやってこの話を書いたのか。手法も気になる。
これもひとつSF小説なのだろうけれど、生々しいからホラーなんです。
セクシャリティについて、さらりといれてくる。そしてへーと、納得させられる。
物語全体について漂う雰囲気は、それは自分にとって幸せなのかどうかずっと自問自答させてくる、良作。
・「ペルソナ」
「地球にちりばめて」を先に読んでいたので、この話はその先達の話ではないか、と感じた。独特な文体。全ての文末が「〜た。」で終わる。
最初はテクニックのない退屈な文面に感じる。
「〜た。」「〜た。」「〜た。」と続くうちに、だんだん肉付けされてくる。
音楽記号でいうところの「だんだん大きく」という感じ。
それに気づいた時にはもう止まらない。
・「犬婿入り第108回芥川賞受賞作(1992年下半期)」
文庫版の表紙より予想してください。
→異類婚姻譚(いるいこんいんたん)とは、違った種類の存在と人間とが結婚する説話
・ 2014年の代表作「献灯使(けんとうし)」について
「未来ではなく、今ある問題がどうなっていくかに想像力を働かせた。現実の問題は、私が書いているより、もっと大きい」
・本屋でハシビロコウがこちらを見てくる「献灯使」
装丁が印象的できになっていた本でした。
・ノーベル文学賞の予想する賭けに名前が挙がる。
「多和田さんは各地で開かれている本の朗読イベントに参加するなど、国際的な知名度は高く、イギリス政府公認の「ブックメーカー」が毎年行っているノーベル文学賞の受賞者を予想する賭けに、2019年、初めて名前が挙がったことで注目されています。」
※多和田葉子さんの本は2023/06/03で紹介したことがあります。
■多和田葉子さんの文体の不思議さについて考えていたところ、
三宅香帆さんのnoteに、ほうほうと考えさせてくれることを書いていてくれた。
私は文章術の本をいくつか出しているが、常に「内容はなんでもいい」と強調することを意識している。昔から。なぜなら、内容はその人のなかにあり、他人が変えられることじゃない。だけど、文体はその人が磨くことができるし、他人によって変えられるものだし、そして文体こそが文章そのものだからだ。文体は読み手によって変わるが、内容は読み手によって変わってはならない。そういうものだと思っている。
だからこそ、批評というジャンルの文体に違和感をずっと持っていた。違和感とは何か。それは、「文体がどう考えても一部の男性を向いているのではないか」とずっと感じていたことだった
そして、文体からその批評が誰に向けて書かれているかについて問われている。なぜ文壇の世界で批評の文体について語られなかったのか。
めちゃくちゃ不思議。
男っぽい女っぽい、はっきりと意識はせずとも、それはその層が読むためにむけれられていることは、感覚的にわかる。そのターゲットへのデザイン。
型にはまりすぎていて、それがお作法として「〇〇しぐさ」のように独り歩きしていたのか。
「いつも決まった一部の読者にだけ向いている文体を変えたい」
「これ、何言っていいるかわかんないよね。」と、本の書評の時間でも時折ある。その本の魅力を伝えきれていないもどかしさ。
批評家の型を破る時期が、遅すぎたけれど来ているのだな。
芥川賞や直木賞で取り上げられる文体と、批評の文体が乖離しつづけないためにも気づいた批評家はラッキーかも。
三宅香帆さんはやはりヤバい。
■終わったあとの私的雑感
今年は2025/02/02の今日が節分。
私は新年よりもこの、節分を1年の区切りとして考えています。
年末年始の慌ただしさより、落ち着いたこの時期のほうが
思考の整理ができそう。新しいことを始めやすそう。
あせらず、ゆっくり、自分の存在を感じて生きていこう。
おしまい。
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