多和田葉子 | 尼僧とキューピッドの弓
多和田葉子(著)「尼僧とキューピッドの弓」(講談社文庫)を読みました。
多和田葉子さんのことを知ったのは、ドイツ語を学び直していた頃です。英語を勉強したからといって、アメリカやイギリスに興味を持つということはあまりないのですが、ドイツ語を学ぶとドイツに関心を持つもののようです。たしか新聞か何かで、多和田さんのことを知ったと記憶しています。
ところで、ドイツ語の参考書を読むと、「一語二想」とか「二語一想」という言葉がよく登場します。1つの単語に2つの意味をのせたり、2つの単語で1つの状況を立体的に表現することを意味します。
「尼僧とキューピッドの弓」というタイトル自体にすでに「一語二想」「二語一想」が使われています。本文と読むと、禅を学ぶために来日したヘリゲルの著書のことが出てきますが、「キューピッド」という言葉には、「キューピッド」というそのままの意味と「弓道」(きゅうどう)の意味が込められています。
この作品は、第一部と第二部に分かれています。2つの部分の話は繋がってはいますが、本文を読み終わったあとに解説を読んでみたら、もともと第一部が単独の物語として書かれたあとに第二部が加筆されたようです。だから、第一部だけを読むという読み方も許されるかもしれません。
どちらのパートも面白いですが、第一部のほうが私は好きかもしれません。
それはともかく、この作品はとてもバランスがいい。分析すれば、「聖と俗」「カトリックとプロテスタント」「日本とドイツ」「東ドイツと西ドイツ」「女と男」「第一部と第二部」のように、対比されているのかな、とは思います。けれども、この物語ではこのような要素が絶妙に溶け合っています。
最初は、作品の内容に踏み込んだ感想を書こうとしましたが、簡単には要約できそうもありませんし、一読しただけではきっと読みとれていないことが多いと思われます。
いずれまた、感想を書いてみようとは思っていますが、今のところ「実際に手にとってお読みください」としか言えません。
感想の代わりに、以下に「尼僧とキューピッドの弓」から数ヶ所引用しておきます。お読みになってもネタバレにはなりません。どんな本かな?、と気になった方は以下の引用を安心してお読みください。
蛇足になりますが、日本人で次にノーベル文学賞をとるとしたら、村上春樹さんではなく多和田葉子さんだと私は思っています。
多和田葉子「尼僧とキューピッドの弓」(講談社文庫)より引用
化学は人の心まで変えてしまう。嫌われる、好かれるというのは、からだの化学変化に過ぎないから、あまり気にしない方がいいということなのかもしれない。そうすると人の本質は気分で変化することのない骨ということになる。でも骨だけになってしまった時にはもう心がない。
(前掲書p94)
わたしは、人間の言葉を忘れて、鳥の世界に遊びたかった。人間の口にする台詞がくどく頭の中を堂々巡りして気が休まらない時、それを断ち切るには、鳥の叫びやさえずりに耳を傾けるのが一番である。
(前掲書pp127-128)
この日のお説教には「天の待合室」という題がついていて、ユダヤ教徒と基督教徒とイスラム教徒の代表が一人ずつ、神様の家に呼び出され、待合室で待たされる話だった。神様の家には、歯医者さんのように待合室があるらしかった。誰が最初に呼ばれるのだろうと考えただけで、三人とも気持ちがおちつかない。いらいらしながら黙って待ち続けた。もう待ちきれなくなって三人とも家に帰ろうかと思った瞬間、神様が三人を同時に呼び入れた。同時に呼ばれたことにがっかりして三人が入っていくと、神様は三人に「待っている間、何をしていたか」と訊いた。三人が「何もしないで黙って待っていた」と答えると、神様は「なぜお互いに話をしなかったのか」と言って怒ったという。
(前掲書p166)
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