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令和6年読書の記録 多和田葉子『星に仄めかされて』

 留学中に消えてしまった島国の母語を探して、仲間と旅に出たHiruko。ようやく見つけたSusanooは失語状態に陥っていた。入院するコペンハーゲンの病院に仲間たちはそれぞれのルートで再集結する。そこで出会ったものとは?世界文学の旗手が、分断を越えた世界の希望を描く、長編三部作の第二弾。

↑文庫版裏表紙より

 中国大陸とポリネシアの間に浮かぶ列島(日本とみられる)から留学してきたHirukoは北欧を転々とし、スカンジナビアの人ならだいたいわかる「パンスカ」という言語を発明しました。

 言語学者の卵のクヌートはHirukoが話す「パンスカ」に惹かれてHirukoの失われた母国の同郷人を探す旅に同行。

 男性から女性へ「性の引越し」中のアカッシュはインド人。トリアーでHirukoとクヌートに出会います。

 ナヌークはグリーンランド出身のエスキモー。クヌートの母親のニールセン夫人の援助でデンマークに留学中、長期休暇を利用して旅に出たところ、日本人に勘違いされ、持ち前の語学力と器用さを生かして鮨職人を演じていたら、ノラと出会います。

 ノラはトリアーの博物館で働くドイツ人。日本人だと思っていたナヌークのためにダシとウマミに関する「ウマミ・フェスティバル」を企画したところ、Hiruko、クヌート、アカッシュがやってきます。

 Susanooは福井出身の日本人。造船を学ぶべくドイツに留学し、紆余曲折経てフランスで鮨職人として働いています。

 というのが主な登場人物。
● Hiruko
●クヌート
●アカッシュ
●ナヌーク
●ノラ
●Susanoo の6人。

 第一弾の『地球にちりばめられて』で既にこの6人は登場しており、続編の『星に仄めかされて』も基本的に章ごとにこの6人いずれかの視点で物語が進みます。※第一章と第十章はSusanooを兄と慕うムンンという人物、第六章はクヌートの母のニールセン夫人視点。

 失語症に陥ったSusanooのもとに全員集結し、やがて言葉を話すようになるSusanooを連れ出し、6人はHirukoの母国があったであろう島へ船旅に出るのですが、その物語は三部作第三弾『太陽諸島』で描かれるらしい。

 多和田葉子さんは2022年12月の毎日新聞のインタビューで、「実用的な会話でもなく、討論会や授業のような改めまった会話でもない『中間の会話』が大事だ」と書いています。(文庫版巻末、岩川ありささんの解説で知る)『星に仄めかされて』でも登場人物がものすごく「おしゃべり」をします。岩川さんの解説にも書いてありますが、おたがいの意見を言いあい、納得できないことや行き違いもあるけど、それでも誰かをはじき出すのではなく、ともにゆく人がいるエクソフォニー、母語の外へ出る旅を誰かとともに行う小説になっています。

 確かに物語のなかでは、感じの悪い皮肉を浴びせたり、相手を否定したりすることはもちろんあるのですが、かといってそこで共感の輪を作り、その輪からはみ出た人を排除し分断を煽るようなことはせず、目的も立場も性別も出身も母語もさまざまな登場人物たちが、やがて船旅をともにすることになるというのは、現代社会における分断政治へのアンチテーゼであるし、旅をするのに飛行機を使わないところに気候変動への想いもあるに違いないし、対話によって展開が変わりゆく様も、我々の生きる世界が失いつつある美しさに思えてきます。

 巻末の解説を読んでそんなことまで考えてしまいましたが、そうやっていろいろ考えなくとも、多和田葉子さんの『中間の会話』から派生する言葉遊びの面白さ、個性的登場人物が、私にとってなじみのないヨーロッパの都市を旅して最終的にコペンハーゲンの病院に集結していく展開はロールプレイングゲームのようで楽しい。多和田葉子さんの小説を読むたびに母語の外へ出る旅がしたくなります。『太陽諸島』を読むのが楽しみですが、『太陽諸島』を読む前にはもう一度、『地球にちりばめられて』と『星に仄めかされて』を読み直したい。

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