真空ジェシカと多和田葉子
多和田葉子さんの文章をはじめて読んだのは高校生のとき。赤本の国語を解いていると、多和田さんの『雲をつかむ話』が引用されていた。今までに感じたことのない質感をその文章に感じて、すぐ好きになってしまった。私にとって国語の時間は良い本を探すための時間だった。
この言い方が正しいのか分からないが、ストーリーを描きながら、実は言葉そのものを描いているような印象が多和田さんの文章にはある。
時はたち去年の暮、『地球にちりばめられて』を読んだ。本書には言葉の喪失と獲得が描かれている。そしてそれは人物間の関係性の喪失や獲得でもある。言葉を描くこととお話し描くことがかみ合ってぐんぐんドライブしている。登場人物たちは、そして読者である私たちはそれにのってどんどん進んでいく。伝えたいことをどうにか伝えようとしたとき、あるいは分かりたいことをどうにか分かろうとしたとき、そこに言葉が生まれる。そんなことを感じる本だった。わたしは言葉を扱うのが得意でない方だが、それでも(だからこそ)言葉に興味があり、好きだ。この本を読んでますます好きになった。
「真空ジェシカのラジオ父ちゃん」というポッドキャストがある。御存じの方も多いと思うが、お笑いコンビ真空ジェシカの川北とガクによるラジオである。このラジオのとある回に言葉を失うこと、そしてそれを取り戻すことが描かれている。「♦152【本編】封じられたガク」である。
知らない人はぜひ聞いてみてほしい(これからネタバレを含む)。「みんなで!韻豆!」というコーナーの最後にそれは起こる。ガクが言葉を失うのだ。罰ゲームとしてア段とイ段以外を禁じられてしまう。最初は手探りに声を発するガク。
不用意に”見る”といってしまい、相方の川北から「みるダメ!」と、怒声を浴びたりする。しかし時間が経つにつれ徐々にア段イ段だけでしゃべるようになっていくさまは、ありえないくらい面白い。喋りたい、喋らなければいけないという意志と音の剝奪がぶつかり合い拮抗するそのさまに、伝えるという行為の本質が浮き彫りにされている。などという理屈をこねる必要がないくらい面白いので聞いてみてぜひ聞いてみてほしい(Spotifyなどで聴取可能)。お笑い芸人の技術を感じられ、お笑いファンとしてもとても楽しい気分になる。
多和田さんの本と真空さんのラジオに通底する面白さ(言葉の喪失・獲得)を感じたので書きました。最後まで読んでくださりどうもありがとうございます。
おわり