Ao Nosaka
好きなことを100個集めてみました。番号はランキングではありません。
2024.10.26晴。仕事。とうとう1ヶ月近くも空いてしまった。こうやって日記はその生涯を閉じていくのだな。しかしこの日記は殺したくない。粘って書き続けたい。とにかく仕事の毎日で体がきつい。肉体のコンディションに自分の全てがひれ伏している。 今さらなんでよと自分でも思うが、BTSのダイナマイトを好きになる。曲もダンスも最高で、イントロを聴くたびに喜びのスイッチが入る。メロディ、歌詞、ブレイクの各フレーズがキラキラと迫ってくる。ドーナツの上にまぶされたカラフルなスプレーチョ
2024.9.30。曇り。休日。またしばらく振りの日記になる。書きたい事が無いから書けないのではなく、何となく書く気が起きないだけだ。しかし書きたい欲求だけはいつもあって、さあ書こうと思い日記のアプリを開くと思考がフリーズしてしまう。毎朝30〜60分、仕事前にカフェで読書をしているが、その時も書けないことが多い。死に損ないの言葉が便秘のように溜まっていて、心の内部で悪臭を放っている。 深夜2時。日中に本寝してしまったので、このまま起きていることにする。久しぶりに冷房を止め、
2024.9.22。雨、仕事。薄くなった頭髪が雨の水分を吸ってしなり始める。スーパーハードのスプレーも何のその。早朝に立ち上げた努力も虚しく、出勤直後には美しい開脚のようにペタンと体が地面にくっついているのと同じ状況だ。いっそボウズにしてしまえばいい。自分の若い頃とは違ってオシャレボウズも存在する。太めのセルフレームに変えて、クリエイター気取りでイメチェンでもすればいい。 髪型っていうのは大抵が自意識過剰な細部にこだわるが、側から見たら大差ない。パートナーがいる時に何度も聞
2024.9.21。昨日の日記を今日の早朝に書いている。すき家、6:30、雨。2組の若いカップルが元気に飯を食っている。ラブホ街のど真ん中の牛丼屋で。懐かしい景色。今も昔もやる事は変わらない。若いエネルギーの美しさ。 前のパートナーが使っていた言葉やフレーズが自分の中に残っていて、新しいパートナーとの生活でも使うことがある。いつかの彼女は『お休みなさい』の挨拶を『みんこっちゃーん!』と言っていた。その節回しが面白く愛らしいので、すぐに自分も使うようになった。このフレーズが彼
2024.9.10。今日も仕事。クタクタの汗だくだった。体中の塩分が結晶化してキラキラするほどに。もし汗の結晶だけが鉱物のように美しく光るとすれば、夏の夜はキラキラした人ばかりが歩いていてさぞ美しいことだろう。特にエッセンシャルワーカーさんたちは汗の量もおおいだろうから、その分美しさが際立つことになる。可視化された仕事量に人々が尊敬の念を送り、それがコインとして勝手に貯まる。そんな妄想を退勤後のバスの中でうとうとしながら。 知らない人のnoteを読むこと。主に日記。情報はい
2024.9.9。休日。今日はずっと室内に留まり、久しぶりに本を読んでいた。深く集中して物語の醍醐味を堪能する読書まではいかなかったが、様々な本を拾い読みしてはノートに書きつけたり、そこから新たな思考が始まって過去の記憶を遡ったりしていた。合間に家事を行い、食事を作ったりしていると、あっという間に夕方になっていた。時間割のない一日はどうしても間延びする。それを無駄ととるか、時間とともにストレスも溶かせたからよしとするか。答えは出さずにただ受け止めておく。 昨日、夜空いてる?
2024.9.6。3連休の真ん中、まだ体が戻らない。あと一日あるので何とかなるだろう。ここまではできるな、という想定を下方修正する。歳を重ねるということは下方修正し続けるということだ。自分を観察、調整、納得させながら、できないことを数え上げていくこと。それは切ないことだけど、現実的にそうせざるを得ない。心と体の乖離がそれを邪魔する。まだまだオレはいけるだろ!という心の叫び。フンフンッ!と鼻息を荒くして。 草彅剛のドラマ、戦争シリーズを見直しているが、本当に面白い。悪の描き方
2024.9.5。仕事に復帰してからクタクタの毎日が続いている。落ち切った体力を戻すのは本当に時間がかかる。少しづつでも続けていくという継続性の大切さを身をもって学んでいる。あと一カ月あれば、元通り近くまで戻せそうだ。コミュニケーションの方は問題なく元に戻った。あとは体だけ。 悪い習慣というのはすぐ身についてしまう。体力的に、一日おきに仕事場に行っているが、回復せず休みの日もグッタリしている。体は疲れはてているが頭は元気だ。しかし本を読んだり映画を観たりするのは負担が重い。
2024.8.29。復帰して数日、やはりフルタイムで働くのはハードで、仕事が終わるとグッタリして何もできなかった。久しぶりの日記になる。特に2日続けて出勤した日がひどかった。帰りの最寄駅でついに一歩も動けなくなった。足は何とかもったが、腰がヤバすぎた。100kgの重りが下半身についてるのかと思うくらいに全く動かない。おそらく一日中足をかばって動いていたので、全ての負荷が腰にきたのだろう。この歳まで腰痛もなく、自分は大丈夫な部類だなとたかを括っていたが、そんな事はなかった。手す
2024.8.23。自宅療養131日目。6:30起床。少しづつ睡眠時間が延びていて嬉しい。ショートスリーパーだからと自分を規定していたが、睡眠時間は8時間がベストで、それ以下でも以上でもよくないらしく、なるべく8時間に近づくようにした。やり方は簡単で、寝る前に明日は何時に起きます!と強く願って寝るだけ。潜在意識に命令を出してあとは放っておく。多分効果はあるはず。 自分一人のために料理を作るのが本当に億劫で、また簡易的な食事になっている。気づけばパスタばかり食べていた。菓子パ
2024.8.22。自宅療養130日目。7:00起床。昨夜からようやく素足で寝る。怪我してから5カ月、靴下やサポーター、保護具などを必ず装着していた。くるぶし周りの皮膚はとても薄く、骨をつなぐ鉄板やボルトが浮き出ているから心配だったのだ。ちょっとした寝返りで足をぶつけて皮膚が裂けてしまわないか、寝てる間に無意識に掻いてしまい、手術痕の縫い目に沿って破れてしまわないかという不安があったから。起きてみれば問題はなかった。またこれで日常に近づいた。 終日本を読んだり書き物をする。
2024.8.21。自宅療養129日目。5:15起床。昨日投稿した日記の前にひとつ書いた記事があって、それは他人が出てくる極個人的な記録だった。公開したところで理解も共感もされないだろうし、出してもたいした反応はないだろうから出しちゃおうかなと思ったのだが、ギリギリで思い留まった。多分、人には、心の奥底で眠らせておいたほうがいい体験がある。ふとした弾みに浮上してくるのだが、その誘惑に負けてはいけない。おそらくその記憶を、人目に晒すという形で解放したいのだろう。晒して薄めて自分
2024.8.20。自宅療養128日目。6:00起床。季節の手触り、街の風景の変化、日常の雑事、外気への反応、路地での小さな発見。日々の肌理を味わうには精神が鈍感すぎて役に立たない。何かをしようと思い巡らすときに、まずお金がいくらかかるか計算するのは普通だろうが、お金を使わないと決めると、途端に選択肢が狭まってしまう。お金を使うということは、誰かの、何かのサービスを受けたり、モノを手に入れることだ。つまり、人生のほとんどは、人が用意したものを手に入れて生きている。それが何だと
2024.8.19。自宅療養127日目。4:00起床。寝起きは普通。気持ちの揺らぎ、その幅も少ない。とにかく体を動かしてしまおうと、立ち上がって水を飲む。そのままゴミをまとめて玄関に置く。椅子に座り煙草を一服してから瞑想。5分だけだが、体内時計がシンクロしてきた。ストップウォッチで計る。今日は4:58秒でほぼピッタリ。ご飯を炊いて朝食。今日も外に出れそうだ。 昨日失敗したノートが恋しくなって、再度買いにいく。バインダー化はあきらめて、ノートとして使うことにする。誰しもが愛用
2024.8.18。自宅療養126日目。6:00起床。 ここ数日、気持ちが低空飛行しており、日記どころではなかった。簡単な日課だけを何とかやりきり、後はずっとドラマばかり観ていた。受身のまま、寿命を削られるがまま、時間を溶かし、料理すらろくにせず、ほとんど食べることのなかった揚げ物ばかり詰め込んでいた。 精神と肉体、それぞれにエネルギーのゲージがあるとすれば、精神はゼロ、肉体は50%といったところか。心と体のバランス、とはよく言われる言葉だが、本当にその通りだ。体が元気であ
2024.8.13。自宅療養121日目。7:00起床。昨夜はぐっすり眠れた。北枕のままだが、エアコンの風量を強くしたからそのおかげか。睡眠時間も8時間と長い。普段は4〜6時間で、アホみたいに働いていた30代の頃は4時間のショートスリーパーだった。しかしあの熱狂の日々は何だったのだろう。いま考えると気狂いじみていたなと思う。 朝からルーティンをこなす。書き物と読書も含まれているので、頭が活性化する。それにつられて体もキビキビ動く。仕事をしてないのでゆったりこなしてはいるが、そ