kuwanya

文章のようなものを書きます。

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マガジン

  • おくゆかしい日々

    できるだけ毎日の日記

最近の記事

「プライベースに乗らずに」【9月19日(木)】

 木曜日は仕事で京都へ行く。だから阪急電車に乗る。  接続詞がおかしいな。別に京都に行くのに阪急に乗る必要は必ずしもないんだけど、今の俺の通勤ルートとして阪急を使う。まあ、そういうことだ。  俺は何せ奈良県のベッドタウンの出身であるから、近鉄電車に洗脳されて青春を過ごした。  この世に電鉄会社というのは近鉄とJRの2つしか無く、JRが一時間に一本しか電車が来ないのに対して、近鉄は二十分に一本もの高頻度で電車が走っているという、現代文明最先端の利器であり、近鉄沿線に居を構え

    • 「イヤホンとおじさん」【9月18日(水)】

       エアーポッズていうんですか?  あの、白いワイヤレスのイヤホン、出始めの頃はうどんが耳から出てるみたいでダサい、と言われていたのに、あっという間にワイヤレスイヤホンの定番顔でのさばっている、世界の多様化を妨げている悪徳企業の作ったアレ。  アレをね、装着したまんま働いているアルバイトの事務スタッフがいたんですよ。    俺ってば、ちょっと面食らっちゃって。  あれあれ?休憩中なのかな?まあちょっとした休憩時間にでも好きな音楽聴いてリラックスしたいのは分からんでもないし、

      • 「善意あるいは人間性の押し付け」【9月17日(火)】

         仕事終わりに珍しく仕事仲間と飲みに行く。  飲みに行く、と言っても俺はゲコゲコの実の能力者で一滴もアルコールを入れないのだから、あまり精確な言い回しではない。  さりとて、飯を食いに行く、と言おうにも、22時を回ってからふらっと入る安居酒屋で食うもののことを、そんな高尚な語で言い表すのは憚られるから、まあ有り体に言うとお喋りをしに行ったのである。  俺はだいたい誰とお喋りしていても口調も態度もあまり変わらない社会不適合者であるのだが、最近はすっかり名実ともにおじさんに

        • 月に願いを込めて綿毛を飛ばします

           流石に綺麗すぎるだろう。  嘆息して検索してみるとやはり中秋の名月だった。  そうした細やかな喜びを、月をこよなく愛した君に伝えてみたくなるのだけれど、君がまだ俺のよく知る君でいてくれているのなら、こんな美しい月を舐め回すように愛撫しているだろうから、わざわざ声を掛けるのは野暮というものだろう。  それでも綺麗な月を見て思い出す人がいるというのは、俺の人生の大切な喜びの一つだから、こうして電波の空に綿毛を飛ばそう。  願わくば、東の空も晴れていますように。  

        「プライベースに乗らずに」【9月19日(木)】

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        • おくゆかしい日々
          10本

        記事

          「乾燥に対する乾燥」【9月16日(月)】

           あれ?9月15日(日)の分書いていないな。まあ日曜は日記おやすみということにしておこう。そうやって目標とかルールとか、適当に緩和していけばいいんだよ。俺の人生なんだから。  俺は毎年結構たくさんの学年の授業を受け持っていて、対象の年齢や学力に応じて扱う知識に差は設けるけれど、口調だったり余談の内容だったりについてはどのクラスでもだいたい同じ感じで行う。別に大層な信念がそこにあるわけではなくて、単に不器用で態度やトークを使い分けられないだけである。  しかるに、クラスとい

          「乾燥に対する乾燥」【9月16日(月)】

          「めでる」【9月14日(土)】

           47分。  俺が今日ムギコちゃんを愛でていただけの時間である。  テレビを観ながら、食事を摂りながら、寝付きに入りながら、ではない。  ただ、愛でる。  物言わぬ犬畜生に二言三言かけながら、耳を、顎を、腹を、撫でたりさすったりする。  それだけで、47分。  週のうち最も忙しい土曜日をそうやって過ごしている。  そういう非生産の喜びを抱いて今日も生きる。

          「めでる」【9月14日(土)】

          「おやすみ」【9月13日(金)】

           金曜日は週に唯一の休日である。  まるでたくさん働いているかのごとき書きぶりてあるが、朝から晩まで一日中働いている日というのがあまりないから、総労働時間は一般的な社会人に比べれば取るに足りない量である。夕方から働きに出て日が変わるより前に帰宅する、というような日ばかりだから、ほとんど毎日が休日のようなものであって、休日だからといって、それほど変わり映えがするわけではない。  それでも、休みの日は何をして過ごしているんですか、と問われることがあるのだが、これにはどうも返答

          「おやすみ」【9月13日(金)】

          「国益」【9月12日(木)】

           木曜日は仕事で京都へ行く。だから、京都のことを書こう。  京都人というのは長年謂れのある偏見に苛まれている可哀想な連中であって、やれプライドが高いだのやれいけずだのと全国民からネタ的に消費され続けている。いくら謂れがあることとはいえ、「政治的な正しさ」を錦の御旗のように振り回す魑魅魍魎が跳梁跋扈する現代社会において、県民性・府民性のごとき幻想に基づく差別的な意識を煽りたてる言動は一般には慎むべきであろう。  しかしながら、奈良県民だけは京都府民のことを妬み嫉む正統な権利

          「国益」【9月12日(木)】

          「一億総吸血鬼時代に」【9月11日(水)】

           都会のど真ん中の車線が十本以上走っているような巨大施設のそれとは違って、専ら通勤通学客の始発駅としてのみ用いられるような多くの普通の駅というのは、一度半地下に潜って改札を通り、半屋外のホームで電車を待つという構造になっていることがほとんどであろう。  そうした構造の駅では、夏の日差しの強烈な頃になると、暴力的な太陽の光と熱を避けようとして、電車が来るギリギリの時間になるまで半地下の部分に身を潜める人々が列をなしている光景を目にすることがある。  少し前までは、そうした破

          「一億総吸血鬼時代に」【9月11日(水)】

          「あるいは兼好イズムか」【9月10日(火)】

           月見バーガーってさー、何か秋の定番みたいな雰囲気醸し出して、いつのまにかマクド以外のファストフードも月見◯◯って商品を出してるけど気に食わないよねー、いや、月見そばに倣って、ハンバーガーの中にも月に見立てた卵を入れるってのはいいし、実際ハンバーガーのパティと卵の相性抜群だから、味もおいしくって、実際私も毎年買っちゃうんだけど、だってバンズで月を挟んじゃってるじゃん、それじゃあ月は見えねえよ、何が月見バーガーなんだよって気がしてモヤモヤするじゃん、え?現代人で実際にお月見して

          「あるいは兼好イズムか」【9月10日(火)】

          「調子はどうだい」【9月9日(月)】

           車のメンテナンスでディーラーに向かう。  俺の担当はT君という20代半ば頃のイケメンで、不慣れさの中にも誠実さがにじみ出てしまう類の好青年である。いかにもマダム受けしそうな人となりだが、若いイケメンを好むのは淑女限定の嗜みではない。俺のようなおじさんだってグッドルッキングガイは拝みたいものだし、若者が成長していくさまを眺めるのは無上の喜びである。 「おはようございます!桒野さん、お待ちしてました。調子はどうですか?」    到着するなりT君は車の側まで駆け寄ってきて、

          「調子はどうだい」【9月9日(月)】

          西田幾多郎のことば

           書籍全体の趣旨やら構成やらとは全く無関係に、俺はこの一節に出逢うためにこの本を手に取ったのだ、と確信してしまうことがある。  そうした稲妻に貫かれたような旋律の経験は、失恋や旅立ち、あるいは童貞喪失のような、俗に劇的とされる種々の経験などとは比ぶべくもない衝撃と感動をお見舞いしてくれる。この一文が光って見えたのなら、もうそれだけで俺の人生には十分に価値があったと胸を張って言える。そういう力が、読書にはある。  冒頭の一節はそうしたものの一つである。  何の変哲もない内容だ

          西田幾多郎のことば

          付和雷同するや、健やかなるべし

           よくできた対偶の例ですね、などと軽口を叩こうものなら袋叩きにされて燃やし尽くされる。社会がそうなったのか人々がそうなったのか俺には知る由もない。ただ、事実はそうなっているのだから世の趨勢には逆らわず付和雷同を決め込むのが社会人の嗜み。せいぜいラジオの枠が一つ空きましたね、と事実だけを述べて皮肉をにじませるにとどめるのがスマートな処世術というものだろう。  東京都知事、始球式で骨折、全治二ヶ月。  事実は小説よりも奇なり。という諺があるそうだが、ただ事実を羅列しただけの見

          付和雷同するや、健やかなるべし

          激ウマインテリギャグ

          口をangryさせる 呆れ果てつつ怒っているときに。 「いってきますらをぶり」「いただきますらをぶり」 ミソジニストめ!と煽られたいときの挨拶に。 「ありがとうございましたをやめぶり」 ミサンドリストめ!と煽られたいときの挨拶に。 「そんなやつインノケンティウス!」 ジョン王の愚策に驚いたときに。または、月を煽りたいときに。 グロタンディーク画像 よく見たら全然グロくなかった画像に。 眠そうにしている人に対しておもむろにクロールを泳ぐ仕草を見せつける 「

          激ウマインテリギャグ

          ゾンビを巡る覚書

           平成末頃に書き残していた文章をそのうち書き直したいのでメモ代わりにここに写しておく。  ゾンビとは不明確な存在である。実体として不明確ではなく、観念として不明確である。    ゾンビについて論じる前に、死者一般について確認しておくべき点がいくつかある。  まず、我々は死者を恐れる。死そのものを恐れると同時に、「死んだ(でいる)者」を恐れる。我々が死そのものを恐れているのは、自明なこととして、本稿では詳細には論じない。ただし、我々が抱く死への恐怖が、「生の喪失」に対す

          ゾンビを巡る覚書

          「死喰い人」と書いて「ホモ・サピエンス」と読む

           死体が、より精確には、死体の断片が盛られている。  小洒落た店内の小洒落た皿の上に小洒落た料理が盛り付けられている。薄く切られた生ハムはまるで花びらのようにあしらわれ、その周囲には色とりどりの野菜が様々に象られて配置されている。素晴らしい食事というものは、舌に楽しく鼻に麗しいのみならず目の保養ですらある。肉の焼けるじゅうじゅうという音は耳を喜ばせ、咀嚼の楽しみもまた食事の幸福には欠かせないものだ。毎日欠かすことのない営みの中で、食事ほど五感を働かせるものを俺は知らない。

          「死喰い人」と書いて「ホモ・サピエンス」と読む