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異國で暮らす作家


先日、小津夜景氏のエッセイ集に触れて、小津夜景氏の「カモメの日の読書」そして多和田葉子氏の「カタコトのうわごと」を図書館で借りて読んだ。

いつかたこぶねに|junchan (note.com)

いずれも異国で暮らす女性作家のエッセイ集であるが、小津夜景氏の方はやはり漢詩に小津夜景氏が自由詩に訳し、その漢詩をふまえたフランスでの日常の出来事を綴られており、形式がとても気持ちがよい。
いつかたこぶねの投稿でも触れたが、漢詩という硬いイメージを自由詩でひらがなが多い文体で訳されている対比感に加えて漢詩という東洋的な形式とフランスでの日常の様子という相反するような組合せにとても新鮮なものを感じる。

小津夜景氏が引用されていた多和田葉子氏のエッセイはドイツのみならず、あちこち旅行されて出会った人やものに関して三章に分けて描かれている。不思議なことに各章の最後は、突如、それまでの文体と変わり、大きなフォントでひらがなが多い童話のような詩が添えられており、小津夜景氏の漢詩と自由詩との対比という点でも共通点があり、とても興味深かった。

その2冊を平行して読んでいたら、須賀敦子氏の「こころの旅」という本の背表紙が何となく気になり、読んでみた。
須賀敦子氏はイタリアでの暮らしの様子や幼少の頃の日本での出来事が語られているが、昭和4年生まれで、私の母よりも5歳年上という年代。
小津夜景氏、多和田葉子よりも世代はかなり離れていく。
文体もさすがに格調が高く、品が漂う内容である。
私も年をとったせいか、昭和の時代の作家の文体にその時代性や情深さが感じられ、読んでいると穏やかな気持ちに包まれる。

奇しくも須賀敦子氏も異国で暮らされ、やはりエッセイの途中に突然、横書きのある一日の日記が登場したりする。
たまたま同時期に読んだ女性作家のエッセイが、異国で暮らされ、形式を変化させて予定調和で終わらない表現形式に共通する要素があり、その繋がりに不思議な感覚に包まれた。




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