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シン・現代詩レッスン115
多和田葉子「わたしだけの本棚」
『現代詩手帖2024年1月号』特集「現代日本詩集」から多和田葉子「わたしだけの本棚」。多和田葉子の詩が面白かった。もともと小説の方ではファンなのだが、デビュー作から結構ファンで読んでいる。ただ詩を読むのは初めてだった(もっとも小説でも詩みたいな感じでもあるし、彼女は朗読が好きだった)。架空の本棚という題名だけがづらづら並んでいるだけの詩なのだが、ありそうでないだろうという世界なのだ(ボルヘスの図書館を連想させる)。もしかしてドイツ語の本をお茶目に日本語に翻訳したのかもと思ったが、それにしては日本社会についての本のようにも思えた。こういう詩は自分でもやってみたくなるものだ。何かきっかけを与える言葉というのは重要だ。
わたしだけの本棚
背表紙たちは それぞれが
それぞれのやり方で
わたしに背中お向けている
彼らの冷たい文字が
時にわたしの心を
沸き立たせることもしらずに
擬人法ですね。擬人法は下手にやるとダサくなると言われているが、本の背表紙を背中を向けているという表現が面白い。彼らの冷たい仕草。逆にわたしは彼らを知りたいと心を沸き立たせる。ストーカーですかね。
「我が国おける小指の痛さ」
「落ちこぼれた動物たち」
「昭和のバベルとバブル」
「考える消しゴムたち」
「ニシンの意見、サバの見解」
まあ、こんな具合に続いていくのです。それぞれの題名は何かを暗示しているようで面白い。「小指」は子供とか、「おちこぼれた動物」は人間だろうとか、海水汚染については「ニシンやサバ」の主張も聴かねばとか。さらに、どんどん続いていく。読んでみたい本は、
「「ぶれ」と「かぶれ」の民俗学」
「忠犬ハチ公の甥」
「すべる言語学」
「ハイデッガーのおやつ」
「毒殺の文化史」
「ぶれ」と「かぶれ」は共通点がありそうな、なさそうな。「忠犬ハチ公の甥」は知らざれる文豪の小説かもしれない。「すべる言語学」は心理的要因とか。「ハイデッガーのおやつ」はカールではないよな?「毒殺の文化史」は毒女かな。
あらいざらしのカーテンを開けると
文字たちが
光の中で崩れる
夢だったのかな。「光の中で崩れる」がいい感じです。自滅していくのかな。
天井裏の図書館
孤独死した老人の天井裏から
怪しい本が出てきたのだ
これを買い取るもの好きはいるのか?
どれも禁書のたぐいかもしれない
「2025年谷川俊太郎詩集」
「パレスチナ国家の秘密」
「地下水道の新興俳句の世界」
「前衛短歌攻防史」
「ふてほど辞典」
「村上春樹ノーベル文学賞受賞講演録」
「小池さんのラーメンレシピ」
「日本銀行とチリ紙交換」
「ヤンキー・ゴー・ホームレス家族」
「父無し子狼」
天井裏の蜘蛛の巣は
それらの本を守っていた