ただいま作品募集中です!

#想像していなかった未来

挑戦や努力から学んだことや、昔の自分では想像できないいまの自身の姿など、あなたの「想像していなかった未来」ついて教えてください! 11月27日まで 【賞】グランプリには10万円分のAmazonギフトカードなど、合計10名にプレゼント!

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  • マイナビ×noteで、投稿コンテスト「#想像していなかった未来」を開催します!

参考作品

参考作品

マイナビからのメッセージ

マイナビは、「一人ひとりの可能性と向き合い、未来が見える世界をつくる。」をパーパスに掲げています。
マイナビは皆さんが未来へ向かうときの「ナビゲーター」でありたい。
だけどそもそも「皆さんが見たい未来って、どんなのだろう…」そんな疑問が浮かびました。
未来は誰にも予測できないものかもしれませんが、少なくとも怖いものだとは思いたくない。
未来に対して不安ではなく期待を抱くようなきっかけになれば、とテーマを考えました。
過去の自分が想像していなかった未来に今立っている自分を見てみると、
この先の未来も何でも乗り越えられる気がしないでしょうか?
この先が楽しみになるような、そんなコンテストになればうれしく思います。
みなさんの作品を、心からお待ちしております。

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マイナビ×noteで、投稿コンテスト「#想像していなかった未来」を開催します!

いまの自分は、過去の自分の延長線上にあります。 思い切ったチャレンジや、積み重ねた努力、あるいは、何気なく続けていた習慣によって、過去の自分からは想像していなかった未来を実現した方もいるのではありませんか? たとえば、趣味のランニングを続けていたらマラソンを完走できるようになった。好きな海外ドラマを見続けていたら留学して新たな環境に飛び込んでいた。学生のころには考えられない仕事に就いていた。また、そのような変化の過程で新しい経験や気づきを得たという方もいると思います。 そ

村上宗隆のホームランを見て引きこもりから脱出した

2021年9月。 テレビを点けた瞬間、ヤクルトの村上宗隆選手のホームランが映った。 ボールは綺麗な放物線を描いてスタンドに入っていった。 スタンドの観客たちの割れんばかりの歓声が耳にこびり付いて離れない。 村上選手はスタンドを指差しながらダイヤモンドを1周する。 その光景を見たとき目が離せなかった。 目がちかちかとして、心臓が波打つのが分かった。 「ぜっっったい!生で観る!!!」 心の中で叫んだ。 「消えたいんです。」 スクールカウンセラーにそう相談した頃のこと。 当時、高

6万円の使い方——夫の趣味を「なぜ許せるんですか?」と聞かれて考えたこと

会社の研修で、勉強会に参加することになった。講座の目的は、自分自身を魅力的にプレゼンできるようになること。まずは自分の興味や専門、経験などのなかから、他の人が面白いと思えるものはどんなものかを探ろうということで、グループワークで話し合うことになった。 私の経歴は、けっこう変わっている。社会人になってからイギリスに留学し、帰国後は働きながら大学院に通い、最近は博士号をとったばかりだ。専門は外国語教育で、研究テーマは帰国子女。そして、趣味は音楽、熱気球部に入って活動していた経験

高校3年間、ひとり別空間にいた

「男子しかいない学校なら、全員と仲良くなれるじゃん!」 これが、男子校の高校に入学する前の自分が思っていたことだった。 中学では、女子と話すときはスカしてしまってしゃべれないけど、男同士ではたくさんはしゃいで3年間を過ごした。だから、男子校ではクラス全員と仲良くなって歯止めが効かない。これから楽しすぎる3年間になる、と信じていた。 入学式の日、席の近いクラスメイトたちと「どこ中?」「入学前から宿題多すぎるよね」など初対面の距離感で言葉を交わしながら、 「これがおれが歯止め

【ウリ坊日記】ハーフバースデー

おかげさまで先日、ウリ坊が産まれて半年になりました! まだ半年だったのか…と驚きます。 新しい出来事の連続で もうウリ坊が産まれて3年ぐらい経ってるような感覚です。 思えば 1ヶ月前はまだ離乳食も食べれませんでした。 2ヶ月前は人見知りで今みたいに笑ってばっかりいませんでした。 3ヶ月前はコロコロと寝返りできませんでした。 4ヶ月前は物を掴むこともできませんでした。 5ヶ月前は「キャッキャッ」と声を出すこともできませんでした。 6ヶ月前はお腹が空いたら泣くこと

【Essay】答え合わせ

 つい先日、選挙に行ってきた。  大学進学と同時に東京に行っていたので 地元で選挙に行くのは初めてだ。  投票所は僕が小学生の頃に通っていた母校だった。  小学校に行くのは約18年ぶりになる。 少し補修されている部分もあったがほとんど何も変わっていなかった。  なんだか懐かしい気分になって、投票を終えてから窓から教室を覗いてみたり校庭の遊具で軽く遊んだりしてみた。  一緒に来ていた妻に「この鉄棒で豚の丸焼きという技をよく披露していたんだ」「この滑り台で頭から滑ったら

【Essay】今日が過去になったとしても

「このケーキ屋さん、オシャレで美味しそう!」  妻がスマホ画面を僕に向けてきた。先日、妻の誕生日を迎え誕生日プレゼントを渡したが、ケーキは買っていなかった。  僕が仕事を終える時間には、いつもケーキ屋さんは閉まっているため休日に買いに行くことにして美味しそうなケーキ屋さんを妻に探してもらっていた。  「どこにあるの?」  僕が聞くと「この辺らしいよ」と妻がGoogleマップに画面を切り替えて見せてきた。  家から車で15分ぐらい離れた場所にあるらしい。「へー、こんなところにケ

中卒ヤンキーに育てられた私が教員になった話

七海恋です🩵✨️ 私は中卒ヤンキーの母親と、 中卒ヤンキーで龍の刺青が入っている母の彼氏に 育てられ すくすく大きくなりました🤣🤣 だから、私は何となく 自分も周りの大人と同じように 18歳とかで家出て、 23歳とかで子供産んで、 トラックの運転手とかやりながら、 ギャルのママになっているんだろうな〜 なんて思っていたんです🤣 そういう世界しかしらないのですから。 人生の最初の転機は 部活動の先生との出会いでした。 私は部活動で、 バレーボール部に入りました。 と

イヤイヤ期を恐れている、2年半前の私へ

子どもが生後半年くらいの頃、私は「幸せ」と「不安」の間を反復横飛びしていた。 それは、良くも悪くも「赤ちゃんかわいすぎるだろ」、という感情のせいだった。 赤ちゃんは、あぅあー、とかしか言わないし、顔を一度隠したうえでまた出現させるだけの行為(いないいないばあ)で爆笑する沸点の低さだし、なんか体も全体的に柔らかくてプニプニしてる。この世にあるすべてのかわいいものの起源って赤ん坊なんじゃないかと思う。権利関係は大丈夫なのでしょうか。「赤ん坊©️」とつけるべきでは? そんな幸

人生の予定が狂った(起業します)

※この記事は、私の起業記念note二部作のうちの第一部(ポエムの部)です。第二部では事業にかける思いを真面目に綴る予定です。 起業します。突然ですが、この度キャディ株式会社を退職し、起業することになりました。 提供するのは、企業向けのDX推進サービスです。 私は10年以上にわたるプロダクトマネージャーとしてのキャリアを一旦ここで終えます。 もちろんプロダクト開発のバックグラウンドは私の強みですし、今後も時にプロダクト開発をすることもあると思います。ただ、「プロダクト開発

なんでもないふりして暮らしているボクらの、このなんでもなくない日常

昨日は、明日の引越しを控えて、家族3人で新居のお掃除に出かけた。 開栓したはずの水道が出なかったりというトラブルが発生したりもしたけど、14時前にはなんとかお掃除を終えた僕たちは駅前の大型商業施設のフードコートで遅めのランチを取ることにしたのだった。 その施設は今年、開業したばかりの施設だったこともあり、フードコートにあるお店も今まで見たことがないユニークなお店がたくさんあった。 「あ!牛肉のフォーの店がある!」 無類のフォー好きの妻が思わず声を上げる。 「いいじゃ

きっとちょうどいいくらいの奇跡

深夜2時過ぎ 久しぶりに中途覚醒したボクは、当たり前みたいな振りをして、no+eを見る。 そして、昨日から新しい住まいの寝室となった2階の和室の暗闇に白く浮かび上がったスマホの光は、ボクにとって文字通り 光 となった。 というか、最初は、何が起きたのかまったく分からなかったくらい、 それは紛れもなく 奇跡 ってヤツでもあった。 なぜならボクは、このとき あの「バナナブレッドのプディング」のあの主人公のあのセリフを 自然とそらんじていたのだから。 夢にも

ついに「YouTube」進出🥹──担当本についた「Amazonレビュー」にアンサーしてみた!

こんにちは! 三笠書房の5年生編集者です!! 唐突ですが、 YouTubeをやるのが、 ずっと夢だったんです〜🥹著者さんが発信しているYouTubeをいつも拝見しているうちに、 「自分もやってみたい!」という思いがどんどん大きくなっていきました🥹 その思いがあふれてついにやってみました!題して、 自分の担当本についた「Amazonレビュー」に、アンサーしてみた!書籍編集者にとって、自身の担当本にAmazonレビューがつくことほど嬉しい&勉強になることはありません!

夢のない大学生がハライチに憧れてテレビ業界に飛び込む話

大学2年生の春、広島に住んでいた僕は、友人と一緒に東京へ旅行することにした。 少しでも節約をしたい大学生の僕らは、夜行バスに揺られる10時間の長旅を選んだ。 硬くて狭い座席、慣れない夜行バスでは深く眠ることができなかった。 一緒に乗っていた友人も寝付けなかったのだろう。深夜に突然、動画のURLを送ってきた。 「ハライチのターン フリートーク 神回まとめ」 TBSラジオで放送されている『ハライチのターン』のフリートークがまとめられている動画。もちろん違法アップロードであ

流行りのガジェットも好きだけど、すぐ「消費」できない「NUME FUKURO」もよいという話

世の中に「消費」されたくない。 SNSの流行り廃りの速さにそんなことをぼんやり考えることがある。 悪気なく自分だって、流行りものは猛烈にハマって、そして気がつけば忘れてしまいがちだ。 そうなってしまえば、ある日もう一度出会った時に「あの時流行ったやつね」と烙印を押してしまう。 商品を取り扱う上で、世の中の需要に素早くついていけることは、大切な能力のひとつなのだけど、一方で少しずつ長く愛される商品を取り扱いと思うことはわがままだろうか? そんな思いを知ってか知らずか、ある

創作大賞2024授賞式で「なんのはなしですか」と言えた日に。

創作大賞のベストレビュアー賞受賞のメールをいただいた。そうか、もうその季節かと感じていた。思えば去年もそうだったなと去年のメールを読み返した。 去年は受賞していなかった。 そんなはずはないと思ったが、世間の事実はそうみたいだった。私は受賞していなかったのかと、この段階ではじめて認識し、一年経過したことに気付いた。受賞していた気分で過ごした一年間の自分がとても好きになった。 事実と向き合うのに二、三日かけていたら、事務局の方から再びメールが飛んできた。 こんな確認の仕方

栗色パーマのショートカットで。

この初秋にこのヘアスタイルにしてから 楽でラクで、しょうがない。 なにがラクって、 根本さえしっかり起こしてやれば 髪をまとめなくてもサマになるんだよね (さようなら、散逸するピンやヘアゴム達)。 それまでは数年かけて、 肩より長いストレートヘアに 細かい筋を幾重にも入れてトーンアップし 自然なグレイヘアを目指していた私。 60を過ぎた母は見事なグレイヘアだから 私も、抗わないヘアケアを 考えさせられてきた結果では、ある。   ただし毎回、3時間はかかるこのメンテ。

Gutsヒロのスイーツ・ストーリー:Just Like a Boy〜喜びを届ける日〜

Gutsヒロのスイーツ・ストーリーへ、ようこそ!お菓子作りが生きがいでスタートしたお菓子のお店の活動を皆様と共有し、美味しく幸せなひとときとなれば幸いです。 先日の10月27日は、私のお店「お菓子工房たびこ」の第3回目の店頭販売日でした。この日を迎えるのに様々なことがありました。 Gutsヒロのスイーツ・ストーリー:心の音は正直者 前回の投稿にも書いたのですが2回目の「急性腰痛症」を診断されました。徐々に良くなっていったのですが、店頭販売の週のはじめに職場で物を置こうと

缶コーヒーと兄

2つ上の兄がいる。両親からここ25年くらい「本当は優しい子なんだよ」と言われ続けている兄である。 私は兄と会話をしない。兄が中学以降、家の中で喋ることがほとんどなくなったからだ。ただ無口になっただけで特に非行に走っているわけでもなく、はたしてグレたといえるのかはよくわからない。 ご飯の時間になれば一緒に食卓を囲むし、一緒にリビングで『笑う犬の冒険』も見ていた。でも食事中に兄が自分から話し出すことは一度もなかったし、どんなにはっぱ隊やセンターマンが面白くても兄が声を出すこと

小学校の先生からアイドルになった私

私は大学を卒業して、小学校の先生をしていた。 授業はやりがいがあって楽しいし、子どもたちの成長はこの上なく嬉しい。 大きな行事があれば、子どもたちと一緒になって全力で取り組む。 忙しかったけど、教師である日々は毎日が充実していた。 だけど。 私には人には言えない夢があった。 アイドルになりたい。 昔からアイドルが大好き。 歌やダンスは得意ではないけど、それでもステージに立ってみたい。 そんなことは叶わない。 だって私は教師をしている。 年齢も24歳。 普段から先生をし

まさか自分の子供が不登校になるなんて

#想像していなかった未来 2人目の娘が生まれた 娘はとても母ちゃんっ子だった 小学一年生赤いランドセルを背負って 普通に学校に行くのが当たり前と思っていた その頃我が家は不安定だった時期と重なっていた きっかけは一年生初めての音楽会 キーボードに選ばれた 娘はピアニカが良いと言った すごく感受性が豊かで敏感だったのだろう 音楽会はきっかけにすぎない その後は体育の授業の時男子と女子 一緒に体操服に着替えないといけない事になっていた その事も本人は嫌だ

最悪の失恋の腹いせに、”星野リゾート全制覇”を目指し、今49施設目のOLの話。

33歳の秋、7歳年下の彼氏に振られた。 独身、失恋、崖っぷち。人生白紙、お先真っ暗、オワタ。今からまた振り出しか、積んだ。 さらに追い討ちをかけるように言われた、元彼からの別れの衝撃のセリフ。 「ミカちゃんよりも面白いコンテンツが世の中にはたくさんあると思った。」 めちゃくちゃ腹が立った。なんだよ、私より面白いコンテンツって。悔しい。悔しすぎる。思い出しても腹が立つ。 とはいえ失恋しようがしまいが平日は週5で仕事がある。平気なふりをしながら、怒りを燃料に働いていたが

ボクらのファウスト・ストーリー

そもそも未来って想像もつかないからこそ未来なんじゃないのだろうか? まあ、我ながら性格悪いなあ、と思うよ。 #想像していなかった未来 というタイトルのコンテストにこんな出だしの記事を書くなんてさ。 しかも、さらに僕が性格が悪いのは、 主催者の人たちが期待しているような 想像もしてなかった(素晴らしい)未来 についてのエピソードなんて絶対に書いてやるもんか と固く心に誓っているところだ。 けど、別にパンクな気分ってわけじゃない。 セックス・ピストルズはもう歌

ビジネス書の著者が「スゴすぎて」つらいとき──スーパービジネスパーソンと比べない

こんにちは!   三笠書房の5年生編集者です📚✨ ビジネス書を読んでいると、ふと、 「この著者、ホントにすごいな!」 って感心すること、ありませんか?😌   行動力がズバ抜けていて、タフでエネルギッシュで……。 特に、ビジネス書には、逆境や「長い低空飛行」期間を乗り越えて成功を掴んだなどという、 「ビフォーアフター」系のドラマを持っている著者が多い気がします。 なんだか、若い頃からずっと順風満帆な人よりも、「昔はうまくいかなかった」と語る人からのほうがエネルギーも

保健室の先生になりたかった私の#想像していなかった未来

マイナビnote編集部の松田です。 note社とマイナビで開始しているコンテスト、「#想像していなかった未来」。 今日は私のエピソードを投稿させていただきます。 プロフィール  たいがい、#想像通りではない未来、なのかもテーマが決まった瞬間、自分の約30年の人生がぶぁあっと早送りで頭に浮かびました。 紫ドレスを着た魔女見習いになるつもりだったな。 お花屋さんになるつもりだったな。 保育園の同級生のS君のお嫁さんになるつもりだったな……。 30年のだいぶ序盤ばかり浮かび

本に救われた過去の私へ

秋と本が、どうしようもなく好きです。読書の秋と言いますが、秋でなくとも本は好きですし、本がなくとも秋は好きです。 昨日、秋の高い空の下で街を散歩していて、私はお気に入りの古書店へ向かう道中、花屋さんに寄りました。自然を眺めながら読書をしたいと思ったからです。 買ったのはユーカリ・グニーの枝物です。ドライにすればきれいなまま長持ちするので、おすすめですよ。やさしいグリーンが好きです。見ていて心が落ちつく色合い。 あわせてガーベラを買ったのですが、花屋さんがバラもおまけで差

誰でも書けるからこそ厄介。

書くことは誰にでもできるからこそ厄介だ。 掃除、洗濯、食べ物を食す。この行為を「すごいね」と褒めてくれる人はだれもいない。なぜなら誰でもできるからだ。こんなこと誰でもできんねん。 たとえば、赤ちゃんが二足歩行をするまでには約1年、言葉を話すまでには1年以上もかかる。反復と失敗を経てようやくできるようになるのに、なぜかこと「文章を書く」ということはクソを漏らすようにカンタンなことに思える。反復などは不要で、自分の気持ちを文字にするだけで、それを公開するだけ。そしたらまるで人

「すみません」をやめたら、世界が少し優しくなった

こんにちは!いつも読んで頂き、ありがとうございます。 10代の頃、僕の口癖は「ごめん」でした。クラスマッチでバレーボールをしていたとき、スパイクが決まっても、つい「ごめん」と言ってしまう。 友達に「なんで謝るの?」と不思議そうに聞かれても、自分でも理由はわかりませんでした。 ただ、「もしかしたら迷惑をかけているかもしれない」と思い込んでいたのかもしれません。何も起こっていなくても、つい謝ってしまう。そんな性格でした。 「すみません」が増えた社会人生活社会人になり、営業の仕

コーヒーを片手に新聞を読むおっさんみたいな少年が、20年後に編集者になった話

中学1年生ごろから新聞を読む習慣があった。 朝起きると、布団もたたまず部屋を出て、階段を降り、よろよろとキッチンまで歩く。母はやかんで湯をわかし、その熱で手を温めている。父ははちみつをうすく塗った5枚切りのトーストをかじりながら、中日新聞の朝刊を読んでいる。それがぼくが毎朝起きて一番に遭遇する、家族の風景だった。 ダイニングテーブルの父の対面にすわり「新聞、まだ?」と父に聞く。数分待つと、父は読み終わった新聞を、テーブルの上をすべらせるように「ほい」としずかに渡してくれた

書籍編集者の「楽しくnote続けるコツ」⑥── 電車時間を活かす!

こんにちは! 三笠書房の5年生編集者です! さて、そこまで「大好評!」というわけでもないんですが(笑)、 多くの方に見ていただいている、 「noteを楽しく続けるコツ」 シリーズの第6弾 をご紹介します〜🙌 ◆電車で過ごす時間、みなさんどう使ってますか?突然ですが、皆さんは電車に乗っている時、何をしていますか? 以前の私は、ただスマホをいじったり、読書をしたり、特に何も考えずに過ごしていました。 でも、ここ半年くらいで、 「電車に乗ったら → noteを書く」

ちいさな 本当の

私は今まで何も言葉に出来なかった ママにも先生にも友達にも このnoteは今まで全部の日記 10年前の日の事がやっと言葉になったりして 書いた日記 駅前 待ち合わせに誤差は付き物 スカートが冷たい 制服 紺色 髪色明るく見えがちだよな…。 人間関係には 誤解が付き物 あの日のママへ  あの日の先生へ  あの日の友達へ 大好きな貴方に 下手っぴな滲んで破けた日記 これがnoteに合ってるとも思わないけれど 優しい想いの場所 だと思ったから。 noteに想い

9年憧れたアイドルにイベント出演オファーされた

ダブルパチンコ🎰🎰 先週行われたでんぱ組.inc主催イベント『カオスフェス』に出演するため横浜を訪れた。 開演の4時間前に入ったのだが、どうやらそれはこっちの事務所の連絡ミスで、本来よりかなり早かったらしい。 とりあえず楽屋に荷物を置く。壁ごしに、憧れたでんぱ組.incの練習する声が聞こえる。 受験生が部屋を片付けたくなるようなソワソワがつきまとう。立っては座り、座っては立ち、歩く姿はビッグ官能小説といった様相。とにかく落ち着かなかった。 今から9年前、札幌で観たでん

『サイコロジー・オブ・マネー』に次ぐ超大型新刊が刊行!! 担当編集のSさんを直撃しました!①

こんにちは! 三笠書房の5年生編集者です! 唐突ですが、三笠からこんな新刊が出ました! 『SAME AS EVER この不確実な世界で成功する人生戦略の立て方』 モーガン・ハウセル著 も、モーガン・ハウセル、、!!すごい!!! 読者の皆さまも、この名前を聞いて興奮されるのではないでしょうか??笑 ◆600万部の大大大ベストセラー作家が三笠に!!!そう、何を隠そう、モーガン・ハウセル氏は、 『サイコロジー・オブ・マネー』が全世界で600万部突破、日本でも20万部を突

わがはからいにあらず

それまで勤めていた会社を辞めて 難波で仲間と一緒に会社を作ったのは 36歳の時でした。 それから3年、39歳の時 また、元に勤めていた会社に戻りました。 アルムナイ採用? 今の時代だとそういうのかもしれませんが 当時はまだ珍しいパターンだったと思います。 戻った直後から、とにかく忙しい毎日でした。 毎晩遅くまで、当然、土日も関係なく。 あっという間に時間が過ぎて、10ヶ月後。 その日もいつものように夜中まで働き 家に帰った時には日付も変わっていました。 とにか

【‘‘誰しもが表現者になりうるもの’’】

今の自分がこうして、noteというプラットホームの中で物を書いているということは数年前、十数年前までは想像もしていなかったことである。 noteを書くきっかけになったのは、自分の中のモヤモヤとした感情を言葉で表現したいとそう思ったからだと思います。 話すのが苦手な自分にとって、書くことの方が自分に合ってると思いますし、書くのが苦手でむしろ話すことの方が得意という方はYouTubeやVoicyといったメディアで自分を表現する人たちもたくさんいます。 XやInstagram、Ti

下を向いていた日々から、前を向いて歩き出すまで

皆さんこんにちは😆 ららです。 今日はマイナビ × note さんのコンテスト企画#想像していなかった未来、に基づいて自分の体験を書かせて頂こうと思います。 よろしくお願いします☺️🙏 (当該記事はこちらからどうぞ😊) これは僕が、絶望のどん底から希望を持って這い上がるまでのお話です。 少し昔のことになります。 自分で言うのはちょっと恥ずかしいですが、僕ららは割と幼少期から勉強ができる方で、人当たりもよく、運動もサッカーを中心に頑張っている、いわゆる「模範的」な子供で

Q.多忙な脳外科医が1年間休職することは可能か?

A.可能である (ただし                                                                                                                                                                                                                                   

Amazonランキング急上昇😳 担当編集の私が聞くのもヘンですが、なぜ急に売れ出した?😳笑

こんにちは! 三笠書房の5年生編集者です!! 私が担当させていただいた、トヨタ→TBS→アクセンチュアとキャリアを経て、 今は戦略コンサルタントとして活躍する山本大平(やまもと・だいへい)先生の新刊と、Schooご出演について、 先日、こんな記事で紹介させていただきました〜🙌 ◆なぜ急に、、??さて、唐突なのですが、その新刊のAmazonランキングが急上昇しております😳😳 え、、なぜ、、、!? 特に広告を打ったわけではなく、、、、。 では、SNSでインフルエンサー

縁切り神社に行ったらアイドルになれた話

 当時の私は、全てに絶望していた。  ブラック企業(たぶん)(他の会社を知らないので比較できない)に就職してしまい、身も心もすり減らす毎日。チョコラBBハイパーの素晴らしさを知ったのもこの頃だ。  毎朝栄養ドリンクやエナジードリンクを飲みながら出勤し、仕事帰りには暴飲暴食を繰り返す毎日。週2でハンバーガー、週2で寿司。残りはコンビニ飯である。土日はもちろんウーバーイーツだ。  ほかにも、スーパーで大量のお菓子を買いこみ、暇さえあれば食べていた。食べている間だけは、微かに幸せ

思いもよらず、約40歳年上の友人ができた話

タイトルは「友人ができた」という表現にしたけれど、実際には、高校時代の恩師とひょんなことから、一対一で飲んだ。サシ飲み。 高校を卒業してから、13年。 「生徒と先生」という関係では生まれなかった気づきがあって、これは記憶に残しておきたいなと思って綴ることにした。 きっかけはFacebookの投稿。 高校1年と3年の時、2年間担任をしてもらったB先生とは、Facebookで繋がっていた。 B先生は、偶然にも原田マハさんの「<あの絵>の前で」にまつわる投稿をしていて、思わず

これはあくまで料理酒です。

1年で50冊読むことを目標にしていたのだけれども。6月の時点で目標達成がかなり難しいことには気がついていたけれども。ここまでで27冊。50冊までは遠い。モームリ。しかし、6月のあの時点ではまさかこの後、京極堂シリーズの沼にはまるなんて想像していなかった未来だ。 それでは6月以降に読んだものの記録。スタート。 16 無名仮名人名簿(向田 邦子) 17 姑獲鳥の夏(京極 夏彦) 18 いつかたこぶねになる日(小津 夜景) 19 魍魎の匣(京極 夏彦) 20 星の王子さ

酒と本、家族の思い出

6缶パックのビールを抱え、にこやかに休日出勤する若き日の父。 そんな後ろ姿を見て育った訳ですから、そりゃまあ酒呑みになりますよね。 立派に成長した息子として、家やお店は当たり前。路上に川辺、夢の国、果ては電車に飛行機と、舞台を選ばす嗜んでいるうちに、図書館でビールを呑みたいと願うようになりました。知を求めて集まる人たちの静かな熱気を感じながら、キン冷えした奴をゴクリとやりたいのです。 そうは言ってもいい大人ですから、分別はわきまえております。棚の死角に身を潜め、350m

LINEとnoteを経て、スマートバンクに入社した理由

ずっとIT業界にいて30代後半にもなると、よくこんな話がでる。 20代はがむしゃらにやってきた。30代は得意分野を活かしてきた。じゃあ、40代はどんな働き方をすればいいの?全く予想できないよね。と。 目立っている先輩たちは、役員とか事業部長とかになるか、起業か独立をしている。そのどちらにもならなそうな一般社員は、どんなキャリアを描くのか想像つかないのだ。 私も今年でIT業界15年目の40歳。 この1年、すごく悩んだ。 もうがむしゃらには働ける自信ないし、自分の得意分野

美少女コンテストで優勝したかった私へ。

「 #想像していなかった未来」って言うけどさ。 想像していた通りの未来が実現した人なんて、いるのだろうか。 いたら、会ってみたいものだ。 例えば、私の場合である。 というか、以下全部私の話だ。 聞いてやってもいいと言う人がいたら、聞いてほしい。 この恥ずかしい話を、笑ってやってほしい。 小学生の頃、こんな未来予想図を描いていた。 16歳 美少女コンテストで優勝(2位のライバルが泣いている絵を描いた) 21歳 結婚 23歳 美少女コンテストのライバルも、やがて結婚 ライ

焚き火の前で見つけた大切な決心

以前、よく焚き火ができる飲み屋さんに通っていました。 そこはビルの屋上にあり、ただの飲み屋というより、テントがあったり、オシャレにアウトドアの雰囲気を楽しみながら、焚き火の炎を囲んで心をほぐす場所でした。 炎の揺らぎをぼんやりと眺めていると、自然と気持ちが落ち着き、悩みも少しずつ溶けていくような感覚がありました。 実は当時、僕は仕事のことでとても悩んでいました。 どれだけ頑張っても成果が出ず、思うように進まない毎日に疲れ切っていました。 「このままで本当にいいんだろうか?」

チェコ野球界の夜明けを見つめながら🌛#想像していなかった未来

ぷかぷかと葉巻を燻らせながら、カリブ海に浮かぶ島国キューバに、ほぼ半世紀に渡って君臨したフィデル・カストロ。あの髭もじゃ・軍服・カストロ帽の独裁者が、チェコスロバキアで救った命が「一つだけある」と、ことさら大きな目を見開いて、キラりとスキンヘッド輝く強面整形外科医は凄んでみせた。 誰じゃろ?チェ・ゲバラ?アル・カポネ?ヘミングウェイ?チェコスロバキアで?? ..........? 「ベースボールだよ!」破顔一笑、ピルスナービールを呑み過ぎた酔っ払いのオっちゃんのように、饒

小さな火を灯し続けるために。

秋ですね。ぎっくり腰になりました。さて、リリースにもありますように、CAMPFIREの代表取締役をバトンタッチし、ファウンダー会長として新たな一歩を踏み出すことを決意しました。 バトンを渡すのは、これまでも取締役CEOという立場で事業や組織を牽引してきてくれた、信頼のおける心強い仲間、中島真(通称シンさん)になります。 もう7年前でしょうか、リブセンスの取締役を退任したばかりのシンさんに、面識もないのに直接メッセをして「うちへ来ないか」と口説きに行きました。緊張しながらも

妻がうつ病と診断されて自分が実施したこと

①はじめに 「うつ病家族」、「鬱病家族接し方」、「うつ病家族治し方」、「20代 うつ病 治し方」、「20代 教員 鬱」「うつ病効果がある」 ——何度このようなキーワードを検索したかわかりません。心の中に積もる不安やモヤモヤを解消できるような答えを探しても、なかなか見つけられずにいました。 インターネットには、うつ病を抱えている本人の体験談や、彼らの苦悩に焦点を当てた記事は数多くあります。しかし、うつ病の方を支える家族の視点からの話は驚くほど少なく感じました。 このブログ

想像していなかった未来

人生を振り返り、一番の『想像していなかった未来』は、アメリカで暮らすことになったことだった。 暮らすことになった理由は、夫の仕事で海外転勤に伴う引越しだった。 当時、私は夫と同じ職場に勤めていた。 最初は一緒に行くかも迷った、家を購入して3年目、そして2匹の猫もいた。 でも、何年の滞在になるか分からず、考えた末一緒に帯同することにした。 夫より半年遅れで職場を退職し、持ち家は人に貸し、猫2匹と共にアメリカへの旅立ちであった。 アメリカ生活、私の暮らすことになった地

未来なんて無いと、思っていたけれど。

ミキサーボウルの中で、砂糖と空気をふくんだバターが白っぽくなっていく。 それに少しずつ卵液を加えながら、乳化する様子を見つめているとき、ふと、"わたしは、どうしてここにいるのだろう?"と思うことがあります。 今、わたしは京都で暮らしていて、お菓子づくりに携わる仕事をしています。 生まれ育った大分から遠く離れた京都。 ここは、"好きだから"という理由だけで、うつり住んできた町。 そして製菓の仕事も、京都への転居にともない、全くの未経験から飛び込んだのです。 こうして書くと、