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高校3年間、ひとり別空間にいた

この文章は、株式会社マイナビとnoteで開催する「#想像していなかった未来」の参考作品として主催の依頼により書いたものです。

「男子しかいない学校なら、全員と仲良くなれるじゃん!」

これが、男子校の高校に入学する前の自分が思っていたことだった。
中学では、女子と話すときはスカしてしまってしゃべれないけど、男同士ではたくさんはしゃいで3年間を過ごした。だから、男子校ではクラス全員と仲良くなって歯止めが効かない。これから楽しすぎる3年間になる、と信じていた。

入学式の日、席の近いクラスメイトたちと「どこ中?」「入学前から宿題多すぎるよね」など初対面の距離感で言葉を交わしながら、
「これがおれが歯止めが効かないくらい仲良くなるメンバーか~!
 まぁ、今のところ中学の友達の方が仲良かったけどね」

と思っていた。
それからしばらく、出会ったばかりの高校のクラスメイトと中学の友達を比べているうちに、「あれ?どうやってあそこまで仲良くなるんだっけ?新規の友達ってどうやって作るんだっけ?」と、友達の作り方が分からなくなっていた。
1年生の後半に差し掛かっても、自分だけ入学式の日と同じよそよそしさ。そして、2年生になると学校で一言も言葉を発さずに一日を終える日の方が多くなっていた。

登校して、授業で先生から指名される以外は一回も声を出さず、放課後の掃除が終わったらすぐ家に帰る。学校にいる時間がつらい。
どうしてこうなった?もっと楽しい高校生活になるはずだったのに。
みんなが当たり前にできていることを自分だけが出来ていない。
こんな苦しい高校生活は想像していなかった。

これはぼっちの定番なのだが、休み時間はとにかく机に突っ伏して寝たフリをするか、水道に行ってひたすら水を飲んでいた。大人になってから漫画やアニメでこれがぼっちのあるあるなんだと知ったが、ぼっちの当時はあるあるを共有する相手がいないので、気づきようがない。
つまり、ぼっちは各自で「寝たフリ」と「水がぶ飲み」という同じ答えに行きつく。交流のない異なる文明が同じ発展の仕方をしていた、みたいなのと一緒だ。文明は川の周りで栄えるが、ぼっちは水道の周りで一人でいる。

一言でも誰かとしゃべったら「今日は人としゃべった!合格!」と思って帰っていた。
体育の授業は、「ヘイ!」や「ごめん!」など声を出すチャンスが多いので、ポイントの稼ぎ時。一回の授業で最大5人としゃべったことがある。逆に体育の授業をもってしても人としゃべれなかった日は、相当落ち込むことになる。

高校のとき、はんにゃさんが大ブレイクして、「ズクダンズンブングンゲーム」というネタが流行っていた。はんにゃのお二人が「ツッチー、ツッチー、ツッチー、ツッチー」という掛け声で動き始めるダンスネタだ。
うちのクラスでも流行っていたのだが、「ツッチー、ツッチー」と言ってしまうと土岡が「え?ぼくのこと?」と気にしてしまう可能性がある。クラスで浮いている土岡を不必要に刺激しないため、うちのクラスだけみんな「ツッツー、ツッツー、ツッツー、ツッツー」に掛け声を変えてマネしていた。テレビではどう聞いても「ツッチー、ツッチー」と言っているのに、うちのクラスだけ海賊版のズクダンズンブングンゲームが普及していた。


それから何も起きず、友達はできないまま卒業を迎えた。
つらい3年間からは抜け出したけど、自分で状況を変えたわけじゃない。ただ時間が経って卒業しただけ。


芸人になった今は、笑い話として人前で高校時代の経験をしゃべることがある。
そんな話に共感してくれた人から「楽になった」と言ってもらえることがある。これには驚いた。

ライブやYouTubeで、高校時代に友達ができなかった話や大学を出たあと3年間ニートだった話(なんでそんな「それはまた別の話」があるんだ)を聴いて、お手紙をくれたり、会ったときに「励みになった」と言ってくれたりする人がいる。
中には「おれも高校で友だちいなかったんですよ!あの時間、今振り返ってもマジで何もなかったですね!」と言われて、ゲラゲラ笑うこともある。
思い出が何もないという思い出を共有して話が弾む、元手ゼロの盛り上がり方。


当時つらかったことに変わりはないので、「つらさが解消された」とはあの頃の自分に失礼だから言わないけど。
似たような思いをした人にとって「一人じゃないんだ」という安心材料のほんの一部にはなれる。

何も克服できなかった経験が誰かの力になって、今になってちょっと報われるなんて、想像していなかった。

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