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【Essay】今日が過去になったとしても

「このケーキ屋さん、オシャレで美味しそう!」
 妻がスマホ画面を僕に向けてきた。先日、妻の誕生日を迎え誕生日プレゼントを渡したが、ケーキは買っていなかった。
 僕が仕事を終える時間には、いつもケーキ屋さんは閉まっているため休日に買いに行くことにして美味しそうなケーキ屋さんを妻に探してもらっていた。
 「どこにあるの?」
 僕が聞くと「この辺らしいよ」と妻がGoogleマップに画面を切り替えて見せてきた。
 家から車で15分ぐらい離れた場所にあるらしい。「へー、こんなところにケーキ屋さんができたんだ」 

 私と妻は子どもが産まれたことをきっかけに東京から田舎の私の実家に住むようになった。
 私が住んでた頃に比べて随分と田舎にオシャレな店が増えていた。

 まさか自分が田舎に帰ってくるなんて思いもしなかったし、周りの友人達も皆驚いていた。田舎が嫌いだったわけではないし、むしろ子どもの頃から田舎が大好きでいつも壮大な自然の中であらゆる遊びを見つけては泥だらけになって帰っていた。

 でも、10年前に父が自宅で自ら命を絶ったことで、地元に居づらくなった。どことなく周りの僕達家族に向ける視線が変わったような気がした。だから、父のことを誰も知らない所へ逃げたくなって東京で就職した。
 
 約10年ほど地元から逃げ続けていたら、僕の心を支えてくれる妻と出会い、自分の命よりも大切な子どもを授かり、田舎でノビノビ子育てしたいという妻の想いと子どもの将来を考え今年の7月から地元に帰ってきた。


 昔よく通った道を車で走らせてケーキ屋さんに向かうと、ジブリに出てきそうな建物がポツンとあった。どうやらここが目的のケーキ屋さんらしい。
 子どもの頃にこんな可愛らしいお店はこの田舎になかった。女子ウケはあまり良くなさそうな歴史を感じるような飲食店ばかりだった。

 妻は「可愛い」と連呼して写真をたくさん撮っていた。妻が喜んでくれているようで僕は嬉しかった。

 ショーケースに並べられたケーキを妻が「どれも美味しそう」と選ぶのに迷っていると、さっきまでおとなしく抱っこされていた我が子が泣き始めた。僕はお店に迷惑がかからないように妻をお店に残して外に出ることにした。

 すると古ぼけた廃墟がケーキ屋さんのすぐ裏にあることに気づいた。苔が生えて無造作に雑草が生えている廃墟だったが僕はこの建物にどこか見覚えがあった。

「ここ、お父ちゃんとよく行った打ちっぱなしだ…」

 父が亡くなる2年前、僕は高校3年生で部活や受験を終えて暇してる頃、父に「打ちっぱなしに行ってみたい」と誘ったことがあった。
 暇だったのもあったが、父とずっと二人三脚でやっていた野球を引退して共通の話題がなくなってしまったため、改めて何かしらの父との繋がりが欲しかったのだ。

 僕の誘いを受けて父は言葉には出さなかったけど、少し嬉しそうにしているのがなんとなくわかった。

 そして、連れて来られたのはこの今となっては廃墟となってしまったこの場所だ。当時は天高くネットが張られていて駐車場に観葉植物などが丁寧に手入れされ室内にはキラキラした物がたくさん置いてあった。打ちっぱなしってこんなに豪華なところなんだと驚いた記憶がある。

 父は慣れた足付きで入っていき受付のおじさんと親しげに会話して僕のことを紹介した。今度ははっきりとわかるぐらいに嬉しそうだった。

 父に案内されるままにボールを補充して打席に立った。
 僕は野球部で動く球をバットに当ていたわけだから「ゴルフなんか止まったボールだし簡単でしょ?」と父に得意気に話していた。
 でも、いざやってみると球に当てることもできず思いっきり空振りした。
 父はニヤニヤして「なんだよ、調子悪いのか?」と笑っていた。僕は内心イラッとしたけど気にせず無視した。何度かやっているとコツを掴んできて当たるようになってきた。
 でも、今度はキレイに球が飛んでいかない。どうしても軌道が曲がってしまう。
 ゴルフがこんなに難しいとは思わなかった。父が隣で打ち始めた。当たり前のように球に当ててるし綺麗なラインで球が飛んで行く。
 僕も負けずと打ち続けていくと、まぐれで会心の当たりがあった。綺麗なラインで球が飛んでいき結構遠くまで飛んでいった。
 どうだと言わんばかりに父を見ると余裕の表情でカキンと気持ちいい音をたてて僕の記録を越していった。

 普段、父は家ではビールを飲んでいるか寝ているか、オナラをしているかだったからびっくりした。

 そういえば家にゴルフのトロフィーがあったのを思い出した。家族の誰からもこれは何のトロフィーかなんて聞かれることもなかったから棚の上にポツンと置いてあるだけだった。父も自慢することもなかったから、僕が父と打ちっぱなしに行かなければ、あのトロフィーの価値は家族の誰にも知られることはなかったのだろう。





 もしあの日、打ちっぱなしに行った時に、僕が父に「すげぇ」とか「かっけぇ」とかの一言でも言っていたら父の存在がどれだけ息子にとって偉大なのかに気づいてくれて命を手放すこともなかったのかもしれない。

 今も笑ってゴルフでもしてたのかもしれない。


 もう「すげぇ」と言える父はいないし、父と一緒に行った打ちっぱなしはない。

 いつの間にか人はいなくなるし、いつまでもあると思っていた場所は気づいたらなくなっている。

 当たり前にこれからもずっと続いていくと思っていた日常は、少しずつ、ゆっくりと、後戻りできない思い出へと変わってしまう。





 家に帰ると妻は「こんなに美味しいケーキ食べたことない」と笑っていて、我が子は僕に抱かれてスヤスヤと眠っていた。

 時が僕から奪ったものはたくさんあったけど、与えてくれたものもたくさんある。

 後戻りできないからこそ今を、大切に過ごしていきたい。





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