私が18歳の時。 歌番組にPerfumeが出ていたのを見た。 ドラえもんの映画の主題歌、「未来のミュージアム」を歌っていた。 衝撃を受けた。 ゆるいトークからのパフォーマンスの切り替えの早さ。 歌詞とシンクロする振り付け。 3人の揃ったダンス。 ビジュアルよさ。 一瞬で心奪われた。 その日からPerfumeのことが好きになった。 すぐにCDショップでアルバムを借りに行った。 大学の行き帰りでは毎日Perfumeの曲を聴くようになった。 Perfumeらしい機械的な曲。
初めてできた友達は、マルチ商法をやっている子だった。 社会人3年目、私は田舎から都会に出てきて昔からの夢を追いかけることにした。 初めての都会に心躍っていた。 しかし、知らない地で知り合いもおらず、少し孤独も感じていた。 「そうだ、友達を作ろう!」 そう思ってマッチングアプリを始めた。 マッチするのは女の子だけに限定して、同性の友達を作ろうと思った。 アプリに登録してすぐに「いいね」が飛んできた。 なっちゃん、という子。 少しメッセージでやり取りして、私たちは会う約束を
昔から完璧主義だった。 間違いは許されない。 学校のテストや問題集は母が定期的にチェックした。 少しでも間違えていると怒られる、 「なんでこんなのも分からないの。」 「なんでこんなのもできないの。」 習い事のバレーボールでもミスした時、声が出ていなかった時、帰りの車の中で徹底的に詰められた。 私は間違えてはならない。 中学のテストであと1つで満点というところで間違えて教室で泣いた。 負けず嫌いで完璧主義。 勉強でも部活でも間違えないように、完璧であるように、何をす
19歳の時から5年間付き合った男性がいた。 当たり前に彼と結婚すると思っていた。 私は今、あの頃描いていた未来とは全然違う場所にいる。 あの頃描いていた人とは全然違う人の隣にいて、結婚して、家庭を築いている。 彼は穏やかで優しい人だった。 ひと回り近く年は離れていた。 ひょんなことから出会い、付き合うことになった。 大人で、落ち着いていて、余裕がある。 子どもな私からしたらとても魅力的に映った。 行きたいところには連れて行ってもらった。 食べたいものも食べさせてもらった。
私は大学を卒業して、小学校の先生をしていた。 授業はやりがいがあって楽しいし、子どもたちの成長はこの上なく嬉しい。 大きな行事があれば、子どもたちと一緒になって全力で取り組む。 忙しかったけど、教師である日々は毎日が充実していた。 だけど。 私には人には言えない夢があった。 アイドルになりたい。 昔からアイドルが大好き。 歌やダンスは得意ではないけど、それでもステージに立ってみたい。 そんなことは叶わない。 だって私は教師をしている。 年齢も24歳。 普段から先生をし
「あの人せっかく偏食外来を受診したなら言われたことやればいいのに。」 SNSで何度も言われた言葉。 耳が痛かった。 全くその通りだと思った。 私は先日、ご飯を食べない我が子と一緒に、偏食外来を受診した。 しかし受診したのにもかかわらず、アドバイスでもらったことは1つもできていなかった。 私は3歳と1歳の子どもがいる。 2人とも少食・偏食だ。 上の子は食べムラはあるものの、成長するにつれてかなり食べられるものも増えた。 問題は下の子。 食べることに全く興味がない。 食事の
小学校4年生の時、私は地域のバレーボールクラブに入った。 自分と同い年の子が2人いて、2人ともとても可愛い子だった。 土曜日。いつものようにバレーの大会があった。 自分は試合には出ないけど先輩たちの試合の応援に行く。 試合と試合の空き時間に私たちは先輩に呼ばれた。 「4年生って本当に可愛い〜」 「可愛いから一緒に外で遊ぼ〜」 先輩たちはそう言って、私以外の2人を連れて出て行った。 私だけ、選ばれなかった。 「あぁ私は『可愛い』の中に入ってないんだ」 そう悟った。 私
2023年6月に待望の第2子が生まれた。 嬉しくて、可愛くてたまらなかった。 妊娠中はスポーツができる子がいいなとか、頭がいい子に育てたいなとか色々思っていたけどいざ赤ちゃんと対面すると、そんな願いはどうでもよくなった。 この先はとにかく健康に元気に育ってくれたら何も望まない。 そう思っていた。 産後2日目から授乳が始まった。 一人目の時は完母で育てたが、なかなか体重が増えず苦労したので第2子は完全ミルクで育てると決めていた。 ここからが怒涛の日々の始まりだった。 まずミ
君は今日から保育園に行く。 生まれてから2年2ヶ月、ずっと一緒にいた。 あの怒涛の毎日は一生忘れない。 君が生まれた日、私は世界一の幸せ者になった。 おぎゃあと生まれた瞬間、こんなにいとおしいと思う感情がこの世にあるのかと驚いた。 私はこれから毎日楽しくて、喜びでいっぱいの毎日を送るんだと確信した。 見事に期待を裏切られた。 育児とはこんなにも過酷なものなのかと。 退院してからは毎日つきまとう睡眠不足。 それにつけ加えて 長引く乳児湿疹、 母乳が思うように出ない、 何で
私は母親が大好きだ。 だけど、母親のことを恨んでいる。 私は物心ついた時から女の子らしい服装が好きだった。 ピンク色で、レースやフリルがついたワンピースにとても心惹かれた。 けど決して胸の内は明かしてはならない。 「なにそれ、気持ち悪い。」 母は必ず言う。 母とはとことん趣味が合わない。 好きな物も趣味も。 私がいいと思ったものは「気持ち悪い」と否定する。 いつしか好きな物も、欲しいと思ったことも、夢も口にしないようになった。 否定されるのが怖くて。 私が喋らなくなると
アラームをかけずに寝た。 それがわざとなのか無意識なのか今はもう覚えていない。 このまま一生目覚めませんように、と願って寝るのが毎日のルーティンになっていた。 アラームをかけずに寝ても必ず5:30に目が覚めてしまい絶望した。 2年前の今頃、私は小学校の先生をしていた。 大学在学中、一生懸命勉強して、やっと合格して、「こんなクラスにしたい」というたくさんの夢をもって先生になった。 教員一年目からいきなり担任をもたせてもらった。 子どもたちは無邪気で可愛かった。 物分りもいい
私はこの夏から、保育士をしている。 保育士になってやっと2ヶ月ほどだ。 教師を辞め、アイドルを卒業してから特に何も目標も夢もなく、だらだら過ごしていた。 ふと「そろそろちゃんと働こうかな」と思い立った。 そして何かに導かれたように、迷うことなく保育士になった。 保育士になってからのこの約2ヶ月は、忙しさと緊張で、怒涛の毎日を過ごしている。 仕事にも少し慣れてきたある日、保育指導案を書かせてもらう機会があった。 それを読んだ主任の先生が言った。 「先生、文章書くの好きやろ?