コーヒーを片手に新聞を読むおっさんみたいな少年が、20年後に編集者になった話
中学1年生ごろから新聞を読む習慣があった。
朝起きると、布団もたたまず部屋を出て、階段を降り、よろよろとキッチンまで歩く。母はやかんで湯をわかし、その熱で手を温めている。父ははちみつをうすく塗った5枚切りのトーストをかじりながら、中日新聞の朝刊を読んでいる。それがぼくが毎朝起きて一番に遭遇する、家族の風景だった。
ダイニングテーブルの父の対面にすわり「新聞、まだ?」と父に聞く。数分待つと、父は読み終わった新聞を、テーブルの上をすべらせるように「ほい」としずかに渡してくれた。母がわかしてくれた湯で、父と同じようにインスタントコーヒーを飲みながら、毎朝新聞を読んだ。
「コーヒーを飲みながら毎朝新聞を読んでいる」と友達に話すと「おっさんかよ」と笑われた。
そのおっさんみたいな少年は、大学を卒業し、京都で教員として働くことになった。一人暮らしをするため実家を出ていくその日まで、新聞を読むことは欠かさずつづけた習慣だった。
ぼくの新聞に対する興味は、はじめはテレビ欄をながめるだけだったが、次第にスポーツ欄で名古屋グランパスの情報を仕入れるようになり、やがて中学3年から高校生になるころには、国内政治の欄から広く日本社会全体を見渡すようになった。
たしか当時は、ねじれ国会、政権交代などの話題が中心だった。とりわけ自然災害と、それに対する行政の対応には関心が強かった。高校2年生のころ東日本大震災と原発事故が起き、毎朝新聞に釘付けになった。
学生時代から新聞をよく読むので、たいそう成績優秀な学生だったと想像されるかもしれないが、いや、ぼくの場合まったくそんなことはない。高校時代は赤点連発である。行動と中身がともなっていないのがなんとも自分らしいなと思う。
小学校の授業では、社会や総合の壁新聞作りが好きだった。とくに、目を引く見出しを考えるのが楽しかった。
学校の先生になってからも壁新聞づくりの興味は冷めることはなく、壁新聞にとどまらず、掲示物作りの授業研究に夢中になった。
「どうすれば廊下を歩く人の足を止められるだろうか」そんなことを大真面目に考え、先生向けに研修会を開いたりもした。
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教員の仕事をするかたわら、5年以上書き続けたのがnoteだった。
今年の春、諸事情で教員を退職し、今は会社員をしながら副業という形で、個人のnoteの編集を行う仕事を業務委託していただいている。
現在31歳。自分でもけっこうなキャリアチェンジをしたと思う。
そんな大胆なキャリアチェンジを果たしたのもあって、とあるオンラインコミュニティのラジオ番組から「『好きを仕事にする』をテーマに話を聞きたい」と出演依頼を受けた。「好きを仕事に」とはよく聞くテーマだが、これまで自分ごととして考えたことがほとんどなかったので「これは自分の好きなことをきちんと言語化しておかないとまずい」と、かなり内省をがんばった。
たしかにnoteを5年以上もやっていると「書くのが好きなんですね」といろんな人に言われるし、そう思われるのも当然だろう。
だが、書くことはめちゃくちゃ得意でも好きでもない。なんというか、大勢の前で話すのが苦手なので、話すよりも書く方が心理的な負担が少なくて楽である。
実際、すらすら書けるなんてことはほぼない。書くことが思い浮かばない時の方が多いし、そういうときはけっこう気持ち的にもきつい。
では、noteを書きながらぼくが夢中になっていたことは何かというと、「どうしたら読まれるか」を試行錯誤する、そのプロセスそのものだった。
読まれるとうれしくて、またそれを続ける。読まれないと落ち込み、どうすれば読まれるようになるか反省し、次に生かす。そういう思考の最中、どばっとアドレナリンが出た。
思えば、ちいさいころから小説を読むことはあっても、そこまでのめり込めなかった。作家になりたいと思ったこともことなかった。
では、新聞記者やジャーナリストはどうなのかというと、憧れたことはあったが、過酷な生活を強いられそうなイメージがあって、一歩踏み出すことができなかった。
これまでの新聞を読む習慣、新聞作りに熱中したことやnoteを試行錯誤しながら書いてきたことを踏まえても、ぼくの好きなことは「読むこと」そして「読者にメッセージを伝えられるベストな方法を考えること」なんだと思った。
ラジオ番組の収録ではそんなことを、心の中で「誰が言ってるんだろう」と自分にツッコミを入れながら話した。
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編集者を名乗るにはあまりにも未熟な立場なのは百も承知だが、そんなこんなで今、編集者の肩書きを背負っている。
まだまだ編集者としてのキャリアは浅く、「編集者の仕事」という本があったら、おそらく目次すらも読めていないような段階に、自分はいる。
それでも、毎日書き手から送られてくる原稿に目を通し、頭を悩ませながらも「こんなに面白い仕事に出会えるなんて」と驚いている。
11月、朝晩がうんと冷え込むようになった金曜日の夕方、ふらっと立ち寄った書店で本や雑誌を眺めて「ここにある書籍のすべてに編集者が関わっているのか」と、ふと思った。
編集者とは何だ。何を考え、どうやってものを作っているのだ。
旅行誌とビジネス書の本棚の間を歩きながら、20年前コーヒーをすすりながら新聞を読んでいた少年は、そんな途方もない世界に直面している。