思いもよらず、約40歳年上の友人ができた話
タイトルは「友人ができた」という表現にしたけれど、実際には、高校時代の恩師とひょんなことから、一対一で飲んだ。サシ飲み。
高校を卒業してから、13年。
「生徒と先生」という関係では生まれなかった気づきがあって、これは記憶に残しておきたいなと思って綴ることにした。
きっかけはFacebookの投稿。
高校1年と3年の時、2年間担任をしてもらったB先生とは、Facebookで繋がっていた。
B先生は、偶然にも原田マハさんの「<あの絵>の前で」にまつわる投稿をしていて、思わずコメントをしたことから久しぶりにやり取りが始まった。
その本きっかけで行った「夏のひとり旅」からちょうど帰ってきたばかりのわたしは、興奮冷めやらぬテンションで、
『この夏、直島の地中美術館行きました!
とても素晴らしかったので、先生もぜひ!』
と、コメントした。
すると先生から
『直島行ってきたの?素敵!さすがわたしの教え子だ!』とコメント返しが来て、
そこから、Facebookのメッセンジャーに場所をかえて色々と近況報告をしていると
「おかき!今度飲んで語ろう!人生について」と誘われた。たまたま先生の住む最寄り駅まで行く予定があったので、それに合わせて再会を果たすことに。
私たちを卒業させると同時に、定年より少し早く退職したB先生。先生は国語の先生。言葉にこだわる先生であり、学年主任もしていたこともあり常にズバッと物を言うイメージの少し怖い先生でもあった。でも、教育的な愛情が深く、素敵なおばちゃん先生だった。
当時、先生が言っていた言葉で印象に残っているのは、『どんな時に怒るかで、その人の人格が分かる』というもの。
(だから何に対して怒るか、は大切だし、些細なことに怒るのは器が小さいが、大切な時はちゃんと怒らないといけない。正しい正義感を持て!正当な怒りは大切!という教え。最近は、怒っていることを紐解くと、自分や相手の価値観がはっきり見えたりもするなと思う。)
※( )はあくまでわたしの解釈
あとは、『本棚には、その人が現れる』
「夜と霧」は人生で必ず読んだ方がいい。
「夜と霧」が本棚に置いてあったら「おお〜と思う( から読まなくても良いからとりあえず持っておけ笑)」みたいな雑談まで。
数年前だけど、その言葉をふと思い出して
「夜と霧」は、しっかり読了した。作品を通して見えたものを、今もしっかり胸に刻んである。
そんな感じで、B先生はじめ、わたしはこれまでの人生で、良くも悪くも「先生」という存在にたくさんの影響を受けてきた。
小学校の先生のすすめで、クラリネットをはじめたし、音楽が大好きになった。中学校の先生のおかげで(←)数学がちっともわからなくなった(笑)高校の恩師の言葉は時折、頭をよぎる。
そして、なんだかんだで「先生」という道を選び、今に至る。
そんなわたしが、教員になり8年。
校種は違えど、高校時代の恩師と飲みに行く未来が来るとは。こんな未来があるとは、思いもしなかった。
たくさん話をする中で印象的だったこと
B先生曰く、
「君たちはそんなこと感じていないと思うけれど、現役教師時代あんなに偉そうに立派なことを話していた手前、退職してからも、ぐうたらはできなかった」「教え子に会った時に胸を張れる自分でいたいと思っていた」と。
この感覚、
わたしも教員になってからよく分かる。
結局、「先生」という職業は自分のことは棚に上げながら「理想」を語り、より良い道を指し示すために、時には「立派なこと」を言い続けなければならないことが多い。「自分のことを棚に上げて」というのが強調したいところで。
それに対して、全く違和感がない人もいるかもしれないけれど、わたしは常に「自分だって出来ていないけどね」とか「自分だって、まだまだだけどね」という思いを隠しつつ、子どもたちの前に立っている。語っている。
あんなに気が強そうで、チャキチャキしていてハッキリした物言いで気丈に生徒たちと接していたB先生も同じようなことを思っていたのか、と。
わたしも「教え子に胸を張れる自分でありたい」と思いながら、時折、卒業生のことやこれまで関わってきた教え子たちを思い返すことがある。
だから、B先生の言葉にとても共感したのだ。
「先生っていい仕事だよね」
「結婚や出産を焦るのは当然、当たり前よ~」
高校教師として見てきた、進路指導や受験の話、トランスジェンダーの話、先生が教員を辞めようと思ったときの話、子育てや娘さんの話、結婚とは何ぞや、二度の結婚などなど。
絶対に「先生と生徒」では聞けなかったこと、
話せなかった話をいっぱいした。
「教えを受けた」というより、たっぷり語り合った。授業をする側、受ける側ではなく、たくさん笑い合い、おしゃべりした。
B先生はどんな気持ちで、教え子であるわたしとのひと時を過ごしてくださったのだろう。
わからないけれど、わたし自身はなんだかとっても不思議で、嬉しくて、照れ臭い、そんな素敵な時間を過ごした。
B先生は退職してから、たくさんの山に登っていて、百名山も制覇したそうだ。
そんな様子をFacebookで見てるから、
「先生はアクティブで、ご友人がたくさんですよね〜」って言ったら「山友達と普通の友達はちょっと違うの。だから友達は少ないのよ〜」
「おかき!友達になってくれない?」と。
たしかに、先生と生徒の関係では話せない話をたくさんして、美味しいね〜と食事をしてお酒を飲んだ。先生のチャーミングな一面やナイーブな一面も知った。「これはもう友達なのでは?」とおこがましくも感じたので
「もちろんです〜!笑」と答えた。
先生は、もちろんいつまで経っても「先生」なんだけど、ちょっぴり「友人」みたいな距離感も生まれた私たち。
今度はぜひB先生と一緒に山へ登りたい。
高校時代は予想もしていなかったけど、
こうしてわたしは約40歳年上の恩師と
友人になった。
教員になって9年目。
ずっと教員を続けていたら、
教え子と友人になる世界線が
わたしにもやってくるのかも、なんて。
今は、まだ想像がつかないけれど。
今は、子どもたちの未来に思いを馳せながらも、結局は日々、笑ったり怒ったりイライラしたりやるせなかったりガッカリしたり喜んだり、一喜一憂しながら目の前の子ども達に関わっていくことしかできないけれど。
目の前の子どもたちの、その先に一人一人のより良い未来が待ってますように、と祈りながら、わたしは明日からも子どもたちの前に立ちたい。
恩師のような、生徒に対する教育的愛情を持ちながらあと何十年もこの仕事を続けていけるかわからないけれど、教員を続けた先に、思いもよらないこんな未来がもしかしてあるのかも!と思うとちょっぴりワクワクする。
高校生のわたしに話しても、きっと
びっくりして信じてもらえないような
最近できた友人の話でした。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
お時間がありましたら
こちらもお読みください♪
📍小学校教員としてのあれこれ
📍夏の瀬戸内海ひとり旅の思い出
夏のひとり旅に引き続き、
またしてもわたしに素敵なご縁を繋いでくれた
この本との出会いにもあらためて感謝。
ちなみに…
おしまい。
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