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未来なんて無いと、思っていたけれど。

ミキサーボウルの中で、砂糖と空気をふくんだバターが白っぽくなっていく。
それに少しずつ卵液を加えながら、乳化する様子を見つめているとき、ふと、"わたしは、どうしてここにいるのだろう?"と思うことがあります。


今、わたしは京都で暮らしていて、お菓子づくりに携わる仕事をしています。
生まれ育った大分から遠く離れた京都。
ここは、"好きだから"という理由だけで、うつり住んできた町。
そして製菓の仕事も、京都への転居にともない、全くの未経験から飛び込んだのです。

こうして書くと、行動力があるように思われるかもしれないのですが、そんなことはありません。
むしろ、若い頃は目標もなく、将来のことなど思い描けないばかりか、無くて良いとすら思っていたのです。


子どもの頃、世界のどこにも自分の居場所が無いと感じていました。
自分の気持ちが、ことばが、伝わらない。
人とうまく関わることができない。
そんな悩みを抱えていて、特に学校の中での居心地が悪かったのですが、勉強をすることは好きでした。
成績が良いと、先生や家族にほめられます。それだけを心のよりどころにして、"良い子、勉強ができる子"であることに、自分の存在意義を見出していたのです。

でも、無理をして、心に蓋をし続けることはできないものです。
中学三年生のとき、学校に行けなくなりました。
自宅で受験勉強を続け、志望通りの高校に進学したものの、そこにも通えたのは二年生の夏までです。

もう、消えて無くなってしまいたい。
そんなふうに思うことが増えていき、気がつくと、学校に行ける状態ではなくなっていました。
机に向かうことも叶いません。

悲しい、苦しいという気持ちすら感じなくなった空っぽの心の中で、わたしから勉強を取ったら、わたしの中には何も残らないな、自分が存在している意味って何なのだろう?と考えていたことを覚えています。


それから数年間のことは、今も記憶が曖昧なところがあります。
将来のことなど考えられず、その日暮らしだった日々。

あるとき突然、"このままだと、いけない"と思い立ち、高校卒業程度認定試験に向けて勉強を始め、無事に合格しました。そのことをきっかけにして、少しずつ社会に出ていくようになります。

二十歳のときに、アルバイトとして医療関係の職場に入ったのですが、そのときも確たる目標があったわけではないのです。
ただ、働かないといけない、これ以上家族に迷惑をかけ続けるわけにはいかない、という気持ちが強く、自宅から近いから、という理由で求人募集に応募しました。
結果的に約八年間そこで働き続けることができたので、自分に向いている仕事ではあったのでしょう。

欠勤することなく日々勤務していましたが、心の中には常に空虚さがありました。
お休みの日には自宅にこもりがちで、本を読んだり、音楽を聴いたりすることはできていましたが、それ以外のことでは、自分が何が好きなのかよく分かりません。
食べたいものも、行きたい場所も、見つからない。
眠ってすごす時間も、長かったのです。

でも、母に誘われて旅行に出かけた京都では、不思議と心を動かされる瞬間がありました。

糺の森の中を歩くとき。
小さな本屋さんで、静かに本と向き合うとき。
長い時間を重ねた喫茶店の空間の中に、身を置くとき。

いつしか、"また来たい"ではなく、"ここで暮らしたい"
という思いが芽生えます。
そして、そう思えるようになった頃、ようやく、生きていると楽しいこともあるのだ、と感じられるようになったのです。そのとき、わたしは三十代を目前に控えていました。

紆余曲折の末に引っ越してきた京都で、どんな仕事に就くべきか。
それは、これから自分がどんなふうに生きたいのかを、問うことでもありました。

"そういえば、幼い頃は、手を動かして何かをつくることが好きだったな。誰かの笑顔につながるようなものをつくる仕事がしたい。自分がつくったもので、幸せな気持ちになってもらえるような…。"

そう考えてたどり着いたのが、製菓の仕事です。
華やかな職業と見られがちですが、実際は地道な手作業の連続で、重たいものを持つことも多い体力勝負の仕事です。はじめて正社員としてフルタイムで勤務するということもあり、慣れないうちは、すっかり疲れ果てて帰宅していました。
しんどいことも多いですが、それでもこの仕事が好きだと思えるのは"つくること"が好きだから。
そして、自分がつくったものを口にして、美味しいと思って下さる方がいるからです。

子どもの頃の自分に、"大人になったら、京都でお菓子をつくる仕事をしていて、日々の暮らしの中に好きなことがたくさんあるよ"と話しても、きっと信じてもらえないでしょう。
なにしろ、今のわたし自身が、ときおり信じられないような気持ちになるのですから。

未来なんて無いと、いらないとすら思っていたのに。
想像もしていなかった場所にたどり着いたことに、生きていくことの不思議さを感じるのです。



最後まで読んで下さり、ありがとうございます。 あなたの毎日が、素敵なものでありますように☺️