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缶コーヒーと兄

2つ上の兄がいる。両親からここ25年くらい「本当は優しい子なんだよ」と言われ続けている兄である。

私は兄と会話をしない。兄が中学以降、家の中で喋ることがほとんどなくなったからだ。ただ無口になっただけで特に非行に走っているわけでもなく、はたしてグレたといえるのかはよくわからない。

ご飯の時間になれば一緒に食卓を囲むし、一緒にリビングで『笑う犬の冒険』も見ていた。でも食事中に兄が自分から話し出すことは一度もなかったし、どんなにはっぱ隊やセンターマンが面白くても兄が声を出すことはなかった。もしかすると兄は家の玄関で靴と一緒に声帯を置いてきていたのかもしれない。

幼い頃から兄を見て良いものは真似していこうという次男の特権をフル活用した生き方をしていた私は、兄という情報源が少なくなって戸惑った。どのくらい校則を破ればかっこいいのかとか、真似して始めたバスケはどのくらいのやる気でやればいいのかとか、そういうことを全て兄を参考にして決めていたからだった。

兄が学校でいじめを受けたりしてないか?と心配した父に聞かれたことがあったが、少なくとも私が見る限りそんな様子はなかった。兄は学校ではおとなしいながらもそれなりに受け答えをしていたようで、むしろなぜかいつも周りから人気があった。

兄はほぼ喋らないのになぜ友達が多いんだろう。たまにボソッと喋る言葉が面白く松本人志的なワードセンスを持っているのだろうか。校舎の中ですれ違う兄はいつも友達に囲まれていて、私はそんな兄が不思議でならなかった。

私が中学1年生の時、3年生のNさんという女子から呼び出されたことがあった。Nさんは1年生に妹がおり、妹経由で私に「放課後に図書室まで来てくれませんか」という手紙を渡してきたのだ。

なぜ私が?まさか愛の告白を受ける?と鉄板のシチュエーションに一瞬淡い期待をしたが、冷静になりその可能性はないと踏んだ。Nさんは明るく社交的なクォーターの美人で、私の学年にもファンがいるような有名人だったからだ。そんな人がいつも教室の隅で本を読んでいる私になんの用事があるのか。なにかNさんの気に障るようなことをしてしまったのだろうか。

緊張しながら図書館に行くと、Nさんは私とまともに話すのは初めてだというのに「ねえねえ」と一気に詰め寄り、私の兄のことが好きだということ、それから兄ともっと深い話をしたいのだけど兄はどんなものが好きなのか知りたいということをグイグイと質問してきた。なんてまっすぐで照れがない人なんだろう。なにより、なんで兄なんだろう。

もちろん私は兄と会話をしないので、兄がなにを好きなのかと聞かれても正直困る。Nさんは兄と深い話をしたいと言うが、それは猫に日本語を教えて会話するくらい難しいことだと思う。僕ならいくらでも話すので僕にしておきませんか。ダメだ。Nさんのキラキラしたきれいな瞳が私の目をまっすぐと見つめていて、そんなことドギマギして言えなかった。

なんとかちゃんと相談に答えなきゃいけない。私は必死に思い出して、「兄ちゃんはミスチルと缶コーヒーが好きだと思います」とひねり出した。そういえば兄の部屋からはよくミスチルの曲が聞こえているし、家のゴミ箱にはいつも兄の捨てた缶コーヒーの空き缶があった。

その後、Nさんと兄がどうなったのかを私はよく知らない。あんなきれいな人から好意を寄せられる兄が羨ましかったし、そんな兄が飲んでいる缶コーヒーをカッケーと思った。私は当時まだ牛乳と砂糖をたっぷりといれないとコーヒーを飲めなかったので、兄の缶コーヒーは大人の飲み物のような感じがしたのだった。

私は兄と同じ高校に進学した。家から近い進学校だからというのがその理由だったが、どこかで兄の背中を追わなければという気持ちがあったような気もする。

でも同じ高校に入学したからといって兄のような人気者になれるわけもなかった。バスケはなんのためにボールをカゴに入れ続けないといけないのかわからなくなって辞めたし、私は教室の隅の方で自分だけの世界に入っていることが多かった。

一方、兄はバスケ部で青春街道のど真ん中を歩いていた。どうやら付き合っている彼女もいるらしい。最後の引退試合に彼女が応援に来て手作りのミサンガを渡されていたらしい。どの少女マンガの話だろう。兄に関する情報は周りから集めるしかなかったが、話に聞く兄はみんなから愛されているようだった。

普段は放牧スタイルの教育方針であるわが家だが、父がおそらく唯一兄にものすごく怒ったことがある。それは大学受験の大詰めの時期で、兄が自分の志望校を全然言わず、受験前の最後の三者面談で東北の大学に行くつもりだということがわかったからだった。ここは長崎であり、そんなに遠い大学を選ぶのはおそらくそれなりの理由があったのだろう。

あの時どのような話があったのかは知らないが、結局兄は本当に東北の大学への進学を成し遂げた。兄は私と違って決めたことはきちんとやる。ただいつもその決めたことが事前にわからないだけだ。部屋に籠り、深夜までミスチルを聞き続け、缶コーヒーを捨て続けていた。私はミスチルの歌をほぼ音漏れで覚えてしまった。

兄がいよいよ東北へ向け家を発つ日、私が部活動から家に帰ると、私の机の上に見慣れた缶コーヒーが1本置いてあった。手紙もメモもなにもなかったが、それは兄から私への置き土産のつもりなのだろう。相変わらず言葉にしてくれないので兄なりの応援だったのかはわからない。私は缶コーヒーのプルタブを開け、それを初めて飲んでみた。

……甘い。なんだこれ。微糖と書いているのでほぼ甘くないものだと思っていた。なんだ、兄はこんな甘いものを飲んで大人みたいな顔をしていたのか、と思った。

兄と普通に話ができるようになったのはいつ頃からだっただろう。お互い就職をして社会の荒波にもまれたり、結婚という親族へたくさん話をしないといけないイベントを乗り越えていくうちに、少しずつ兄と話をするようになってきた。春になって雪が溶けるように、私の兄に対するコンプレックスが溶けていき、兄の凍り付いた口も動き始めた。

兄は基本的に口数が少ないところは変わらないが、聞き役に徹してこちらの話を興味を持って聞き、いろいろと質問をしてくれる。どんな考え方も否定をしない。そしてたまに両親の還暦祝いをどうしようかとかこちらを頼って相談をしてくる。なるほどこういうところが周りから好かれる理由なのかと思った。

兄はいつか私が「周りがみんなゴルフをしてるからゴルフを始めないといけないかなあ」と何気なく言ったことを覚えていて、使わなくなったゴルフクラブをくれた。受け取りに行ったその日は兄が私の娘にパターを教えてくれて、こどもたちもすっかり兄に懐いてしまったのだった。

兄はとても優しい。惚れてしまいそうだ。




#想像していなかった未来

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