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まさか自分の子供が不登校になるなんて

#想像していなかった未来

2人目の娘が生まれた

娘はとても母ちゃんっ子だった

小学一年生赤いランドセルを背負って

普通に学校に行くのが当たり前と思っていた

その頃我が家は不安定だった時期と重なっていた

きっかけは一年生初めての音楽会

キーボードに選ばれた

娘はピアニカが良いと言った

すごく感受性が豊かで敏感だったのだろう

音楽会はきっかけにすぎない

その後は体育の授業の時男子と女子

一緒に体操服に着替えないといけない事になっていた

その事も本人は嫌だったみたいだ

特にいじめられたとかではない

学校に行きたくないのだ

音楽会の事を先生に相談して

娘はピアニカにしていただいた

音楽会を機に登校をしぶるようになり

主人とも意見が合わず

家庭が闇に包まれ出した

主人は転職を繰り返す

娘は不登校

私の心が壊れかけていった

学校に休みますの連絡

先生が家に来て

無理矢理車に乗せて連れて行く

校長先生からの呼び出しで

校長室で言われた言葉

「娘さんは怠けています」

「問題児ですね」

涙が溢れて止まらなくなった

自分の事ではあまり泣かないのに

娘の事を言われると

とめどなく涙が止まらなかった

カウンセリングも受けた

その間

学校に少し顔出すだけとか

私の職場に連れて出勤したり

私の父母に協力してもらったり

保健室登校を私も一緒に行ったり

みんなに協力してもらって

とても1人では乗り越えられなかった

本人が1番辛い

私の父母がネットを調べて

ウェーブの会という不登校で悩む

親や子供を支援する

議員さんがホームページを出していた

これだ!

私は議員さんにお会いして

お話しを聞いていただいた

議員さん「今まで頑張ってこられましたね」

ねぎらいの言葉をくれた

私は張りつめていた糸が切れるように

泣きじゃくった

議員さんは不登校の児童が通う

フリースクールを教えてくれた

私は「行けるんだろうか?」

不安もあったが

ある小学校の中にある教室で

中学生のお兄さんお姉さんが通って来ている

娘は小学五年生になっていた

異例だが受け入れをしていただいた

大学生のボランティアの人達が

勉強やクッキー作りや

先生達と卓球をしたり

少し遠出をして馬と触れ合ったり乗ったり

少しずつ 少しずつ

ある時期からフリースクールに

娘はバスに乗って1人で通い出した

相変わらずランドセルは綺麗なままだ

トートバッグを肩にかけ

通う娘

少しほっとする私

スクールに通うと学校の出席日数になる

6年生になると

小学校の保健室登校が先生の協力で少しずつ

増えていった

給食の時間だけとか飼育小屋のうさぎを見に行くとか

用務員さんとも仲良くなって

給食の時間はクラスの子供たちが

一緒に食べようと

広い部屋でみんなで食べた

卒業式は

1人の卒業式

先生方が集まってくれ

卒業証書を渡してくださった

そして仲良くしていただいた用務員さんと

一緒にいる時学校の写真を撮っていたらしい

それを用務員さんは卒業アルバムにして

手作りの卒業アルバムを手渡してくれた

私は胸が熱くなり涙が出て止まらなかった

「ありがとうございます」感謝をし

頭を下げた

用務員さんは娘をぎゅっと抱きしめた

中学校の入学式に制服を着て出席をした

入学式がきっかけとなり

それからは中学校に通えるようになった

制服に着替えて

娘「行ってきまーす」

私「行ってらっしゃーい」

行ってきます

行ってらっしゃい

こんな日が来ると思わなかった

中学生になって友人にも恵まれた

高校に入学し卒業した後ダンスの専門学校に
入学して研修でロサンゼルスまで行く事に

私のほうが心配で心臓が飛び出しそうだった。

「長い長い時間 飛行機に乗るねんでー!
 生きて帰って来てー」

大げさかもしれないですけど💦

そのぐらい心配でした。

その後卒業し好きなダンスをしながら

就職もした

好きな人も出来た

今でも同じ人と付き合っている

娘が1番辛かったけど

私も成長出来たかな?

まさかの経験だったけど

今が幸せで良かった

生まれてきてくれてありがとう


#エッセイ


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かずみん
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