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下を向いていた日々から、前を向いて歩き出すまで


皆さんこんにちは😆
ららです。


今日はマイナビ × note さんのコンテスト企画 #想像していなかった未来 、に基づいて自分の体験を書かせて頂こうと思います。


よろしくお願いします☺️🙏
(当該記事はこちらからどうぞ😊)



これは僕が、絶望のどん底から希望を持って這い上がるまでのお話です。



少し昔のことになります。
自分で言うのはちょっと恥ずかしいですが、僕ららは割と幼少期から勉強ができる方で、人当たりもよく、運動もサッカーを中心に頑張っている、いわゆる「模範的」な子供でした。


小学校生活では色んな場面で他の子供の見本とされることも多く、先生からも背中を押された僕は中学受験をし、地元の友達とはお別れをしました。その後多少勉強の苦労はあれどエスカレーター的に上がった高校では、学年で最も頭のいいクラスに入ったり、部活動のキャプテンを務めるなど、大きな失敗挫折もなく大学入学を迎えるという至って問題のない人生を過ごしてきました。


コロナ禍での入学だったため、初めてのオンライン授業に大学側も生徒側も少し困惑しながらのスタートでしたが、一緒の高校から来た友人も多く、流行りだった「オンライン飲み会(お酒は飲まず楽しく喋るだけ)」をしたり、離れた友人ともゲームなどで話すことが多く、広がってはいなかったけれど友人関係学校ある程度上手くいっていました。


しかし段々とコロナが収まり、オンラインだったものが対面に移行してくるタイミングで、僕は学校の帰り道、車に轢かれ全治2ヶ月ほどの怪我を負いました。


怪我自体はそこまで酷くはなく、今も少し首の違和感が残ってるくらいで、五体満足だし、大きな後遺症もありません。なので色んな人がサポートをすると言ってくれたのに、僕は「大丈夫!1人でなんとかなるよ」と言って、早くいつも通りの生活をしようと、無理をして見栄を張ってみんなに答えていました。


しかしこの一言が、僕の人生をただ沈んでいくだけの地獄の沼に突き落としてしまいました。



事故にあってからは毎日家で寝たきり、起きてはリハビリに行くという日々。学校も休み、怪我の治療に専念するだけの毎日で、誰とも関わることの無い1日を過ごすことが多くなってきました。


怪我で自由に手も動かしづらい状態だったためやれることもそんなになく、ただスマホ天井を見るだけのつまらない毎日。
そんな日が続くと、少しずつ、少しずつ、何かをするエネルギーが無くなっていき、次第に病院にも行かなくなり、ご飯さえUberEATSに頼むように。


みんなの見本だった僕は、気づけば何もしない、何も出来ない廃人のような姿になってました。



日に日に細くなっていく身体。

食べ物のゴミで散らかっていく部屋。

出前の取りすぎで抑えられなくなった物欲におかしくなっていく金銭感覚。


誰かに助けを求めないと、もうひとりじゃ何も出来ないところまで僕は落ちていました。


でも、出来なかったんです。

1人で出来ると言ったから。

今まで上手くいっていたから。

20歳を超え自立しなければいけない歳だったから。

親が誰かに頼るところを見たことがなかったから。


人と関わりづらい環境が続いたからなのか、僕の中にあったしょうもないプライドのせいなのか、誰にも気づかれず、親や友人にも頼れず、気づけば事故から1年ほど経っていました。


その間はずっと頭の中でやり直したいと思う日々。
事故に遭う前なのか、大学入学前なのか、分からないけどこうなる前に戻りたいと。
だって今からじゃ、楽しい未来なんて待ってないと、当時の僕はただやってくるだけの無駄な明日に絶望していました。


結局僕は大学を留年になり、春休みに実家に帰って過ごすことになりました。その時、ようやく親にどんな生活をしていたかが気づかれました。

思いもしてなかったんです。
僕がになっていたなんて。



そこから、治療を通して、少しづつ規則正しい大学生活をするためのリハビリが始まります。


毎日3食食べて、外に出て、規則正しく寝る。
みんなは普通に出来ていることだし、僕も以前は出来ていた。しかし当時の僕はそれさえ出来なくなっていたので、まずはその基本的なところをできるように、の力を借りて継続を目標に日々を頑張りました。

初めは外に出ると身体が上手く動かないような感覚があり、この1年で落ちきった体力のせいもあって、1時間外にいるだけでしんどい毎日でした。


何度もやめたくなった。逃げ出して、また別のスタートをって思ったけれど、それでも踏みとどまって立ち向かえるように親がいつも連絡をとったり、こっちまで来てくれたりとサポートをしてくれました。


友人にもその事を打ち明け、力を貸してくれるようになり、近くにいる友達だけではなく、中には離れていても気にかけて連絡してくれる友人も。


ここまで来てようやく、周りに自分のことを気にかけてくれる人がいることに気づきました。みんな事故にあった日からずっと心配してくれていたんです。「たまに話しても、元気ないように見えた」って言って、ちゃんと気づいてくれていた。


僕だけだったんです。
僕だけが、周りを見ずに無理して、1人で抱え込んではパンクして。


その時の感情は複雑でした。
人に助けを求められなかった自分への不甲斐なさ
自分自身の力量を見誤ってたことへの情けなさ
周りに迷惑をかけたことへの申し訳なさ
みんなが味方してくれることへの有り難さ


色んな感情がぶつかって、精神的にも疲労する日々でした。しかしそうして、1歩ずつ1歩ずつ元に戻って歩いてきた僕は、約1年弱かかって、ようやくその治療を終え、前のような自分に戻ることが出来ました。



今こうしてnoteを書いている僕は、毎日学校バイト私生活に、全てが楽しく充実した日々を送ることが出来ています。


2年前の自分は、今のこの姿を想像することなんて出来ませんでした。


助けを求められず、1人で何とかしようとしていた。
明日への希望も持てないような毎日を過ごしていた。


ただ、親、友人のサポートがあったからこそ、そんな絶望の中から今こうして楽しい未来を掴むことが出来たと思います。本当に周りの人達には感謝しかありません。


今、この明るい日々が僕の想像していなかった未来です。


この経験は別に特別な事じゃないと思います。
誰にでもあって、誰しもが通る道だと。


だから、どん底から助けられた自分が今度は助ける側になりたい。絶望の中で1人きりの人に、明るい未来があることを伝えていきたい。この経験を通してそう誓いました。

もし、これを読んでくれている人に、毎日がキツかったり、なんで生きてるか分からなかったりする人がいたら、聞いてください。


に、友人に頼っていいんです。もしそれが出来ないのなら、こころの健康センターのようなところに頼ってもいいし、なんならに言ってくれても大丈夫です。
とにかく誰かに話をしましょう。今自分がどういう状態で、どんな気持ちで、どうしたいか自分からだと見えないことが必ずあります。そのために第三者に絶対に意見を貰った方がいいし、サポートまでお願い出来そうなら助けてもらいましょう。
助けを求めるのは何も恥ずかしい事じゃないです。自分が自分と向き合ったからこそ、人は壁に阻まれるんですから。

この経験を通して僕はそう思いました。
これを読んでくれた人が、少しでも自分自身の楽しい未来について思いを馳せるきっかけになってくれたら嬉しいです。

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