中卒ヤンキーに育てられた私が教員になった話
七海恋です🩵✨️
私は中卒ヤンキーの母親と、
中卒ヤンキーで龍の刺青が入っている母の彼氏に
育てられ
すくすく大きくなりました🤣🤣
だから、私は何となく
自分も周りの大人と同じように
18歳とかで家出て、
23歳とかで子供産んで、
トラックの運転手とかやりながら、
ギャルのママになっているんだろうな〜
なんて思っていたんです🤣
そういう世界しかしらないのですから。
人生の最初の転機は
部活動の先生との出会いでした。
私は部活動で、
バレーボール部に入りました。
とんでもなく厳しく、
髪の毛の長さは3センチ🤣
この頃から、ギャルに全く興味がなくなっていき、
バレーボールにのめり込むのですが、
普段の素行が悪すぎて、
練習に参加させて貰えなかったり、
1年生チームにすら
レギュラーとしていれてもらえなかったり、
周りとの技術の差はどんどん開いていって、
土日を全てチームの応援に費やす日々でした。
それが悔しくて仕方がなかった私は、
自分の素行を見直し改善していくことを決意します。
(まあ、現実は難しかったのですが🤣)
この時の顧問の言葉が
今でも忘れられません。
私はこの言葉を受けて、
悔しい。教員という同じ土台に立って、見返したい。
という気持ちと、
ここまでしていただいているのに申し訳ない。
ヤンキーの世界しか知らなかった私に
色んな世界を見させてくれて、
私の無限の可能性を広げてくれている
顧問の先生に恩返しがしたい。
今度は、私と同じ思いをしている子どもたちの
無限の可能性を広げてあげられる教員になりたい。
これは、きっと私にしかできない。
と思ったことがきっかけで、
教員を志し、勉強をすることになりました。
というか、
そもそも私は
勉強をやる意味をみいだせていなかっただけで、
そんなに勉強が嫌いではないんです🤣
勉強ができても、
何も自分に還元されなかったので、
してこなかったんです。
逆に、勉強ができると、
塾に行っている子を傷つけてしまうし、
家で一生懸命頑張っている子に嫉妬されてしまうし、
なんだかクラスの居心地が悪くて、
名前だけ書いて無回答でテストを提出していたりしていたんです。世間舐めてますよね…。
だけど、
そのほうが、居心地が良かったんです🤣
だけど、
中学校高学年ともなってくると、
全く勉強をしていなかった私は、
基礎が身についておらず、
勉強では苦しい思いをしました💦
そんな中、
母親が、
と言ってくれて、
何とか私立でも安い学費で、
制服などをお下がりで貰えるような
私立の高校に単願推薦で入学することになります。
母親は、愛着障害者だし、
中卒ヤンキーではあるけど、
地頭が良かったのと、体力と根性があった……。
本当にありがとう……。
マッマの言う通り、
私は高校生になると、
怖すぎた母親の彼氏がうちに帰ってこなくなったことをいいことに、
深夜2時まで自宅で地元の男友達と遊び、
他中出身のヤンキーと
夜な夜な川で火遊びをするようになります😭
お嬢様お坊ちゃんが集まるような学校に
居場所はなく、
大好きなバレーも怪我で上手くできなくなり、
何とかそこで寂しさを
埋めようとしてしまっていたのです。
しかし、
道をはずれすぎると、
厳しい私立高校がなんとか道を戻してくれるので、
なんとか問題児ながらも卒業することが出来ました🥹
いちばん大変だったのは
大学受験でした。
うちの家族はみんな、
大学受験なんかしたことありません。
ですから、何もかも分からないのです。
今思えば、みんな当たり前に
予備校や塾に行っていましたが、
私立に入れてもらっていることもあり、
うちにはそんなお金はありませんでした。
どれくらいお金がなかったかと言うと、
ご飯はふりかけご飯とチキチキボーンレベルでした🤣
だから、パン屋でバイトをして、
廃棄のパンを持って帰ってきて、食べていました🤣
(今より8キロくらい太ってました🤣🤣)
自力で何とか人並みに勉強すればどこかしらの大学にはいけると思っていました。
しかし、そんなに世間は甘くないんですよね。
もはや、受験生と同じ土俵に立てていない
ゴミみたいな生活😭😭
さらに、この時期に
まさかの母親の彼氏が他の女性と結婚してしまい、
体も心もボロボロな私は、
なんとなく勉強はしているものの、
入試前日に避妊に失敗して、
入試当日にアフターピル貰いに行ってるくらい
入試というか世間を舐め腐ってました😭
男の子と体を合わせている時は
母の彼氏のことを考えなくて済むし、
幸せな気がしていたのですが、
パン屋のバイトで得たお金を
せっかく入試の費用にあてたのに、こんなザマで、
さらにはアフターピルで相当なお金がとんで、
相当悔しく、
もう、病んでる自分を終わりにしたい
なんとか変わりたいと思ったのです。
2回目の人生の転機は
受験した大学の付属短期大学からの手紙でした
その短期大学には私の地元から通えないので、
寮生活をしながら通うことになります。
大好きな地元を離れることは辛いですが、
夢のためと決意し、
なんとか離婚したパパに
お金を払って貰えるよう協力を促し、
不合格の大学への編入を目標に
短期大学に入学します。
私が入学した学部は、文学部なのですが、
文学部に来ている女の子たちは、
アニメやゲームが好きな子達の集まりでした。
今思えばコミュニケーション能力に課題がある子が
集まっていたように感じています。
そういった子達は、
陽キャへの不信感や憎悪感がとても強かったです。
きっとたくさん傷つけられたのだと思います。
それでも頑張って
アニメやゲームを勉強しましたが、
陽キャで、にわかな私は虐げられ、
皆となかなか馴染むことが出来ず、
結局、地元にしょっちゅう帰って
地元で彼氏と同棲し始めてしまいました😭
1年目に取れた単位は8単位🤣
編入学は絶望的でした😭
もう、
お金を払ってくれてる母親が
ただただ可哀想な状況でした😭
母親とも沢山喧嘩しました。
ところが、
その彼氏と別れて、
短期大学の男の子と付き合ってからは
その男の子と半同棲を始めて
軌道に乗り始めます🔥
まずは学校に居場所を作ろうと、
得意なスポーツのサークルに入り、仲間を作り、
暇さえあればカフェテリアで勉強をした結果、
卒業単位を全て取得でき、
他の大学への編入学を決め、
無事に卒業することが出来たのです🥹🥹🥹
そこから、
スポーツクラブや
中学校で学級支援員のバイトをしつつ、
予備校にも通い、
教員採用試験の勉強をしながら
単位を取得していく平凡な
大学生活を着々と送っていくのですが、
教員採用試験前日に、
熱を出してしまい
コロナの検査を受けました😓
当時は、コロナの検査結果が出るのに時間がかかり、
陰性がわかるまでは陽性者と同じように自宅で過ごさなければいけなかったのです。
教員採用試験には行くことが出来ませんでした。
ところが、
都内の中学校から
「産休代替を探している」と連絡があり、
卒業と同時に、
念願の中学校の先生デビューを果たします😭🙏
その二年後、
激務の中、担任業を兼任しつつも、
可愛い子供たちのため、
夜遅くまで業務をこなしながらも、
毎朝早く起きて勉強するなど努力を重ね、
無事採用試験に合格し、今の自分があります。
こんな未来、誰が想像したでしょうか。
部活動の顧問、
母親、
パパのお金、
当時の彼氏、
可愛い子供たち。
様々な人に支えられて、今の自分がいます。
子供達には誰にだって
無限の可能性がある
私の人生がそれを証明しています。
その世界しか知らない子どもたちへ
今は見えていないだけ、
今は知らないだけで、
いろんな世界が待ってるし、
なろうと思えば、
本当になんにだってなれるんだよ
子どもたちの持っている無限の可能性を引き出すため、私は教員になりました。
もはやこのために生まれてきたんじゃないかとまで思っています🤣🤣
この初心を忘れずに、
これからも教員として、頑張って行きたいです🩵✨️