純文学は芸術!と考えて文章自体を捻って、比喩に凝ってみたりするところがだめなんだと思った。 語彙力は大事だと思うが、表現力ってそういうことじゃない。 自分を包む日常の何気ないものをどういう視点で切り抜くか、そこに意味をもたせるかが重要なのだと思ったが、実践は容易でない……。
文学界の公募は差別を寓意的に描くことがテーマだった。 新しい長編もテーマが決まった。それについての資料も集めてきた。知識の収集をしつつ話を組み立てる。 主人公は女性。夫や職場の同僚の女性との関係を中心に描く。
修正したところを再修正して、元に戻して……。ということを繰り返している。 推敲にここまで悩んだのは初めて。削らなきゃいけないのに、気づけば枚数上限に迫ってきている。 まだ時間はあるとはいえ、悠長にしているとあっという間に過ぎてしまうので、早いところケリをつけなければ。
来月末(WEB応募の場合は15日〆)に群像新人賞、12月に太宰治賞がある。 ここまで来たらどちらかには出したいと思う。どちらの賞も挑戦したことはないので、過去の受賞作を読むところから始まるけれど、群像は日程的に微妙か。 出身地を舞台にした小説を今のところは考えている。
タイトル問題。これだとぴんとくるタイトルが思いつかない。 英語とかでかっこつけると、自分でタイトルを覚えられなかったりする。 つまり読者にも覚えてもらえない。 エンタメの公募の方はなんとか決まったが、純文学の方が決まらない。 作品とはつかず離れず、覚えやすく。 タイトル迷子。
公募の小説の根底には差別があって。でも声高にそれを叫ぶのではなく、その中でもがいて生きる個人個人を描いた。差別も現実には存在しない差別なので、寓意的かも。 物語に預けて語ったことにリアリティがあるか。 どうしても物語を書きがち。書くのは人間そのもの。 分かってはいるけれど。
小説野生時代新人賞の応募完了。 まだ〆切まで二日あったけれど、早めに出しておく。 これで文学界の方に集中できる。 あと二週間ほど。その間に創作大賞の中間結果も出るし、モチベーションが上がる結果になってくれればいいのだけれど。
最近は呟くばかりになっている。 早く短編が書きたいな~と思う反面、純文学よりにシフトした頭をエンタメ方向に戻せるのかというのが不安。 「影裏」を再読しているけれど、レベルの差に打ちのめされる。技術、センスでは勝てない。なら、自分なりの文学を示すしかない。だがどうやって?
文学界新人賞の原稿を書き上げた。着地は原稿用紙換算約100枚。 想定よりはちょっと多かったが許容範囲内。 寝かせて推敲する。 明日からは小説野生時代の原稿の推敲を始める。 純文学とエンタメを行ったり来たりしているので、頭がバグりそう。