見出し画像

滲む ⑨【短編】


 わたしには父がいない。そんな事実を幼い頃から自然に受け入れていた。何故わたしには父親がいないのか疑問に感じることはあったにしろ、母や祖父母にしつこく訊いて困らせたりした記憶はない。でもわたしの記憶にないだけで、実際には母親や祖父母を散々と困らせるようなこともあったのだろうか。むしろその方が自然だろう。
 小学生の頃には、他所の家には存在するものがわたしの家にはないということは、きっとそれには何かしらの特別な事情があって、そのことについて子供は簡単に口に出してはいけないことなんだという風に、子供には子供なりに察する空気のような何かがあった記憶がある。
 他所の家族をみても、父親がいるということに羨ましさは感じなかった。でもいまにして思えば、そんな感情を押し殺していただけなのかもしれない。本当は寂しかったのだろうか。父親に甘える同い年ぐらいの子供をみて、羨ましくなったり寂しくなったりしていたのだろうか。そんなこともいまとなってはぼんやりとした記憶でしかない。
 一つだけはっきりと覚えている場面がある。小学校高学年のある雨の日のこと。塾が終わる夜の九時ごろ、雨が降る日は必ず父親が車で迎えに来る友人がいた。優しそうな印象の父親だった。車の中で甘えるような表情で父親の顔に自分の顔を寄せて、楽し気に何かを話しかけている友人の様子をみたときに、そういう家族の形があるのだということと、その友人にはあんな風に甘えることが出来る父親がいるんだと知ったことが印象的だった。でもそのときに感じたのは羨ましいという感情ではなく、わたしの日常では見ることがないものをみたという驚きに近かったかもしれない。どちらにしろわたしにとって、父親不在ということによる負の感情は、大人になったら憶えていない程度のものだったということなんだろう。
 父親の不在を寂しく思わなかったのは祖父母と暮らしていたせいもあると思う。祖父母はわたしにとても優しかった。優しかったというよりもむしろ甘かったと言ったほうが適切なような気もする。そのおかげだろう、経済的な面でも周囲に引け目を感じずに済んだ。もし母と二人だけで大阪に暮らしていたら、きっと家庭というものの暖かさや色合いの印象は随分と違うものになっていたようにも思う。経済的にも他所の家庭と比べて、何かと引け目を感じることが多かっただろう。幸い母や祖父母からの愛情に恵まれて暮らしていた子供の頃は、父親の起こした何かしらの問題のせいで家庭内の空気が良くないという他所の家の不穏なうわさ話を聞くことがあっても、そんな話はどこかの異世界で起きている浮世離れした話のようにしか思えなかった。

 中学生になって、ようやく乳房が膨らみはじめて、うっすらと陰毛が生えはじめた頃に初潮をむかえた。もうとっくに初潮をむかえて身体つきも女の身体に変わりつつあるクラスメイトが殆どだったから、そんな身体の変化をとくに動揺することもなく自然に受け入れた。
 こころはまだ幼いのに、身体だけが違う自分に変わっていこうとしているように思えた。ずっと子供のままでいたかったわけではない。でも、子供をつくれる身体になるといっても、そんな未来はまだ想像出来なかった。未来なんて想像しようとしても、ただとまどうだけだった。
 小学六年生のころには、好きな男子がいるとそっと教えてくれる友人もいた。ませた友人達は女と男が愛し合えば身体を重ねて互いの敏感なところを刺激しあい、最終的には固くなった男性器が女の身体に入ってくることを、そしてそれは例えようもないくらい幸福に満ちていて、想像出来ないような快感にとらわれるんだと、いかにも知ったかぶりの知識を披露しあっては楽しげに騒いでいた。
 そんな彼女たちの初恋の先にはキスやセックスといった愛を確かめ合う行為があり、その先に結婚があり、出産があった。わたしもそんな会話に興味がないわけじゃなかった。でもわたしは性に関する知識を知ったところで、それが自分の人生にどのような彩を添えるのか、それがどんな色で自分を染めていくのかを想像できるほどには成長していなかったんだろう。ハイブランドのアイテムを所有することで満たされる虚栄心や、社会的なステイタスを欲しがる名誉欲のような、大人にならなければ理解することが難しい感情があるのと同じように、その頃のわたしにとって恋愛や性はそういった類のものに似ていたのかもしれない。
 そんな様子で、初潮を迎えてからも恋愛についてはまだまだ奥手だった。もう多くの女子が済ませているであろう初恋もまだない。恋をする高揚感も多幸感も、失恋したときの苦しみも知らない。知識では知っていても、経験としての真の理解はまだ無い。
 休み時間に遊んでいたり、体育の授業で球技に夢中になっている男子生徒の中で誰がいちばん格好いいかと品定めする同級生に交じり、同じようにわたしも自分の好みにあう男子を探してみたりしたけれど、美的感覚に於いてこの人の顔が好きだとか、この人の快活さに魅力を感じるということはあっても、それが恋という身体の中から何かを突き動かそうとする得体の知れないエネルギーに結び付くことはなかった。恋人とか、愛の延長にあるキスとかセックスなんて、どこか自分とは関係のない世界で起きる、まるで白夜やオーロラのような自然現象のように感じたし、大草原を移動する遊牧民の生活と同じぐらい、その頃のわたしには現実感のない話だった。

 「おまえのお父さんは若い女をつくって、おまえと母さんを置いて出ていったんだ」
 高校生になったころ、祖母がわたしに言った。わたしはそれを黙って聞いた。
 それほど驚きもしなかった。わたしと母を棄てて家を出ていくのに、若い女をつくったというのは妥当な理由に思えた。女をつくったという言葉の意味は、もうおおよその想像がつく年頃でもあった。そしてその想像はあながち外れていなかった。
 「梶原んところの次男。あいつ女が出来たらしいぞ」
 「スナックで働いてる若い女だろ。派手に遊びまわってるらしいな。娘が高校生になるのに、何考えてんだかよ」あるとき近所の人がそう噂するのを聞いたことがあった。高校生にもなればこういう類の噂話が耳に入ったとき、その言葉の裏に潜んだニュアンスや、妻帯者の男性が水商売の若い女に入れあげているという話題の前提条件になる基本的な知識も理解できた。梶原さんは大きな酒屋の主人だった。梶原さんもいずれは家族を置いて家を出ていくのだろうか。藍色の暖簾が掛かった古めかしい建物の酒屋と、青白い顔をした、神経質そうな風貌の梶原さんを思い浮かべた。あんな真面目そうに見えるひとでも若い女に入れあげるのかと、少々奇異にも感じた。

 人の大切なものを奪うということ。大事にしていたはずの家族を置いて家を出ること。どちらもいけないことだと思っていた。実際、不倫が奨励されているなんていう話は聞いたことがない。それなのに誰かを傷つけてまで自分のものにしたい人が現れるということ。夫婦って、家族って一体なんなんだろう。芸能人のスキャンダルや、梶原さんのような話を聞くたびに思う。
 「ばあちゃんとじいちゃんは別れようと思ったことはないの」そんな風に祖母に訊ねたことがあった。なんでそんなことを訊くのかというような表情を祖母はみせたが、ちゃんと答えてくれた。
 「ないな。じいちゃんはどう思ったかはしらないけど、婆ちゃんは無いな」祖母はそう答えながら剥いた柿をくれた。
 「なんで別れようと思わなかったの」祖母にそう訊ねながら、祖父のことが好きだからだよという答えが返ってくるのだろうと思った。祖母はしばらく黙っていた。
 「好きだったら夫婦は別れないんでしょ」答えを待ちきれなかったわたしはそう訊ねた。
 「好きだからというか、愛情はあるさ」そう言うと祖母は一瞬だけわたしの顔をみた。「でも夫婦が別れずに一緒にいるっていうのは、好きとか嫌いとかだけじゃないんだな。時代とか、環境とか、いろいろあるんだ」そんな風に祖母は答えてくれた。でもまだ幼かったわたしにはその言葉の意味は分からなかった。大人は大切なものの意味や重さが違うのだろうか。
 「もしオマエが母さんと父さんが別れた理由を知りたいのなら、婆ちゃんには分からん」祖母はそう言いながらも、手は休めずに柿を剥いていた。 
 「でもな、男と女が惹かれ合うっていうのは、どうしようもなく我慢が出来ないこともあるんだ」祖母が器用に動かす包丁の刃が白く光った。どうしようもなく我慢が出来ないことがあるという言葉が、重く響いた。
 「それでもどちらかに家族がいたらいくら好きでも我慢しなければいけないんだよ」それから「おまえは他人の大切にしているものを奪ったら駄目だぞ」と祖母は言った。
 「おまえはいい子だ。いい子にしてなきゃ駄目だぞ」と言って、「ほら食べな」といいながら黙々と柿を剥いた。
 父のことを祖母に訊くことは出来ないし母を問いただすこともわたしには出来なかった。何故だかわたしにはそんな勇気がなかった。でもきっと父はわたしのことを愛してなんかいなかったんだろうと、それだけは感じた。そして何故かそれだけは間違っていないような気がした。
 黒い得体の知れない何かが心の隙間からぬるりと入り込んでくる。男と女が惹かれ合うっていうのは、どうしようもなく我慢が出来ないこともあるという祖母の言葉はとても粘り気が強くて、心のどこかに貼りついてしばらくの間剥がれなかった。それから後も、いまでも残る染みになって残った。きっとこれからもとれることはないだろう。それと同時に、「おまえはいい子だな。いい子にしてなきゃ駄目だぞ」という祖母の言葉も。
 わたしはいい子でなければいけない。どうしようもなく我慢が出来ないことがあったとしても。

 街の中心部にあるJRの駅前の商店街の裏にスナックやキャバクラが数軒立ち並ぶ通りがあった。梶原さんはそこに配達に通っていたからごく自然にお店の女の子と知り合って、そのうちに深い関係になったんだろうと噂されていた。そんな噂話を聞いてからは駅の近くを通るたびに、まだ開店前の薄暗い店内で互いの唇を貪りあうようにして求めあう若い女と神経質そうな容貌の中年男性を想像した。
 派手なドレスを着た若い女の背中にまわされた男の左腕と、その先の薬指に嵌められたプラチナのリングが薄暗い店内で白く光るさまを想像した。べとついた汗のせいで肌に貼りついたブラウスに、ブラジャーに包まれた乳房に食い込む男の太い指。頬に当たる生暖かい息。整髪料の匂い。
 そして、明るい廊下や教室でクラスメイトの間で交わされる恋愛話よりも、そんな薄暗くて湿度の高そうな恋愛のほうがわたしにはリアルに感じられた。わたしの恋愛は、重ね合わせた身体から出た汗や体液の生温かさや匂いにまみれたものの、その先にあるものなのかと、そんな想像をする自分をもて余すこともあった。

 日が暮れて暗くなった後のその界隈の様子は知らないが、日がまだ高いうちからその界隈だけ空気が澱んで、街のコントラストが一段と濃くて深いような気がした。きっと色欲を伴う思念というものは、密度が濃くて重たいに違いない。だから風が吹くぐらいでは散り散りにならず、そこに沈み込んで離れないのだろう。そしてわたしが想像するリアルな恋愛というものは、そんな密度が濃くて重い情念の泉に沈んでいる金貨のようなものなのかもしれないと思った。
 いつかわたしは情念の泉にそっと足をいれて、ゆっくりと潜っていく。底に落ちているはずの金貨を探しに、僅かな光をたよりにその輝きを探して深いところまで潜っていくに違いない。でも、その金貨が潜ってはいけない泉に沈んでいたとしたら。
 そんな十七歳の夏、わたしははじめて恋におちた。






この記事が参加している募集