【短編小説】思い出ゆらゆら
焚き木もいずれ灰になるはずなのに、一向に燃え尽きる気配がない。焚き火の炎はゆらゆら、ゆらゆら、火花がひゅるりと舞い上がっては消える。いつまでも見ていられる。時折発する小さな爆発音と、小枝がピキピキ折れるような音に、身体の最深部にある音階が共鳴して内臓を鼓動させる。この振動が神経を伝ってあのころを想起させるのかもしれない。焚き木は六十分経ってもやっぱり燃え尽きない。
燃え尽きないロジックなんて知らない。これは焚き火の動画なのだから、私が気づかないところで映像がループされている? まあそれでも別に構わない。焚き火の映像を流し、ベッドで横になりながら寝落ちするのが習慣になってきた。睡眠薬より健康的だし、他人にもおすすめしたいレベル。健康法とかヒーリング効果とか、そんな類かもしれないけれど考えるだけ無駄で、もっとどうでもよく生きたい。どうでもよく生きる、そんな願望も結局はただの願望なだけで、実際は余計な行動をしてしまう。例えば焚き火が与える精神的効能をネットで検索して、納得し、満足する。ロジックなんて理解しなくていいのに、雑念が私を真っ当へと修正したがる。ああもっと、どうでもよく生きたい。
私は別にLでもGでもBでもTでもない。Qとか+でもない。勝手にカテゴライズして、私を定義しないで。そういうことされると、冷める。私は女性が好きな男性。だから普通、かは知らないけれど、普通。でも異常なアラサー男だって認識は少なからずある。人間だれしもそんな感じでしょ。異常性を一片も持たない人間なんて人間じゃない。異常な思想や行為は私が知らないうちにネーミングされて、名前が付くことによって力を得て、それを認めましょうみたいな、社会的圧力が、ほんと寒い。そんなのどうでもいいのに、どうでもよくさせてくれない感じが嫌だ。
「あっくん女の子みたい」
「どういう意味」
当時七歳のころトモちゃんは私にどんな感情で、どんな表情をして、どんな経緯で私を女の子みたいと評したのかわからないけれど、こんな会話をしたことを強く覚えている。
「トモちゃんこそ男っぽいよ」
「そんなことない!」
このときトモちゃんは怒っていた。いつも三人ワンセットで遊んでいたもうひとりのイッペイが、
「それより今日も冒険行くだろ?」
と、私らの会話なんて聞いていないみたいに呑気に言った。
もちろん私とトモちゃんも同意し、例のごとく土手へ向かった。トモちゃんとイッペイも私と同じ団地住まいで、小学校が休みの日は団地の中央にあるちっちゃい広場に集まって、三人で遊びに向かうのが慣習となっていた。
幅が百メートルくらいある清らかな川、そこの土手はいつ来てもずっと工事中だった。自転車くらいがやっとだけど、車が走れるくらいの広い道路に拡張するらしい。土日は大きな重機が河原に放置してあり、たまにキーが付いたままの重機があって、こっそりそれに乗って遊ぶのが私たちのブームだった。そんな遊びを男である私たちと共に楽しんでいるトモちゃんのほうが、よっぽど男っぽいと思う。
私はなんでふたりと仲良くなったのか覚えていない。物心つくころから一緒にいた気がするし、何か劇的なきっかけがあったのかもしれないし、同じ団地住まいだったからっていうちっぽけな理由かもしれない。大人になった今、当時なぜトモちゃんやイッペイと交流するようになったのかふたりに聞いてみたいな。でも、もうふたりが今どこでどんな暮らしをしているのか知らない。連絡先すら知らないし、そもそもふたりが私を覚えているのかすら定かじゃない。
振り返ってみれば、私はあのときが一番どうでもよく生きられていたのだと思う。うらやましい。過去の自分に対してうらやましいなんて思うこと自体変な話なのだけれど、私の憧れの存在って、やっぱり昔の自分なんだ。だれにもそんな話はしないけどね。それこそ異常者だと思われてしまうし。憧れの存在なんて、有名なアイドルとか、世紀の起業家とか。それか、お父さんだとか言っておけば現実主義でありながら慎ましいおごそかな人とでも思ってもらえるでしょ。間違っても過去の自分になりたいなんて言えないし、言わない。でも言って発散しないからこそ生きづらさみたいなのがあるのかもしれない。これ、どうにかならないかな。無理だよね。仲良しのなんでも話せる親友みたいな人がいたら、打ち明けることによって解消されるかも。カミングアウトみたいな。もし結婚したら奥さんがそんな存在になることだってあるかもしれない。私は、無理だな。だれも他人のことなんて理解できないし、理解してほしいとも思わない。放っといて。
しかしどうやら私は寂しいらしいのである。らしい、っていうのは、自分でもよくわからないけれど、昔の自分だったら、こんなもやもやした感情は湧いてこなかったから。だから寂しいらしいくらいの俯瞰したニュアンス。でも孤独耐性は強いほうだと思う。丸一日どころか、一週間声を発しなくてもなんともない。人をしばらく見なくてもなんともない。例えば私がひきこもりだとして、一年ぶりに外へ出たら私の住む平屋の公営住宅以外消滅していてさら地になっていたとしても、ああそっか。人類は滅んだのか。ってくらい冷静に現実を受け止められるほど、人間に対して執着はない。ないはずなのに、トモちゃんとイッペイにはそれなりに執着している自分がいるから笑える。ただ昔の自分になりたいって思いに引っ張られて、その付属品として、イッペイやトモちゃんが私の心の中でキーホルダーみたいにぶら下がっているだけかも。
トモちゃんは中学生になってもやっぱり男っぽさがあった。がに股で学校の廊下を闊歩している姿とか女子っぽくなかった。本人にそれ下品に見えるからやめておいたほうがいいよ、って教えてあげたところで、また私が怒られるだけだと思って伝えなかった。まあ思春期になると異性っていうだけで、なんとなく話せなくなる。同じ団地で暮らしていたのに昔みたいに遊ぶこともなくなったし、中学校の三年間で会話したことがあったっけってくらいの関係性になってしまった。あのころは毎日のように一緒に遊んでいたのに、女児から女になったトモちゃんは、意識的に私を避けているように思えた。その気持ちもわかるから、このときはまだ別に私も寂しいなんて感じなかったし、無理に近づきもしなかった。
一方のイッペイは同性だったから、続けて仲が良かったのかと言われればそれは物理的に適わなかった。だって転校してしまったから。今でも三人で遊んでいた光景が忘れられない。イッペイがいてくれたら、中学生活も違ったのかな、なんて妄想した時期もあった。
小学生だったころいつものように三人で遊んでいた。河原土手にライターが落ちていて、それをイッペイが拾い、焚き火して遊ぼうぜなどと悪い顔をして言った。私とトモちゃんはイッペイの提案に悪事だろうがなんだろうが付き従っていた。そういう意味でイッペイはガキ大将みたいな感じでもあった。
焚き火をするために、土手に落ちている枝を拾っていった。土手は工事中だったから、道路になる前の黄土色した砂利道が川に沿ってずっと先まで伸びていた。私たちは立ち入り禁止の看板になんて目もくれず、まだしっかりと整地されていない道でもすいすいーっと三人で踏み入り、枝を集めた。でも次第に枝集めから「大きな枝を探し当てたやつが優勝」から、「一番強そうな枝を探して、振り回して遊ぶ」に遊びは変わっていった。中盤から小言を言っていたトモチャンはついに見かねて、腰に手を当てて一喝した。
「ねえ、ちゃんと集めてよ」
そのころ私とイッペイは、先週からスター・ウォーズ一挙放送を始めた民放に感化されていたばかりだったので、『オビワンVSダースモール』に興じている最中だった。
「そんなこと言ってると、ダークサイドに落ちるよ」
言ってイッペイは、両刀のライトセーバーらしい大枝を今一度ブウォンなんて言いながら構えたけれど、
「だったらあたし帰る!」
トモちゃん姫はお怒りになられたので、私とイッペイは反省して枝集めを再開した。イッペイはバツが悪そうに私へこっそり「トモちゃんって短気だよな」と囁いた。
遊びを先導するのはいつもイッペイなのだけれど、トモチャンは遊びに対しても真面目で、途中で放棄する私たちを許したことはなかった。厳しい女なんだよトモちゃんは。だから、トモチャンは私から見たら短気というより、真面目で頑固って印象だった。あるいはイッペイが飽き性の気分屋であるだけだった。
そんなしょうもないけれど、眩い日常が懐かしい。
しかし終わりは訪れるもの。イッペイが転校してしまう日が来てしまった。このときはもうイッペイと遊べないのかと残念に思った。でも寂しいとはあまり感じていなかった。
「また、どっかで会おうな」
最後イッペイが言った言葉。すごくカッコいいなと思った。男らしいってこんな感じなのかなとも感じたけれど、それよりも、別れ際に私が渡した水晶を今でも持ってくれているのかずっと気になっている。水晶なんて言っても所詮は子供の戯言で、土手に転がっていたきらきら光る透明な石ころのことをそう呼んでいただけ。
以前イッペイの提案した土手で水晶を探そうという企画で私が見つけ出した石は、特別な水晶らしかった。イッペイが言うに、一番大きな水晶を見つけた人の願いが叶うとのことで。ようは、イッペイ自身に何か願い事があるらしく、それを叶えたかったらしいのだけれど、まだこのときはそんなこと気付いていなかった。イッペイが言うのなら、本当に願いが叶うかもしれないと、嘘くさくても信じなければいけなかったような気がして、無理やりにでも自分に信じ込ませていたような気がする。その水晶探索の時間も、私の中ではとても大切で楽しい時間だったことを覚えている。
土手の上や下、重機で削られたばかりの斜面まで、一通り水晶探索をした。
「うわすっごい! あっくんの水晶一番でかいじゃん」
トモちゃんは私を称えてくれた。砂を払うと、それは空の青を何層か刻み込んだような青みがかったきれいな水晶だった。イッペイを見やるととても悔しそうな顔をしていた。
昏くなってきて、「そろそろ帰ろうよ」と声をかけても真剣な面持ちで「もう少し」と、イッペイは振り向くことなく地面に目を凝らしていた。結局夕日が沈むまでイッペイは諦めず探し続けた。終わってみれば私の水晶が三人の中で一番大きくて、私は願い事がひとつ叶うらしかった。
「何をお願いすんだ?」
不服ながら私を勝者だと認めたイッペイが訊くので、
「特にないかな」
と、答える。
「は? ばかかよ」
「だってないもん」
当時の私は本当に願い事なんてなかった。あったとしても、ほしいゲームがあるとかそのくらいのはあったけれど、この石ころに願ったところで、叶いようもないことはわかっていた。だからたぶん、この水晶にお願いするのはプロ野球選手になりたいとか、あの子と将来は結婚したいとか。そんなことを願わないといけないのだと勝手に思い込んでいた。
「じゃあ俺によこせよその水晶」
「それはダメ」トモちゃんが割って入る。
「なんでだよ」
「そういうルールじゃないでしょ。見つけた人の願いが叶うってイッペイは言った」
ふたりは私が何を望むのか、しげしげと見つめていた。困った。
「例えばこれで、イッペイの願いを叶えたいって言ったら、イッペイは何をお願いするの?」
「秘密だって。そんなの」
「いいじゃん教えてよ」
「はあ。それは……」
それは、「ずっとこうやって遊んでいたい」ということを恥ずかしそうにイッペイは語った。
なぜそんなに照れながら言うのか理解できなかったのだけれど、三か月後にイッペイは転校してしまったから、このときすでにイッペイは転校することが決まっていたのだと思う。
ついぞ私は水晶に何も願い事を念じることなく、イッペイと最後に会った日、この水晶をプレゼントした。これを受け取ったイッペイは水晶に何を願ったのだろうか。もしも「三人でずっと遊んでいたい」と願ってくれていたとしたら、あの水晶にはやっぱり願い事を叶える効力なんてなかったんだと思う。
イッペイが去ってからも、私とトモちゃんは変わらず遊んでいたけれど、イッペイがいないとなんだか退屈で、少しずつトモちゃんと遊ぶ日も減っていった。小学校高学年ともなると、ほとんどトモちゃんと遊ぶことはなくなった。そして高校生になると、トモちゃんとは別々の高校になり、いよいよ私は友達がいなくなった。このときですら、まだ私の中で寂しいなんて思うことはなかったし、大学へ進学して一人暮らしを始めても、寂しくはなかった。
社会人になり、自宅と会社を何度往復したのか。数えきれないほどにただそんな日常だけが過ぎていって、空虚な日々だけが私をアラサーにしてしまった。私よりあとに入社してきた新卒社員も気づけば人の親となり、より忙しそうな毎日を送っていた。私は何をしているのだろうか。毎日生きるための金銭を稼いで、自分のためだけの衣食住を満たしているだけ。金銭に縛られた使命感のためだけに動いている。使命なんて高尚なもの持ち合わせていないと思っていたのに、いつからか謎の使命感に捕まってしまっていた。これじゃダメだ。あのころ、土手の石ころを眺めているだけで楽しかった日々はどこへいってしまったのか。だれのせいでもないのに、だれかのせいにしたかった。
やっぱり私の人生に劇的なことは起こらない。それでも自分の中では一大決心をして、十年勤めた会社をやめた。退職する意思を告げたときだけ、劇的な何かが起こった気がした。私の物語はきっとこれから動き始める、そんな気配すら感じ取れた。でも結局は気がしただけで、仕事をやめる人間なんて世間にも山ほどいるよねとあっけなく悟り、自分はどこまでいっても普通なんだとがっかりした。行く当てもたいしてないし、このあと転職できるだけのスキルや資格、人脈もない。なんなら、退職日の一週間前に、「やっぱりこの会社に残りたいです」なんて上長へ本気で相談しようかとも悩んだ。
そして悩んでいるうちに無職になってしまった。正直後悔している。強い理由もなく、ただ漠然と現状に嫌気がさしてやめるなんて、終わっている。私は会社員から無職になり経済的に生活が破綻し、愚か者にジョブチェンジした。愚か者ってなんだろう。わからないけれど愚か者。普通じゃない人、愚か者。社会の底辺とまでは自称しないけれど、たぶんそこらへんの下の位で私は生きている。だからきっと愚か者。
愚か者になって、今はもう実家でもなんでもない他人が住むであろうあの団地へ行ってみた。心の中で「ひとり同窓会」と命名して。
着くと老朽化した数棟がもうすでに取り壊された後でさら地になり、硬そうな地面から細長い雑草が弱々しく生えていた。たしか取り壊されていた棟はイッペイも住んでいたはずだった。私の住んでいた棟はかろうじてまだあったけれど、外壁のコンクリートもだいぶ汚れていたし、細かなひびも走っている。ここも近く取り壊される運命には抗えないのだろうなと思った。
反して、土手へ行くと真新しい風景に様変わりしていた。当時遊んでいた土手は立派な道路が通っていた。歩道も広々と整備されていて、ランニングしている人や、犬を散歩させている人がいた。車も通るけれど、そこまで交通量は多くなさそうだった。
歩道を歩いてみると、川のせせらぎから吹き上げる爽やかな風や音だけは変わっていなかった。風が運ぶ青々とした匂いに、あのころの私たちの残像が、まだ舗装されていなかった黄土色した砂利道を想起させ、躍動している。私の目の前でトモちゃんが「この石きれい。きらきらしてる」、イッペイが「それは水晶じゃないよ」、私が「きれいだったら持って帰ったら?」なんて会話している。そんな様子が微笑ましくも、なんだか悔しくてやっぱりうらやましいな、なんて思ってしまう。
きっと私が歩いているこの路面の下に、願いの叶う水晶が眠っているかもしれない。そう考えると、少しだけ楽しい気持ちが身体の内側からせり上がってきて頬が緩んでしまった。「どうでもよく生きたい」、そう願ってこの思い出の地を巡ってみたけれど、よくわからない。そもそもどうでもよく生きるって概念自体がざっくりしすぎているからだ。こんな単純なことに今さら気づく。さすが愚か者。よっ! 天下一の愚か者。ありがとうありがとう。私こそが、真の愚か者でございます。ふふ。不意に笑ってしまうと、私の横からダイエット中らしき肉のついたおばさんが腕を大きく振り上げながら足早に追い抜いて行った。私の笑った顔を見られてしまった気がする。やばいやつなんて思われていないだろうか。
こんなことを考える時点で、私はもうどうでもよく生きられていない証だ。では、どうでもよく生きるとはなんなのか。自分でもさっぱりだ。堂々巡りのこの思考も、間違いなく子供のころはこんな難しげに考えていなかったはずで、あのころはどうでもよく生きられていた気がする。
あのころの気持ちはもう取り戻せない。いや、今取り戻しているかもしれない。それでも自分の中にはびこるノイズがありすぎて釈然としないだけ。あの川のように澄んだ水流には戻れない。大雨の日のあとの、濁った水流が今の私にはお似合いだ。ランニングして綺麗な汗を流す青年より、さっきのおばさんみたいに油ぎった汗を流しているほうが、私に近い。ああ、ダメだ。やっぱりこんなことを考えている時点で、どうでもよく生きられていない。
イッペイにトモちゃん。今どこで、何をしているのだろうか。私のようにひねくれた愚か者になっていないだろうな。なっていたとしても、私はまた、ふたりと水晶を探し始めたい。
もしもまた私が一番大きな水晶を手にしたなら、何を願うのかな。「どうでもよく生きたいです」なんて願って、水晶を介して神様に伝わっても、神様は意味がわからないだろうから困るかもしれない。だったら、「私をどうでもよく生きさせてくれないあらゆる人や物を消滅させてください」とでも願おうか。そんなことしてイッペイとトモちゃんは消滅せずに残るのかな。いなくなったら嫌だな。これから先、会うことがなくても、いてくれたほうがずっといい。やっぱり私はあのころと一緒で何も願うことなんてなくて、ただ悶々とし続けるだけかもしれない。
一日歩き回り、疲れた。布団にくるまって、寝る。テレビには焚き火の映像を流しオフタイマーを九十分に設定して、部屋の照明を落とす。
私と燃え尽きない焚き火とを重ね合わしてみるけれど、共通項が見当たらない。私はいつか燃え尽きるし、そもそも燃えてすらいない。炎に揺られて立ち上る火花の儚さですら自分に似つかわしくない。焚き火の幻想的なゆらめきや、心地良い音。それらに惹かれるのは人間に与える精神的効能によるものだけで、深みなんてない。ひとつ願うのは、追想した日々がいつまでも私の中で消えないように。私の中に灯る火がひとひらのゆらめきだったとしても、切実に大切な思い出であるのは変わらないでいてほしい。
(おわり)