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私と本と、その関係。
小さい頃から、本がある家で育ってきた。母も父も読む人で、母は特に絵本の読み聞かせをしてくれた。
母は綺麗な絵本が好きで、流行り物よりも綺麗な絵とかが描いてある海外の絵本を読んでくれた記憶がある。
そんな私が好きだった絵本は、くまさんがパンを焼く物語だった。
小学校に上がってからも、読み聞かせはしてくれた。自分で読むきっかけを得たのは、母がハリーポッターシリーズを読み聞かせてくれていたときだ。
疲れ切っていた母は、私に読み聞かせをしながら寝落ちてしまう。私は続きが聞きたくて仕方がなくて、母を揺り起こす。そんな日々が続いていた。
あるとき、気がついてしまった。「私が、読めばいいんだ」と。
疲れ切った母の横で、母にハリーポッターを読み聞かせていた。難しい単語を聞こうとしても、母は寝ている。ふと、思う。
声に出して読まなくて良くない?
ということで、私は一人で本の世界に入るようになり、読み聞かせられるということがなくなった。無事に、本が大好きな少女が誕生する。
小学校高学年になって、ライトノベルと出会った。『彩雲国物語』に出会ってからは、同じレーベルのものをいくつも読んだ。女の子が強い話が大好き。何度も読み返したせいか、実家には擦り切れた文庫本が残っている。
中高一貫校に進学して、高校生も使う図書室に出入りするようになる。そこの司書さんと仲良くなって、純文学に手を出した。
最初に手に取ったのが、平野啓一郎の『一月物語』。耽美な文章に惚れ込んで、ふわふわと夢を見ているようだった。
そこから、川上未映子『すべて真夜中の恋人たち』に出会う。自分を見つめ直す、心の描写がずくりと刺さるような物語が好きになった。
以降、ジャンル問わずなんでも読むようになった。ライトノベルだと文学少女シリーズに影響されて、近代文学にも手を出した。
そこから、川端康成の「眠れる美女」「片腕」と出会い、美しい文章と怪しい世界、匂い立つようなエロティックな要素に惹かれた。
大学時代はどちらかといえば漫画にどっぷりだった。好きな作家の新刊は必ず読む、というわうながかんじで新しい物を探そうとはしていなかった。
一方で、江戸川乱歩だけは一般教養の授業を履修した記憶がある。
就職してからは、読書とは離れたりひっついたりとフラフラとした関係を続けている。
入社して最初の方は、軽く読める物ばかり読んでいた。メンタルがぐずぐずになってからは、文章を読もうにも目が滑るようになって、積読ばかりが増えた。
休職してしばらくして、ようやく本が読めるようになった。
今は、純文学に特に興味がある。一方で、人文書、特に心理学とかに興味が出てきている。知るのが楽しい、新しいことを知りたいと思える気持ちが出てきた。
エッセイにも手を出して、食わず嫌いをやめようと決めた。
読めない時は読まない。読みたい時には読む。無理はしないで、のんびりやる。
そうきめて、ふわふわと本を読んでいる。