【読書コラム】玉木雄一郎の不倫スキャンダルをめぐり、田山花袋『蒲団』のモデルにされた女弟子の声から「書かれることの暴力性」を考える - 『岡田(永代)美知代著作集』岡田(永代)美知代(著)
国内国民民主党代表・玉木雄一郎代表の不倫スキャンダルが話題になっている。すぐに記者会見を開き、投票してくれた有権者の期待を裏切り申し訳ないと述べると同時に、政策実現のために頑張れと家族に叱責されたと語る姿は誠実と映ったようで、役職を降りずに済んでいる。
もちろん、国の舵取りをする人間が不倫をしているというのは微妙なところで、玉木さんは総理大臣にはなれないんだろうなぁという意味で国民民主党の追い風は止まった感がある。ただ、現状、榛葉幹事長や伊藤たかえさんに玉木さんの代わりが務まらないので辞められないというだけ。本質的に不信感が払拭されたわけではない。
それでも、国民民主党に投票した人たちは自分も含めて、統一教会や裏金で自民党に拒否感があるも党内の意見もまとまっていない立憲民主党に政権を持たれるのは困るし、大阪万博でダメダメな維新は論外だから、103万円の壁もなくせそうだし、国民民主党を選んだという側面が大きく、ファンではないし、結果、与党が過半数割れしたことで国民民主党がキャスティングボートを握った現状、不倫してようが政策実現できればかまわないという感覚はリアルなところである。
ただ、気になるのは不倫相手の女性について。高松市の観光大使だったけど、市が解任を検討との報道があり、代表を続ける玉木雄一郎と処遇バランスが合っていないように思われる。
とはいえ、市としても、観光大使なんてスキャンダルさえ起こさなければいいポジションにこれだけニュースになった人物を使い続ける理由もなく、その検討自体は妥当である。ここから見えてくるのは不倫をしたとき、男女でその後のダメージが異なるという昔ながらの非対称性を国民民主党が体現してしまったという事実であり、改革を訴えていく党としてはあまり印象がよくない。
一方、マスコミの姿勢にも疑問がある。政治家の不祥事を暴くべきというのはわかるけど、その不倫相手を特定可能な形で報道するのはいかがなものだろうかと考えさせられる。たしかに今回の場合、観光大使という市の仕事をしているという意味で彼女は公的な存在ではあるけれど、ぶっちゃけ、その社会的地位と報道の大きさで釣り合いは取れていない。精神的に相当しんどいはずで、単純にかわいそうだなぁと思った。SNSでは写真を勝手にアップされ、容姿や年齢に対する誹謗中傷が飛び交っていて、二次被害が広がり続けている。
まあ、突き詰めると、政治家がそんな相手と不倫しちゃダメという話で、スキャンダルになったら、身近な人たちがどれだけ傷つくことになるのか、想像できないとしたら配慮が足りていないし、わかっていたならサイコパス、少なくとも、玉木雄一郎は自分のことだけでなく、愛人である彼女のことも守るべきなのだろう、本来は。現実、それが難しいのはわかるけど、都合の悪くなった相手を切り捨てていく姿は政治家として信用できない。スキャンダルの被害を止めるため、自分以外の関係者に対する誹謗中傷をやめるように呼びかけるぐらいのことは言ってほしい。
実際、スキャンダルで人生は壊れてしまう。
明治時代、そういうメディア被害者の元祖とも言うべき女性・岡田美知代の書いたものを読んでいくと、メディアを通して世間に広がったイメージはむかしから死ぬまでまとわりつき、暗い影を落とし続けていたんだってことがよくわかるので、今回はその手記に注目してみよう。
さて、岡田美知代がどういう人物かというと、明治の文豪・田山花袋の『蒲団』でモデルとされた女弟子である。という風に説明していることがすでに彼女の存在がスキャンダルによって規定しているわけで、その影響か大きさが窺える。
なお、文学史的に岡田美知代の業績をまとめるとしたら、少女小説や翻訳を多く手掛け、ストウ夫人『アンクル・トムの小屋』(南北戦争のきっかけとなった本。後の公民権運動後は批判の対象となり、評価が真逆になっている)を初完訳したことで知られるなど、実は重要な仕事をけっこうしている。小説についてもフェミニズムの観点から再評価の動きもあったりするし、『蒲団』のモデルの一言で済ませてはいけないのである。
だいたい、『蒲団』とはなんだったのか。明治時代の新しい文学を模索していた田山花袋(1872-1930)。日露戦争に参加し、帰国してみると、同い年の国木田独歩・島崎藤村が日本で自然主義文学を完成させ、めちゃくちゃ評価されていたので焦ってしまう。
俺も『破戒』みたいに社会のタブーをありのままに描きたい。でも、田山花袋は被差別部落問題のようなテーマを見つけることができなかった。
そんな中、外にタブーを求めるのではなく、自分の内側にタブーを求めるという方法を発見し、1907年、『少女病』というとんでもない作品を発表する。
どう考えても田山花袋自身である30代の妻子ある男性が美少女に発情するという物語はすぐにヤバいと注目を集めた。当時、そういう感情はこっそり秘めておくのが当たり前。有名人が告白するなんてあり得ないことだったのだ。
これに味を占めたのか、同年、田山花袋は『蒲団』を発表。より鮮明に、30代男性の発散できない性欲のリアリティを描き出した。
そして、この作品で性欲を向けられた女弟子のモデルが岡田美知代であり、『蒲団』が話題を呼ぶや否や、性に奔放な若い女を特定しようというスキャンダル被害に遭ってしまう。
このスキャンダルのなにが理不尽って、別に、岡田美知代は田山花袋と不倫関係にあったわけではないのだ。明治を代表する文豪に欲情されてしまったばっかりに、彼氏がいたという話を性に奔放であるかのように書かれ、男を誘惑する悪い女というイメージを一方的にばら撒かれてしまっただけなのだから。
そのあたりの事情は『岡田(永代)美知代著作集』に詳しく、雑誌・新潮などに寄せた思いを追っていくと、どれだけ苦しめられたかが伝わってくる。
美知代の『蒲団』および田山花袋に対する態度の変化
①1907年 22歳
『蒲団』発表直後 雑誌『新潮』にて
自分のことを書いてくれて嬉しかったが、中身を見てショックを受ける。でも、芸術のためと受け入れ、田山花袋先生がいかに人格者か擁護する。
②1910年 25歳 静雄と結婚後
自分をモデルにした小説『ある女の手紙』内で
師と仰ぎ、保護者だからなんでも打ち明けてくれと言われて話した秘密を売りやがってと腹を立てている。
(意趣返し)
③1915年 30歳
読売新聞にゴシップ記事が出た後
雑誌『新潮』にて
田山花袋はその後も自分をモデルに小説を書いているが、ジジイの妄想で見当違いも甚だしいと怒りを爆発。ついに先生呼びをやめる。
④1957年 72歳
昔馴染みの作家に自分のことを書かれ
反論文を発表
田山花袋が書いた偏見で自分の人生をまとめられたことに激怒。恩は恩、恨みは恨みと切り分けて、田山花袋のせいで自分たちがいかに悩まされてきたかを熱く記している。
これらを読んでいくと、田山花袋およびスキャンダル報道に対する怒りが年々増していっていることがわかる。特に当時はプライバシーという考え方も、モデルとなった人物が特定できる小説を差し止めるという法的仕組みもなかった頃なので、岡田美知代の悩みは相当だったはず。
ちなみに小説で書かれた側の権利は1964年判決・三島由紀夫『宴のあと』事件や2002年判決・柳美里『石に泳ぐ魚』事件など、現代に至るまで徐々に獲得されてきたものであり、いまもまだ道の途中である。
1964年判決『宴のあと』事件
三島由紀夫『宴のあと』(1960年)をめぐり、モデルとされた元外務大臣・東京都知事候補の有田八郎がプライバシー侵害を訴え、謝罪広告と損害賠償を請求。東京地方裁判所の判決で損害賠償が認められ、日本で初めてプライバシーが法律で認められた。これを受けて、テレビドラマなどで「この作品はフィクションです」と記載するようになった。その後、三島由紀夫は控訴するも有田八郎が死去し、遺族と和解。そのまま出版できた。
2002年判決『石に泳ぐ魚』事件
柳美里『石に泳ぐ魚』(1994年)をめぐり、モデルとされた一般女性が名誉毀損を訴えた。自分の顔の腫瘍や父親の逮捕歴が記載されていたことが問題視された。柳美里および出版社は一般女性が特定されることはなく、かつ、現代の生きにくさを描くことが目的の芸術的行為なので問題ないと反論するも、最高裁で出版差し止めは妥当とする判決が出る。以来、表現の自由よりプライバシーが優先される根拠となっている。なお修正版が出版。
いまはスキャンダル報道で対象の人生を破壊することが当たり前になっている。権力者が権力を利用して、性加害やパワハラをしていることを報じることで、権力を取り上げるという機能は重要だけど、39歳元グラドルを追い詰めることに正義があると個人的には思えない。
玉木雄一郎が代表を続け、政策実現のために奮闘していくと宣言し、国民の支持を集めているんだとしたら、そのスキャンダルになんの意味があったのだろう?
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