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「赤トンボ」掌編小説
僅かに濁った水面に、一匹の赤トンボが腹を見せながら浮かんでいた。水の流れと共にすーっとこちらの方に向かってくる。
私は愛用の一眼レフカメラをカバンから取りだし、くたばったトンボにピントを合わせた。シャッターを切り、撮れた写真をどんなものかと確認する。
やはり、あまり見栄えがあるものではなかった。トンボの死体がメインの写真だから当然と言えば当然だろう。
五十を越えて趣味として始めたカメラ撮影だが、中々良いものは撮れないままでいた。
ツツジの花や竹林などをフィルムに収め、題名をつけることなどもしていた。今撮った写真に題名をつけるとすれば「冬越せずの赤トンボ」だろうか。
しんと静まった自然公園の中を一人歩きながら、何か被写体になるものはないかと探していたが、思ったより見つからない。
今日は花でも池でもなく、生き物を撮りたい気分だった。
ちらっと腕時計を確認すると、五時四十五分を指している。霧が薄くなり、公園全体が徐々に明るくなってきた。
「ガアッ、ガアッ」と数羽のカラスが何処からか鳴いている。
木と木の間を、喉元に鮮やかな黄色がある小鳥が羽ばたいて移動している。
被写体にすべき生き物は沢山いるはずなのに、どうも気分が乗らなかった。
私は、ありふれたものでは無く、何か珍しいものが撮りたいのかもしれない。
例えば、鳥だったらカイツブリ、虫だったらアサギマダラやルリボシカミキリなどだ。
だが、そんな生き物は恐らくこの自然公園内にはいない。
小さい頃に、オオクワガタを探しに森の中へ入り、結局見つけれず代わりにショウリョウバッタを捕まえた事があった。
どうやら私はあの時から本質的に変わっていないらしい。
湿った木製のベンチに座り、カバンから水筒を取り出した。よく冷えた水が喉を通り過ぎるのが気持ちよかった。
少し休んだ後、大義そうに立ち上がると、風が強く吹いてきた。冷たさが顔の肌から伝わる。
もうそろそろ帰ろうかと思い、カメラをカバンの中へしまった。
池の周りをなぞりながら、元の道を辿った。
「ブブブブ」というとても小さな羽音が聞こえ、右を見ると、顔のすぐ近くを赤トンボが飛んでいた。
何かを探しながら飛んでいるのかもしれない。