海亀湾館長

短編小説、掌編小説、詩を投稿します。エッセイ、ときどき書評(本の感想文)も。 ヘッダー等の写真はすべて自分が撮影したものを使用しています。

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  • エッセイ・覚え書き集

    経験も空想のうち。空想も経験のうち。

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    これまでの作品を一覧できます。

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    書評(というよりは感想と紹介文)です。 過去の古い書評には〈追記〉のおまけが付きます。

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    これから追加されるとしたらすべて新作です。

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    ひとりきりではできないものたち。

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夜明けの曲

短編小説 ◇◇◇ 1  老人がひとり、駅ビルの前に立っている。吐く息は白い。  ビルの谷間を縫ってきた風が、落下した銀杏の葉を駅前の広場に集めてはフィギュアスケートのようなスピンを演じさせている。だが、老人はそれにはいささかも目をくれず、ツイードの上着の下に臙脂色のベストをこざっぱりと着こなし、品の良いベージュ色のマフラーとチャコールグレーの帽子を身に着け、大理石を模したポーチの円柱に寄りかかりながら、一冊の本を手に持ち、さらに小脇に三冊の本を抱え、レンズの丸い眼鏡の

    • 詩人と名乗ることを許すとき【エッセイ】

       六年前にnoteを始めてから詩をいくつか投稿するようになった。  それ以前は、自分が詩を書く人であることを誰かに話すのは勇気のいることだった。わたしは知人の送別会の席で自作の詩を披露したことがあるが、そのときは突然居酒屋の個室で朗読して、周囲を戸惑わせた。詩を読む際は、読み手とそれを受け取る聴衆との間に、共通の周波数帯を用意してお互いの気持ちを合わせる必要がある。事前にアナウンスなどをして場を温めておくべきだった。そうでないと、ひどい温度差が生じてお互いに居心地の悪さを感

      • 冬の海

        掌編小説 ◇◇◇ 「一人で冬の海に行ってきた」と妻が言う。  それは夕飯を食べる前のことで、食卓には揚げたてのとんかつが用意されていた。妻は対面式のキッチンの向こうにいて、冷蔵庫の扉を開けているところだった。  先に食卓に着いていた佳之は、「物好きだな」と何でもない風に笑ってみせたが、「風が冷たかった」と呟いた妻の声が食卓に届くと、その抑揚の失われた行き場のない響きに、不穏な気配を感じずにはいられなかった。  妻の表情を確認したかったが、ちょうど開けた冷蔵庫の扉に遮

        • とある「小説書き」の場合【小説を書いたり読んだりする人が答える20の質問】

           小説を書く人は、ある日、突然生まれる。  人が、初めて誰かに読まれるための作り話を書き始めたとき、それは「小説書き」が生まれる一歩手前だ。まだ「小説書き」ではない。ではいつ生まれるのか。たとえ短くても、書き始めた作り話を最後まで書き終えて最終の句点を打ったとき、その人は「小説を書き」になる。最終の句点を打った作り話は「作品」と呼ばれるようになり、そうやって生まれたばかりの「小説書き」は、さらなる自分の満足を求めて新たな作品に着手する。  わたしがそうだった。小説を書くこ

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        記事

          海亀湾少年のマンガ【エッセイ】

           中学時代の作品を投稿する自虐企画、海亀湾少年シリーズも今回が最後である。  最後は自分にとって恥ずかしさMAXと言ってもいい作品を紹介したい。それは漫画である。わたしは小学生の頃から漫画が好きで読んでいた。読んで楽しいと、自分も真似をして何かしら書きたくなる性分だった。小学生のときは友人たちとオリジナル漫画を書き合い、コミック誌を作ったこともある。漫画を書くことは中学まで続いたが、手元に保存できている作品はわずかだ。今回はその中のひとつを、かなり恥ずかしいが公開しようと思

          海亀湾少年のマンガ【エッセイ】

          愛しい顔

          短編小説 ◇◇◇  雨の日にお墓参りをした記憶がある。お盆の十三日だった。  わたしがこれからする話は、二十代の頃に足繁く通っていたスナックのマスターから聞いた風変わりなアルバイトの話であって、実のところ、お墓参りとは何の関係もない。けれどもマスターの話を聞いたあと、わたしの中で子供時分に経験した雨の日のお墓参りの記憶が強く思い出されてきて、その二つはなぜか分かち難く結び付き、何年も経っているというのに未だ忘れられないでいる。  あれはたしか、小学三年生のときだった。

          海亀湾少年のイヤミス【エッセイ】

           中学生になったわたしは、ショートショートをはじめとした小説の習作を大学ノートに書き付けるようになったが、その中に、これは、という作品が紛れているのを発見した。もちろん下手である。文章はひどいし、漢字や送り仮名の間違いが多く、物語も粗末なものだ。けれども、珍しいことにその作品はミステリー小説だった。そして、中学生だからこそ書けたというような、犯罪に手を染める大人を主人公にした作品だった。これは今で言う「イヤミス」と呼ばれる小説ではないだろうか。わたしは何十年かぶりに自作を読み

          海亀湾少年のイヤミス【エッセイ】

          海亀湾少年のショートショート【エッセイ】

           短かいから読みやすい。短いから書きやすい——。  ショートショートを制作したことがある人なら、これと似たようなことを思った人は多いのではないだろうか。初めての創作で、いきなり原稿用紙百枚分の純文学作品を書き上げるのは難しい。けれども、小説の面白さを知った読者が、自分にも書けるのではないかと思い、小説の実作に挑戦しやすいのは、このショートショートという型式のように思う。  わたしもそのパターンだった。  小学生の頃から漫画のみならず、文章だけの子供向け読み物も好んでいた

          海亀湾少年のショートショート【エッセイ】

          久生十蘭『墓地展望亭・ハムレット』《砂に埋めた書架から》74冊目

           久生十蘭。  本屋や図書館で見かけたことがある名前だが、最初は正直、何と読むのかわからなかった。著書を手に取り、初めて「ひさおじゅうらん」と読むのだと知った。どことなくモダンな響きがするペンネーム。オシャレだ。  久生十蘭は、一九〇二年函館生まれ。直木賞に四回候補になったあと、四十九歳のときに五回目の候補作品『鈴木主水』(短編)で第二十六回直木賞を受賞した。また、『母子像』という短編は、一九五五年にニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙が主催する世界短編小説コンクールに

          久生十蘭『墓地展望亭・ハムレット』《砂に埋めた書架から》74冊目

          創作の工程【140字を超えたつぶやき】

          #小説どうやって書いてますか テーマを頂いてから書く短編の場合 1.テーマの言葉を見て最初に浮かんだアイディアやストーリーを捨てる(誰もが書きそうで陳腐な気がするから) 2.次のアイディアが浮かぶまで悶絶が続く(大量の日数を消費) 3.苦し紛れに浮かんだアイディアを複数用意して育てる(想像力で膨らます) 4.そして模範となる作家や作品をイメージして型式や文体の方針を決める 5.一行目から順番に書く(プロットや人物は進捗に従いその都度生成) 6.書いているうちに、本作の結末

          創作の工程【140字を超えたつぶやき】

          生クリーム(にこにこ)

          神様はいる 神様とは生クリームのことだ この世に媚薬は存在しない 生クリームがあるだけだ わかるかな まだ誰もあの感覚を言葉にしていないんだ そうパフェ 何よりもパフェ パフェに乗っているバニラアイスがあるだろ? あれを生クリームと一緒に口の中に入れる わかるよな? それよ そのときの温度差よ あれが神様なのだ 生クリームへの数々の賛辞に触れながら わたしは多幸感に包まれる 生クリームの滑らかな柔らかさは 極上の女性の抱き心地に喩えられるだろうし 生クリームの香りが

          生クリーム(にこにこ)

          村上春樹『1Q84』《砂に埋めた書架から》73冊目

           今回は、いつもとは違う書評になるだろう。なぜなら、本の中身にはまったく触れるつもりがないからだ。※  前作の長編『海辺のカフカ』から七年ぶりに発売された村上春樹の新作長編『1Q84』は、事前に内容は明かさないという著者の希望から、ほとんど情報がないまま読者の手に届けられた。しかも、発売前から相当数の予約注文があったという。  およそ純文学というジャンルにおいて、このような頭抜けた話題性を持ち、大衆にまで広く影響を与えている日本の現代作家は、現在のところ、村上春樹しかいな

          村上春樹『1Q84』《砂に埋めた書架から》73冊目

          レダになりたい女

          短編小説 ◇◇◇  パンデミックによって、外出時には誰もがマスクをするのが当たり前になっていたその年の春、二十八歳の誕生日を迎えた礼田十茂典は、結婚相手を真剣に見つけるために、有料のマッチングアプリに登録した。  今後は男女が知り合う機会が減るだろう。外食や酒場に誘いづらくなり、相手を知る方法が制限されてゆくだろう。顔の半分を覆うマスクは、品格を伝える口元を隠し、顔立ちの印象を捉えにくくする。ゆえに、直感が引き合わせる“一目惚れ”という縁結びの現象も起こりにくくなるだろ

          レダになりたい女

          伴名練『なめらかな世界と、その敵』《砂に埋めた書架から》72冊目

           伴名練『なめらかな世界と、その敵』を読んで、たいへん感銘を受けている。初めて手に取る作家の本だったが、ひとつの作品に投下するアイディアの手数が尋常でなく多いことに気付き、読んでいくうちに興奮が加速していき、最後は圧倒された。  最初に言っておくべきだったが、この本は短編集である。全部で六作品が収録されていて、どれもSFに分類される小説と思って間違いないのだが、SFという先入観にとらわれずに読んでも本書は面白い。どの短編も本当によくできていて、多彩な文体を駆使する作者の実力

          伴名練『なめらかな世界と、その敵』《砂に埋めた書架から》72冊目

          二十世紀の街角で

          短編小説 ◇◇◇  新宿は田舎者が集まるところだと誰かが言っていた。なるほどな、だからここに来るとぼくはほっとするのか。  工場が休みの日は、朝の九時に埼玉のアパートを出て、バスでしばらく揺られたあと、都内にある終点の駅で降りる。高架下をくぐって駅の入り口で切符を買い、階段を上って地上にあるホームから営団地下鉄千代田線に乗り込む。以前は西日暮里で山手線に乗り換えて新宿まで行っていたけど、国鉄は料金が少し高いことに気付いたので、今は大手町で丸の内線に乗り換えて新宿まで行っ

          二十世紀の街角で

          秋谷りんこ『ナースの卯月に視えるもの』《砂に埋めた書架から》71冊目

           満床であっても、真夜中の病棟は静かだ。この特別な静寂を知っているのは、長期療養型病棟に勤務する看護師ならではなのかも知れない。物語の主人公卯月咲笑は、早期に回復する見込みのない患者を受け入れる、長期療養型病棟の看護師である。一般病棟と違い、完治の困難な重症患者が多く、ここに入院したまま人生の終焉を迎える患者も少なくない。死亡退院率四十%という現実に日頃から向き合っている看護師たちにとっては、この真夜中の静けさに、通常とは違う雰囲気を感じているであろうことが想像されるのだ。

          秋谷りんこ『ナースの卯月に視えるもの』《砂に埋めた書架から》71冊目