カタクリタマコ
いつか、本屋さんをひらくのが、小さいころからの夢だった。 noteをさまよっていたら、#本屋さん開店します という、とっても素敵な企画があったので、私も妄想で本屋さんを開店しようと思う。 私が本屋をひらくなら。 駅に続くアーケード街の、いちばん端の角っこがいい。 その店は、朝の7時半にシャッターを上げる。 3駅むこうは、県庁所在地。そこにはたくさん学校がある。 学生さんたちは、みな7時40分の電車に乗る。 本屋の店先に、店主である私がいればセーフ! 乗り遅れることはない。
渋谷での路上呑みが禁止されたことに、私は少しガッカリしている。 死ぬまでにやりたいことリストに入れていたのだ、実は。 路上でお酒を呑む。 ただそれだけのために、はるばる海を越えて、多くの外国人が渋谷に押し寄せる。 いくら円安とはいえ、自国の酒場でビールをあおるのに比べたら、とんでもなく高くつくはずである。 それなのに、だ。 時間とお金と労力をかけてでも、体験してみたい!!! そう思わせるものが、路上呑みにはあるということだ。 世界中の人々を魅了して止まない路上呑み。 せ
たくさん本を読んでおいてよかったなあ、と思う。 私はとても忘れっぽい。 部屋のもよう替えをしたら、必ず、何をどこにしまったのか忘れてしまう。 ハンカチや靴下、秋物のシャツ、お気に入りのネックレス。 たいてい、欲しいと思う時には見つからない。 それなのに、読んだ本の内容だけはなぜか覚えている。 覚えている、というか、欲しい時にちゃんと思い出せるのだ。 それは、たいてい小説以外の本を読んでいる時にやってくる。 超文系な私だけど、知りたいことは山ほどあって、本屋さんや図書館
町の書店が消えつつある。 私の住む町も例外ではなく、書店に行くには隣町まで足を運ばなければならない。 先日、私の勤めている図書館に職場体験の中学生がやってきた。 図書館を選ぶ子たちなので、もちろん皆本が大好きだという。 書店のない町に住む彼らは、一体どのように読みたい本を選んでいるのか。 気になったので、「本はどうやって選んで買っているの?」と聞くと 「本屋さんで見て買います」とのこと。 てっきりAmazonで買っているのだとばかり思っていたので、この答えには驚いた。そして、
SUPER、と名の付くものには並々ならぬ憧れがある。 それはたぶん、小学生の頃に熱狂していた「ドラゴンボールZ」のせいだ。 登場人物それぞれのセリフはもちろん、必殺技、ポーズ、効果音、BGM、そのすべてに夢中になった。 家族総出でそんなかんじだったので、 「ズンズンズン、チャ、ずんずんずん・・・」とくれば、 「ちゃらら~チャチャチャララ~ちゃちゃちゃら~」と解く、みたいなやりとりで会話が成立するくらいだった。 (ちなみにこれは、先週のおさらいをナレーションしているときに流れる
『グッド・フライト、グッド・シティ パイロットと巡る魅惑の都市』 (マーク・ヴァンホーナッカー 著 関根光宏 三浦生紗子 訳 早川書房)という本を読んでいて、ふと思った。 旅をすることと、本を読むことは、よく似ている。 『グッド・フライト、グッド・シティ』は、現役パイロットでもある著者が、フライトで立ち寄った都市を思い出と共に綴ったエッセイである。 そう書くと、旅行記のように思われるかもしれないが、ちょっと違う。 たしかにその趣もあるのだけれども、重きが置かれているのは
「他人の不幸は蜜の味」なんて言うけれど、その他人が全く知らない人だったとしたら、蜜の味なんてしないのではないだろうか。 どこかでその他人を知っていて、少なからず面白くない存在だと思っているからこそ、その人の不幸は蜜の味がするのだ。 因果応報。そう思いたいから。 もしその他人が、無辜の、善良な、毎日を一生懸命ひたむきに生きている真面目な男だったとしたら、どうだろう。 何一つ落ち度がないにも関わらず、彼の身には次から次へと不幸がのしかかってくるのだ。しかも、彼がどんなに努力をし
時々、子どものころの写真を見返してみる。 なにかの記念に撮った、かしこまった写真ではなく、「写ルンです」でいたずらに撮った、なんでもない日のスナップ写真。 庭にしゃがみこんで、土だかなんだかをこねくり回している3歳くらいの私。 畳に寝転がったまま、ガリガリ君を頬張っている7歳くらいの私。 祖母の家の台所から撮ったと思しき、木蓮の幹だけが映ってる写真。 どこかの山。 ただの青空。 りんごの包装紙だけが映ってるのもある。 そんな、日常のきれはしみたいな写真を前に、私は切り取ら
ミアさま、ああ、ミア・カンキマキさま! あなたのお書きになった『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』が、どれだけ私の心を熱くしたかわかっていただけるかしらん? あなたと清少納言(あなたにならってセイと呼ばせてもらうわね)との、国境も時空も越えて結ばれた関係性。その絆に私はときめいてしまった。 ソウルメイト。 あなたとセイはまさにソウルメイトだわ。 好きな作家って、ソウルメイトなのよね。 心から大好きになると、もうどこに行っても、何をしていても、作家さんは私と常に一緒
子どもの頃、私はアメリカ人になりたかった。 私の思うアメリカは、『スタンド・バイ・ミー』であり『グーニーズ』であり『イット』であった。 そこで描かれる50年代から80年代にかけての、片田舎。 ニューヨークやロサンゼルスみたいにギラギラしていないところ。 私はそこで赤い自転車に乗り、近所の子どもたちと一緒に街路樹の下を走り抜けるのだ。 道の両側の家々からは、コーヒーとパンケーキ、それからフライドチキンの匂いが漂ってくる。 ブラウン管のちかちかする光が、カーテンを通して揺らめく
先日、久しぶりに雑誌を買った。 たぶん、20年ぶりくらいだろう。 最後に買った雑誌は、ビジュアル系バンドの専門誌で、大好きな人が表紙を飾っていた。 今回買った「BRUTUS」1008号の表紙も、一瞥で心をかっさらわれた。 真っ白な余白だらけの中に、線画のスヌーピーとチャーリーブラウン。 そこに、言葉がぽつん。 うっわぁ。なんてすごい殺し文句なんだ。 文学ヲタクな私は一瞬で恋に落ちてしまった。 160人の、言葉にまつわるお仕事をしている人たち。 彼らが大切にしている言葉を
ものすごく好きな作家がいる。 嘉村礒多(かむらいそた)という。 明治から昭和にかけて活躍した私小説作家である。 といっても、作家生活はたったの6年。享年36歳。 生前はまったく注目されなかった非業の作家だ。 キャッチフレーズは「私小説の極北」。 彼の作品(32編の小説と、42篇の随想)は、すべて本当の事で出来ている。嘘偽りは一切なし。思ったこと、感じたこと、やったこと、やられたこと、全部、そのまんま書いている。 私生活の垂れ流しだ。 昔から読書狂だったので、人に乞われて本
私の手元には、来歴のわからない本がいくつかある。 どうやってその本を知ったのか。 どこで買ったのか。 買おうと思った動機はなんなのか。 自分のコトなのだが、さっぱりわからない。 「おい、君はどうしてここに来たんだい?」 なんて尋ねてみるけれど、もちろん本はだんまりをきめこんでいる。 今、読んでいるのも、いつのまにかうちの子になっていた一冊。 『映像のポエジア 刻印された時間』 (アンドレイ・タルコフスキー著 鴻 英良訳 ちくま学芸文庫) 著者は、ソビエト・ロシアのとても有
なんて、静かな本なんだろう。 たぶん、騒がしいカフェの一角で読んでいたとしても、その本は周りのすべての音を吸い取ってしまうだろう。 闇、という文字が頭に浮かんだ。 あらゆる音を、閉じ込めてしまう門。 『回復する人間』(ハン・ガン 著 斎藤真理子 訳 白水社) は、そういう意味で闇の本だ。 しかし、その闇は黒ではない。 青だ。青の群れ。 光も音も届かない、群青色の海の底。 『回復する人間』には、7つの短篇が収められているのだが、そのいずれの主人公も傷を抱えている。 ガンの再発
学生時代、私は「ぼっち」であった。 教室のすみっこで、一人ぼーっと本を読んでいるのが何より好きだったのだ。 本音を言えば、誰かと話したくはあった。 「聞いて聞いて、昨日さ~志賀直哉の『暗夜行路』読んだんだけど、アレ、マジで最高だったんだけど!」とか 「私の夢はさ~谷崎潤一郎の『痴人の愛』の譲治になることなんだ~。ナオミじゃなくて、ジョージの方ね。隷属したいのよ~」とか 「川端康成の『伊豆の踊子』の書き出し、神じゃね? あーゆーの書けたら死んでもいい!!!」とか。 教室のま
古今東西、どんな人とでも恋愛関係になれるとするならば、私は絶対「開高健」がいい。 氏の書く文章の醸し出す得も言われぬ雰囲気と、ウィットに富んだ内容、ユーモアのセンス、すべてが好きだ。 しゃべり方も好きだ。唯一無二なハイトーンボイスも好きだ。 見た目も好きだ。 なによりも、氏の小説を初めて読んだときの、痺れるような感覚が忘れられない。言葉のひとつひとつが、雨粒のように私の中に浸み込んでいくようで。読み進めていくうちに、もう、彼は私の血液になった。 ああ、もう一生引きはがすこと