ただいま作品募集中です!

#想像していなかった未来

挑戦や努力から学んだことや、昔の自分では想像できないいまの自身の姿など、あなたの「想像していなかった未来」ついて教えてください! 11月27日まで 【賞】グランプリには10万円分のAmazonギフトカードなど、合計10名にプレゼント!

応募概要

参考作品

マイナビからのメッセージ

マイナビは、「一人ひとりの可能性と向き合い、未来が見える世界をつくる。」をパーパスに掲げています。
マイナビは皆さんが未来へ向かうときの「ナビゲーター」でありたい。
だけどそもそも「皆さんが見たい未来って、どんなのだろう…」そんな疑問が浮かびました。
未来は誰にも予測できないものかもしれませんが、少なくとも怖いものだとは思いたくない。
未来に対して不安ではなく期待を抱くようなきっかけになれば、とテーマを考えました。
過去の自分が想像していなかった未来に今立っている自分を見てみると、
この先の未来も何でも乗り越えられる気がしないでしょうか?
この先が楽しみになるような、そんなコンテストになればうれしく思います。
みなさんの作品を、心からお待ちしております。

人気の記事一覧

マイナビ×noteで、投稿コンテスト「#想像していなかった未来」を開催します!

いまの自分は、過去の自分の延長線上にあります。 思い切ったチャレンジや、積み重ねた努力、あるいは、何気なく続けていた習慣によって、過去の自分からは想像していなかった未来を実現した方もいるのではありませんか? たとえば、趣味のランニングを続けていたらマラソンを完走できるようになった。好きな海外ドラマを見続けていたら留学して新たな環境に飛び込んでいた。学生のころには考えられない仕事に就いていた。また、そのような変化の過程で新しい経験や気づきを得たという方もいると思います。 そ

高校3年間、ひとり別空間にいた

「男子しかいない学校なら、全員と仲良くなれるじゃん!」 これが、男子校の高校に入学する前の自分が思っていたことだった。 中学では、女子と話すときはスカしてしまってしゃべれないけど、男同士ではたくさんはしゃいで3年間を過ごした。だから、男子校ではクラス全員と仲良くなって歯止めが効かない。これから楽しすぎる3年間になる、と信じていた。 入学式の日、席の近いクラスメイトたちと「どこ中?」「入学前から宿題多すぎるよね」など初対面の距離感で言葉を交わしながら、 「これがおれが歯止め

【1】プロローグ

皆さん、いつも私の事を応援して下さりありがとうございます。 いつも皆さんから応援して頂き本当に嬉しく思っています。 でも・・・そんな優しい言葉を頂く度に皆さんに大切な事を隠しているような気がして、引け目を感じていました。 Xの私のポストが度々落ち込んだような内容になってしまうのは、この感情が原因です。 『きちんとお伝えしていないのに・・・』と申し訳ない気持ちになってしまうんです。 今回は私の全てを皆さんに打ち明けようと思っています。 きっと全てを打ち明けてしまうと、今ま

【2】ちいさなころ

私が生まれ育った町は、海があり温暖な地方都市でした。 何もかもが揃っているという訳ではありませんでしたが、有名な神社があるせいか県外からの観光客も多く、賑わいのある町だったと思います。 私の家の近くにも、とある女神様を祀った神社があり、幼い頃から何かあるとそこへお参りに出かけたものです。 今は少なくなりましたが、その神社のおみくじは箱を振ると棒が出てきて、巫女さんに渡すとそこに書かれた番号の引き出しからおみくじを出して渡してくれるタイプのものでした。 巫女さんがいつも優し

【3】ランドセルのころ

※前回のバナー写真は私の家族写真ではなくイメージです。 分かり辛かったですよね。勘違いさせた方、ごめんなさい。 地元の小学校に入学した私は、引っ込み思案で、クラスの中でも割と目立たない方でした。 小柄で、運動も苦手で、だからといってすごく勉強が出来る訳でもなく、ごくごく平凡な子どもだったんです。 ・・・とはいえ、学校は嫌いではなかったし、それなりに友だちもいたので、楽しんでいました。   平凡に生きていた私も、年齢相応に成長し、10歳を迎える頃には、父と一緒にお風呂に入るこ

【Essay】今日が過去になったとしても

「このケーキ屋さん、オシャレで美味しそう!」  妻がスマホ画面を僕に向けてきた。先日、妻の誕生日を迎え誕生日プレゼントを渡したが、ケーキは買っていなかった。  僕が仕事を終える時間には、いつもケーキ屋さんは閉まっているため休日に買いに行くことにして美味しそうなケーキ屋さんを妻に探してもらっていた。  「どこにあるの?」  僕が聞くと「この辺らしいよ」と妻がGoogleマップに画面を切り替えて見せてきた。  家から車で15分ぐらい離れた場所にあるらしい。「へー、こんなところにケ

【5】ブレザー服のころ

「はぁ。。。」 鏡に映る自分の姿に、思わずため息をついてしまうほど、ブレザーが似合いませんでした。 成長期にも、思うように背が伸びなかった私は、150cmにも届かず、セーラー服の時は気になりませんでしたが、ブレザーだと明らかに無理している感じに見えたのです。 それでも、ちょっぴり落ち込んでいる私を、母は朗らかに励ましてくれたので、気を取り直して学校へ歩き出しました。 私が通う高校は・・・ 【宗方女子学園】 略称:宗女(むなじょ) その名の通り女子校ですから、心穏やかに

【7】ちひろ、巫女になる

巫女になる為にモデルを辞めると決意しましたが、 実際に辞める事は簡単ではありませんでした。 後輩が入ってきたとはいえ、年間の撮影予定はメインである私をベースに組み立てられていましたし、有難いことに強く引き留めても下さいました。 「せめて今年度までは在籍して欲しい」と会社から言われてしまったのです。 早く辞めたい気持ちと、お世話になったので最後まできちんと務めたいという思いに板挟みになりそうでしたが、最後までやり通す事にしました。 『責任は、果たそう』 そしてスッキリと

【6】モデルのころ

高校2年生になる春休みに、エリア限定読者モデルの面接を受けに行った私は、周囲の華やかな同世代女子の中で、飛び抜けて小さく、そして垢抜けない子だったと思います。 面接を受ける前に、これは勝ち残れないということを、ひしひしと感じていましたが、それでも背を向けて帰ろうとは思えませんでした。 まず、この面接を受けることが・・・ “私を変えてくれる” ”あの女優さんのように強くたくましくなれる第一歩” になれるのではないかという想いがあったのです。 エリア限定ということで、遠方の

【2分小説】無色透明なヒーロー

「俺が高2の頃なぁ。 他校のヤンキーに囲まれたことがあんだよぉ。 んで、こう殴りかかってきたからよぉ。 俺は、こう捌いてから後ろに回り込んで、こんな感じでコブラツイストしてやったんだよぉ」 上司が、100万回聞いた遥か昔の武勇伝を酔っぱらいながら後輩達に語り始めた。 僕は知っている。 この後、必ず長々と「今の若い者は~」が始まる。 そして、「特にお前、最近酷すぎるな!」 と名指しされて、ターゲットにされた後輩は、朝まで飲みに付き合わされる。 しかも、奢ってくれるわ

9年憧れたアイドルにイベント出演オファーされた

ダブルパチンコ🎰🎰 先週行われたでんぱ組.inc主催イベント『カオスフェス』に出演するため横浜を訪れた。 開演の4時間前に入ったのだが、どうやらそれはこっちの事務所の連絡ミスで、本来よりかなり早かったらしい。 とりあえず楽屋に荷物を置く。壁ごしに、憧れたでんぱ組.incの練習する声が聞こえる。 受験生が部屋を片付けたくなるようなソワソワがつきまとう。立っては座り、座っては立ち、歩く姿はビッグ官能小説といった様相。とにかく落ち着かなかった。 今から9年前、札幌で観たでん

コニシ木の子さんの活動を目立たせるためには、どうしたらよいか?

 黒夢(クロム)@俳号さんは、『2024創作大賞』の中間選考にコニシ木の子さんの名前が見当たらないことに疑念を抱き、綿密な計算の結果『年1回の創作大賞の順番を待っていたら600年もかかってしまうかもしれない笑。』と懸念されています。  この600年という期間は、太平洋戦争中の1943年に京都帝国大学の物理学者の嵯峨根遼吉が、日本軍がナチス・ドイツから輸入したピッチブレンドを用いたウラン分離計画について『ウランを分離するには10年かかるだろう』と予測した期間の60倍に相当しま

まさか自分の子供が不登校になるなんて

#想像していなかった未来 2人目の娘が生まれた 娘はとても母ちゃんっ子だった 小学一年生赤いランドセルを背負って 普通に学校に行くのが当たり前と思っていた その頃我が家は不安定だった時期と重なっていた きっかけは一年生初めての音楽会 キーボードに選ばれた 娘はピアニカが良いと言った すごく感受性が豊かで敏感だったのだろう 音楽会はきっかけにすぎない その後は体育の授業の時男子と女子 一緒に体操服に着替えないといけない事になっていた その事も本人は嫌だ

誰でも書けるからこそ厄介。

書くことは誰にでもできるからこそ厄介だ。 掃除、洗濯、食べ物を食す。この行為を「すごいね」と褒めてくれる人はだれもいない。なぜなら誰でもできるからだ。こんなこと誰でもできんねん。 たとえば、赤ちゃんが二足歩行をするまでには約1年、言葉を話すまでには1年以上もかかる。反復と失敗を経てようやくできるようになるのに、なぜかこと「文章を書く」ということはクソを漏らすようにカンタンなことに思える。反復などは不要で、自分の気持ちを文字にするだけで、それを公開するだけ。そしたらまるで人

マイナビ、noteコンテスト「#想像していなかった未来」を開催します!

マイナビとnoteは2024年10月28日(月)から11月27日(水)まで、「#想像していなかった未来」をテーマにコンテストを開催します。 マイナビのコンテストは、昨年開催した「#あの選択をしたから」に続き2回目の開催となります。   この記事では、コンテスト開催の背景や、マイナビが「#想像していなかった未来」というテーマに込めた想いについてお伝えします。   また、受賞作品の副賞についてもご紹介しています。みなさんの執筆のヒントやモチベーションのきっかけになれば幸いです。

3ヶ月。

7月26日 人生初めての手術。 そこから3ヶ月が経過した。 もう半年くらい経った気がする。 そのくらい充実してるとも言えるし、 プレーしてたのが遠い昔に思うから、 サッカーしたいな。と思う。 みなさんからの温かい言葉、 周りの素晴らしい方々のサポートの おかげで、順調にリハビリは進んでいます。 ついに今週走れるようになりました。 ここからがほんとの勝負だと思ってます。 動いたら痛みが出る。いわゆるリバウンドが 出てきたり、なかなかここまでのようには順調に進まなくなっ

英語が苦手だった僕が、TOEICのパンフレットをつくった話

訪日外国人数が過去最多を記録しそうな2024年。街中でも、飲食店でも、英語が聞こえてくるシーンが増えたように感じます。 そんな中、弊社が制作した『TOEIC®︎ Magazine for Students』が、今年の春から全国の大学で配布されています。ご存じ、あの英語テスト「TOEIC」の大学生向けパンフレット。併せてムービーと特設サイトも手掛けたので、今回はそのお話をしたいと思います。 制作は英語堪能な編集者・翻訳者を含むクリエイティブチームで行い、さらにTOEICさん

人生観がお変わりあそばしましてよ、(・∀・)の話

問題です。 私が想像もしなかった未来というのは、どんなものだったでしょうか? ①芸能人と付き合った ②宇宙人に拉致されて脳にチップを埋め込まれた ③オカマバーのママになった。うっふん ④その他 では、ヒントとなる小噺をいたしましょう。 私がお若い頃、人生は一枚のキャンバスのようだと思っていました。 まだ希望に満ちていた私は、この白いキャンバスにどんな素敵な絵を描こうかと夢見ていたのです。 しかし歳を重ねるにつれ、人生のキャンバスに色をつけるのは、なにも自分発

わからないから人生は面白い。

「今日の宿題は何?早くやっちゃいなさいよ」 「食べたらすぐ歯を磨く!虫歯になりたくなかったらすぐ磨きなさい!」 この1月で満10歳になる私の息子は、母親である私にいつもガミガミと口うるさく言われ続けている。 という事は、私も母業10年目なわけで。 私は10代後半から精神の病を患い、今、現在も通院中だ。 主治医からは寛解を告げられている。 20代の時、離婚を経験した。 もう自分は絶対結婚なんてしないし、ましてや子供なんて自分が子供みたいなんだし、そんな未来を創造すらしてい

自分の機嫌は自分で取る、について

私は、随分人に頼って生きてきたように思う。 辛いことがあれば友達に聞いてもらう。 助言が欲しい。 大体こういう言葉をかけてくれるだろうなーと、心の中にうっすら期待して話している自分がいる。 恋人が出来ると自分の理想の関係を求めていた。 会う頻度、出かける場所、こんな時はこういう言葉を掛け合うのが普通じゃないの?など。 あなたがいれば、とりあえず幸せなのだと。 お腹が減ったら自分でごはんを作って食べるのに、 お金を稼ぐために頑張って働くのに、 頭が痛かったら薬を飲むの

30歳の同期同士が本気で喧嘩して泣いた日、私たちは戦友になった

「辛い、逃げたい」 その頃の記憶はもうあまり思い出せないけれど、毎日更衣室で岩井ちゃんが笑わせてくれたことだけはハッキリと覚えている__ 今から9年前、あの頃が社会人生活の中で一番毎日笑い、そして苦しい日々だった。 「課長へ昇進」 多い時期は100名以上の職員が内示に名を連ねるのだが、時期外れのそれにはたった1人、私だけの名前がA4の白い紙に印刷されていた。 役職に見合わない自分の名前が、ふわふわと紙の上で浮いている感覚をおぼえた。 ◇ 「後任は誰が来るんだろう

夢を持てなかった私が、フリーランスという小さな夢を自覚した瞬間

こんにちは!働く母nanaです。 現在、育休明けの転職に向けて、プロに伴走してもらいたいと思い、キャリアコーチングを受けています。(現在、3回目が終了) これまで「どんな仕事がしたいか」についてセッションしている中で、自分でも思いもよらなった選択肢が急浮上したのです。 それは「フリーランス」という選択肢。 なぜ「フリーランス」という選択肢に行きついたのか、過去からの変遷を振り返ってみます。 将来の夢が答えられなかった子ども時代幼稚園、小学校、中学校…。特に卒業式では

目次 : 適応障害から脳が覚醒

目次1章 プロローグ適応障害になったきっかけ 2章 適応障害 診断診療内科で適応障害と診断 適応障害により休職 診療内科で処方された薬 3章 適応障害 休職適応障害になって1週間 適応障害になって1ヶ月間 休職中 会社との連絡 適応障害になって2ヶ月目 適応障害になって3ヶ月目 適応障害 診断書 休職延長 4章 回復適応障害 回復のきっかけ 適応障害 回復 適応障害 休職からの復職前面談 気づき始めた 脳の異変 5章 覚醒覚醒とは

25年目の疑問 〜なら、正解おしえてくださいよ〜

こんにちは、ぷるるです。風が冷たくなりましたね。 食欲の秋に突入だ〜!ということで、食事会に行ってきました。 かつての職場仲間、計13人で構成される「クック・クルック会(仮名)」は、今年で15年目。 気付けば6時間も食べて、飲んで、しゃべりっぱなし!たくさん元気をもらいました。 そんな楽しいクック・クルック会(仮名)ですが、私には毎回モヤつくことがあるのです。 今日はそんな『長年正解を追い求めているのに、一向に答えが得られない』案件を、ぜひ聞いてください。 この会社に

覚醒したらこうなる 私生活編

• 服装、髪型など身だしなみをきれいにするようになる • 健康に気を使うようになる • 口にする物を気にするようになる • 美容にさらに気を使うようになる • 五感が研ぎ澄ませれている

トラウマと、プラトニックな関係と、中二病と。

初めて彼氏ができたのは高校一年生の夏、バイト先の1つ年上の男子高校生だった。  バイトしていたマックは2号線沿いにあった。当時住んでいた地方の大通りはマック、レンタルビデオ『ゲオ』、マックスバリュー、ザグザグ、ブックオフ、サーティーワン、ユニクロ、ラウンドワンこの通りに行けば大体が完結できた。この2号線を行ったり、来たりして青春を過ごしていた。 何より2号線に行けばその日は充実感でいっぱいだった。学校が終わると直ぐに、自転車で20分かけてマックに向う。バイト先のマックは高

【体験レポ】ティラノサウルスレースで爆走してきた

今回、ティラノサウルスになりきって爆走する「ティラノサウルスレース」に参加してきた。27歳、人生初の挑戦。 出会いはX(旧Twitter)で見かけた開催告知のポスト。おもしろそ〜と思ったらもう興味が止まらず、そのまま応募した。参加費無料なのもハードルを下げた要因の一つだったと思う。これが一回3,000円とかだったら流石に見送っていた。 参加条件は「持参・予約・遵守」の3つ参加するうえでまず注意すべきは、スーツは自前で用意する必要があるということ。レンタル前提で調べずにいく

どんな記事が集まるか楽しみです!

よろしくお願いします!!

私、“躁うつ”経験してました

実は私は3年ほど前に1年間ほど 軽度の“躁うつ(双極性障害)”をしてました 正式な診断は聞いていませんが多分 双極性Ⅱ型(軽い操的な状態とうつ状態)でした 日常的な気分の浮き沈みはどの人にでもある ごく自然なことだと思うのですが その浮き沈みを自分で コントロールできなくなっていました 今はもう自分自身で“経験”として考えることができ 症状も改善しているので基本的は元気です! 今日は当時のことを少し振り返っていこうと思います いつなり始めたのか…“躁うつ”のような

ワーホリをして海外に住むことに決めた|ゆるワーホリ日記

私はワーホリでカナダに1年間住みました そして海外に移住することにしました! 今回はなぜ私が海外に住むのことにしたのか その理由をお伝えしていきたいと思います これから留学、ワーホリに行く人の参考になると嬉しいです♡ 海外に住もうと思ったことあったの? 私は今まで一度海外に住もうと思ったことはありませんでした 高校も普通科に通い、大学では看護学部、その後企業病院で看護師として働いていたので海外に行く機会も海外に住むなんてことも考えたことはありませんでした しかも英語がすき!

「生まれた日が やって来た」ー詩ー

生まれた日が くるたびに また 大人になったと 心が はずむ 気が付けば 40年余を超える時が 駆け足で 流れ去っていた 渋谷の町は 高層ビルが建ち並び 別の姿へと 変貌しつつある お祝いのカードを開いて  送り主と過ごした 楽しいバカ話を思い出し 彼女の 幸せをねがってみる どうして 自分がこの世に 生まれてきたのか 40有余年も 考えている でも 未だに 答えらしいものは 見つけられない 20歳の頃は 戸惑いと 若さゆえの 怖い物知らずで なんでも 笑顔で 受け答

再生

神様が用いられる人

【詩】まだ見ぬ未来《あす》へ

まだ見ぬ未来へ 心躍らせ 今日のこの日を生きている まだ見ぬ未来へ どんな今日でも 夢の中なら自由になれる 自由に描く未来の予想図 いくつもの想像を超える その日が来たなら それは今日のこの日を ただひたすらに 懸命に生きる 自分の未来 まだ見ぬ未来へ 心躍らせ 今日のこの日を生きている そんな一日の延長線 #詩 #詩歌 #自由詩 #創作 #短編 #スキしてみて #想像していなかった未来

【癖ありnoter】の回答一覧|#ちょいクセ50

 ウエダヤスシ様のnoteを拝読。 ↓ ↓ ↓  noterのためのnoterの質問、ということで「面白そうだな😊」と詳しく読んでみたのですが、ウエダヤスシ様の回答がかなり面白くて(笑)  例えば・・・いきなり最初から。    ・・・などなど、関西人の血が騒ぐご回答の数々に惹き込まれました😌。詳しくはウエダヤスシ様のnoteをお読み下さい。【癖あり】です。      では、BRILLIANT_Sも、50の質問に答えてみたいと存じます😌🌿  (おそらく放ってお

旅の途中でZINEを追いかける

ZINEを作り始め、文学フリマに出店するようになってちょうど1年ほど。 2度目の出店となった文学フリマ大阪で嬉しいご縁がありました。 新刊で持っていったZINEを熱心に見てくださった2人のお客さま。 正直、どんな反応になるか心配な新刊だったので、良い反応をもらえて嬉しいなぁと見送りました。 終了時間が近くなり、先ほどのお2人がもう一度私のブースに立ち寄ってくれました。 なんと、私のZINEをお店に置きたいとのこと。 まさかのお声がけに、驚き半分、疑い半分。 実はそれま

拝啓 ポケモンカードゲームとゲームに関わる皆さま

 こんにちは。30代女性ポケカプレーヤーです。お礼を伝えたくてnoteをしたためています。  私事で恐縮ですが、新卒から働いていた会社を半年ほど休職していました。仕事をするという行為はとても好きです。しかし、ありがたいことではあるのですが本人の希望とは裏腹に、職位がどんどん上がっていき、その度に「働く女性のロールモデル」や「あるべきリーダー像」を求められることが増え、気がつけば、仕事は「好きなことを実現する手段」から「他人からの期待に応えなければならぬもの」にすり替わってい

日本に生まれて本当に幸運、生活保護で生きられると油断していた。あなたは買い手が付きそうにない土地持ちだから無理と告げられるまで。無能でもいじめられてもお金をくれて居させてくれる職場にしがみつき。でも、30まで生きられると思ってなかった。会社に迷惑な努力の甲斐あってかまだ生きてる

物語が終わったあと

 愛してやまない江國香織作品のなかで繰り返し読むのは、20~30代の女性が描かれる作品だ。  『神様のボート』『ウエハースの椅子』『薔薇の木 琵琶の木 檸檬の木』『東京タワー』などは特に、いつの時代の私にも必要な、美しいディテールが詰まった本。  尊敬や憧れ、親しみを覚えて頭の中に棲みついた本の中のヒロインたちについて、物語が終わった後、彼女たちがその先の人生をどう生きているのか想像を巡らせることがある。  私はこの一ヶ月ですっかり変わってしまった。  読んで書いてを必要

引退します!

 どうもこんにちは、池田弘佑です。  タイトル通り、陸上競技を引退することにしました! 引退の決意 ついに自分にもこの時が来たか、というのが正直な感想です。   元々、陸上を続けるモチベーションがなくなったらやめようと思っていましたが、常に陸上へのやる気に満ち溢れていました。  ですので、引退は当分先の話だろうなあと考えていました。  しかし、その時は突然訪れます。  6月に海外遠征を終え、帰国した後のことです。  当初は遠征による疲れだろうと考えていましたが、いつ

創業から12年が経った

「入社エントリもいいけど在籍エントリ読みたいよね」というツイートを見て自分も在籍エントリ書いたのが5年前なのに気づいた。 あまり覚えていないけど書いていこうと思う。 8期目(2019/7~)開発ゴリゴリ5年前の在籍エントリの頃 この頃はエンジニアも4~5名くらいで1チームで開発をしていた。 GitHubを見るとゴリゴリ開発をしていたらしい。芝がちゃんと生えている。他にもメンバー数も増えつつあったのでSlackガイドラインの作成など交通整理もよくしていた。 ブログを見て

中卒ヤンキーに育てられた私が教員になった話

yuです🩵✨️ 私は中卒ヤンキーの母親と、 中卒ヤンキーで龍の刺青が入っている母の彼氏に 育てられ すくすく大きくなりました🤣🤣 だから、私は何となく 自分も周りの大人と同じように 18歳とかで家出て、 23歳とかで子供産んで、 トラックの運転手とかやりながら、 ギャルのママになっているんだろうな〜 なんて思っていたんです🤣 そういう世界しかしらないのですから。 人生の最初の転機は 部活動の先生との出会いでした。 私は部活動で、 バレーボール部に入りました。 とん

「わたし」が今、ここにいる。つまり「わたしが今、生きている」こと。それは過去の私が想像もしていなかった未来であり、今ここにいる私だって、まさか過去の私がここまでしぶとく生きるなんてことは、想像していなかった。

絶望から私を救ったのは夫でした

元彼との約半年間の同棲を終えて、私は心身共に疲れ果てていました。 別れたのはどうでも良かったです。ただただ失われた愛車と時間とお金に絶望しかしていませんでした。 週1の精神科通院しか外出出来ず、ほぼ自宅軟禁状態。毎食後大量の処方箋を飲み、ひたすら寝込み、パート勤務の母親の愚痴をテレビの雑音と共に数時間聞かされる毎日でした。 「障害年金を申請して、ダメだったら逝こう。」そう決めて、役所で見つけたポスターに書いてある社労士事務所へ連絡しました。 「私が申請して通らなかった

裏金政治家はいくつか落ちたし、増税、社会保障負担増とかもノーを突きつけた選挙結果になった。 れいわや参政党の議席も増えて、面白くなってきた。 投票率は低いけど、今までの金がらみの組織票政治基盤が崩れつつあることを感じた!🎉 プチ祝いするぞ! 高級スーパーの海鮮丼と富山の美味い酒!

未だに雨は降り続ける

僕は当時17歳の高校2年生で、怖いものなんて何一つなかった 学校の先生も親も幽霊も自分が死ぬことも 怖いものなんて何も無かった。 初めてロックバンドを組んで自分が作った曲を演奏して、友達がライブハウスに観にきてくれて ただその感情だけで満足していた。 ギターを壊し 勉強からも逃げ バイトもズル休みし 付き合っていた彼女の事も傷つけ 僕は自分が何者かさえも分からなくなっていた。 僕は見えない何かからずっと逃げていた 目には見えない何か 今になったらその正体が分かる それはきっと

その仕事、やったの俺なんすけど......

YouTubeに投稿されていた都営地下鉄の「ホームドア革命」の特集が凄かった。 東京都は多発する人身事故をなくすべく、都内の駅全てにホームドアを設置することを宣言したが、その設置費用などは各鉄道会社に丸投げというのが実態である。そのため都内全ホームで未だ50%しかホームドアは設置されていない。しかし都営地下鉄だけは設置率100%が実現できているのだ。無線通信機器を設置すれば20億はくだらなかったが、結果的に270万円で済んだ。そのコストカットの救世主となったのはQRコードだっ

本を翼に─いつかみんなでごはんを(碧月はる)

「noteのはるさん」の初エッセイ集「はるさん、本が出るみたいですよ」 わたしがnoteを始めるきっかけをくれた西田梓さん(noteはこちら)から9月の頭にメッセージがあった。 碧月はるさんの初めてのエッセイ集『いつかみんなでごはんを─解離性同一性障害者の日常』のことだ。 わたしも知ったばかりで、梓さんに知らせようと思っていたところだった。 梓さんは「視覚を使わないプロ」なので、本は音声や点字で読む。はるさんの本は購入したものを音訳してもらう予定だという(※note公

不登校はだめという人もいるけど

私は現在、不登校です。 過去にも記事を公開しており、大変高い評価を得ております。 ありがとうございます。 私が「想像していなかった未来」に当てはまる出来事は、ふたつあります。 先ほど添付した記事を読んでもらえればわかると思いますが、小1のとき、私は学校が好きだったんですよね。 でも、給食指導をきっかけに、徐々に行けなくなり、不登校に。 自分が学校に行けなくなるなんて、想像していませんでした。 これがひとつ目の「想像していなかった未来」です。 ふたつ目は、「学校に行か

高校までリケジョで純ジャパの私が、使える英語を身につけられた道のり

日本語以外の言語を使いこなせるようになると、 仕事の選択肢が広がったり、 旅行がもっと充実したものになったりしますよね。 私は地方出身で、英語学習は中学の「New Horizon」(懐かしい英語の教科書 笑)から始まりましたが、今は仕事でもプライベートでも毎日英語を用いて暮らしています。 15歳だった自分が今の英語を話している自分を見たら、ものすごく驚くだろうと思います笑 今回は、「高校時代・大学時代・社会人となってから」の3つのフェーズで具体的にどんなことをし、英語を

フリーランス5年目が考える「フリーランス向いている人」の特徴

フリーランスに向いている人には、どんなイメージがありますか?私自身、フリーランスとして独立してから5年目になりましたが、未だに自分がフリーランスに向いているかどうかは明言できません。 ただ、この5年間でさまざまなフリーランスの方と出会い、またフリーランスから会社員に戻った方の話も聞く中で、どんな人がフリーランスに向いているのか考えることが増えました。 よく耳にするデータによると、フリーランスの10年生存率(継続率)は、全体の1割程度と言われています。この道を続けていくには