ただいま作品募集中です!

#想像していなかった未来

挑戦や努力から学んだことや、昔の自分では想像できないいまの自身の姿など、あなたの「想像していなかった未来」ついて教えてください! 11月27日まで 【賞】グランプリには10万円分のAmazonギフトカードなど、合計10名にプレゼント!

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  • マイナビ×noteで、投稿コンテスト「#想像していなかった未来」を開催します!

参考作品

参考作品

マイナビからのメッセージ

マイナビは、「一人ひとりの可能性と向き合い、未来が見える世界をつくる。」をパーパスに掲げています。
マイナビは皆さんが未来へ向かうときの「ナビゲーター」でありたい。
だけどそもそも「皆さんが見たい未来って、どんなのだろう…」そんな疑問が浮かびました。
未来は誰にも予測できないものかもしれませんが、少なくとも怖いものだとは思いたくない。
未来に対して不安ではなく期待を抱くようなきっかけになれば、とテーマを考えました。
過去の自分が想像していなかった未来に今立っている自分を見てみると、
この先の未来も何でも乗り越えられる気がしないでしょうか?
この先が楽しみになるような、そんなコンテストになればうれしく思います。
みなさんの作品を、心からお待ちしております。

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マイナビ×noteで、投稿コンテスト「#想像していなかった未来」を開催します!

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村上宗隆のホームランを見て引きこもりから脱出した

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6万円の使い方——夫の趣味を「なぜ許せるんですか?」と聞かれて考えたこと

会社の研修で、勉強会に参加することになった。講座の目的は、自分自身を魅力的にプレゼンできるようになること。まずは自分の興味や専門、経験などのなかから、他の人が面白いと思えるものはどんなものかを探ろうということで、グループワークで話し合うことになった。 私の経歴は、けっこう変わっている。社会人になってからイギリスに留学し、帰国後は働きながら大学院に通い、最近は博士号をとったばかりだ。専門は外国語教育で、研究テーマは帰国子女。そして、趣味は音楽、熱気球部に入って活動していた経験

高校3年間、ひとり別空間にいた

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おかげさまで先日、ウリ坊が産まれて半年になりました! まだ半年だったのか…と驚きます。 新しい出来事の連続で もうウリ坊が産まれて3年ぐらい経ってるような感覚です。 思えば 1ヶ月前はまだ離乳食も食べれませんでした。 2ヶ月前は人見知りで今みたいに笑ってばっかりいませんでした。 3ヶ月前はコロコロと寝返りできませんでした。 4ヶ月前は物を掴むこともできませんでした。 5ヶ月前は「キャッキャッ」と声を出すこともできませんでした。 6ヶ月前はお腹が空いたら泣くこと

【Essay】答え合わせ

 つい先日、選挙に行ってきた。  大学進学と同時に東京に行っていたので 地元で選挙に行くのは初めてだ。  投票所は僕が小学生の頃に通っていた母校だった。  小学校に行くのは約18年ぶりになる。 少し補修されている部分もあったがほとんど何も変わっていなかった。  なんだか懐かしい気分になって、投票を終えてから窓から教室を覗いてみたり校庭の遊具で軽く遊んだりしてみた。  一緒に来ていた妻に「この鉄棒で豚の丸焼きという技をよく披露していたんだ」「この滑り台で頭から滑ったら

本当は40歳でもやりたくなかった

気が付けば結成30周年を迎えてしまい、うっかりデビュー30周年も迎えてしまいそうだ。 何の話かというと、自分が所属している「SOPHIA」というバンドの話だ。 25年ほど前に数曲のスマッシュヒット… いや、当時はミリオンヒットが珍しくない時代だからまぐれ当たりのポテンヒット程度かな?があったのでご存じの方もいらっしゃるかもしれない。 が、その方々の多くは「まだいたの?」という程度の認識だろう。 それも当然の反応で、当の本人が「まだやるの?」と思っているからだ。 同時期にデ

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18歳。高卒で就職の道を選んだ私は、社会の厳しさに揉まれていた。 正社員として入社した大きな洋菓子会社の研修はとても手厚く、お辞儀の角度から生クリームの絞りまで教えてくれた。 今思えばとっても楽しい仕事内容だったのだが、18歳の私にはまず”毎日働く”ということが既に苦しく、半年経たずに泣きながら退社したのだった。 そこからいくつかの転職を経て、なんとか毎日働くことには慣れたと思ったその頃、ずっと女手ひとつで育ててくれた母が亡くなった。 最後の親類が亡くなるってとても大

【Essay】今日が過去になったとしても

「このケーキ屋さん、オシャレで美味しそう!」  妻がスマホ画面を僕に向けてきた。先日、妻の誕生日を迎え誕生日プレゼントを渡したが、ケーキは買っていなかった。  僕が仕事を終える時間には、いつもケーキ屋さんは閉まっているため休日に買いに行くことにして美味しそうなケーキ屋さんを妻に探してもらっていた。  「どこにあるの?」  僕が聞くと「この辺らしいよ」と妻がGoogleマップに画面を切り替えて見せてきた。  家から車で15分ぐらい離れた場所にあるらしい。「へー、こんなところにケ

【2分小説】おかえり

俺は地元が大嫌いだ。 なぜなら何もないからだ。 オシャレなセレクトショップもない。 美味しいコーヒーが飲めるスタバもない。 夢や希望が詰まった高層オフィスビルもない。 こんなとこにいるとちっぽけな人間で終わっちまう。 できることなら一生地元になんか帰りたくない。 ところが、今回実家に置いていたこち亀がなぜか無性に読みたくなってやむを得ず帰ることにした。 もう1度言うが本当に帰りたくない。 決して 仕事中、取引先のお偉いさんのカツラを転んだ拍子にはたき落として

中卒ヤンキーに育てられた私が教員になった話

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イヤイヤ期を恐れている、2年半前の私へ

子どもが生後半年くらいの頃、私は「幸せ」と「不安」の間を反復横飛びしていた。 それは、良くも悪くも「赤ちゃんかわいすぎるだろ」、という感情のせいだった。 赤ちゃんは、あぅあー、とかしか言わないし、顔を一度隠したうえでまた出現させるだけの行為(いないいないばあ)で爆笑する沸点の低さだし、なんか体も全体的に柔らかくてプニプニしてる。この世にあるすべてのかわいいものの起源って赤ん坊なんじゃないかと思う。権利関係は大丈夫なのでしょうか。「赤ん坊©️」とつけるべきでは? そんな幸

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※この記事は、私の起業記念note二部作のうちの第一部(ポエムの部)です。第二部では事業にかける思いを真面目に綴る予定です。 起業します。突然ですが、この度キャディ株式会社を退職し、起業することになりました。 提供するのは、企業向けのDX推進サービスです。 私は10年以上にわたるプロダクトマネージャーとしてのキャリアを一旦ここで終えます。 もちろんプロダクト開発のバックグラウンドは私の強みですし、今後も時にプロダクト開発をすることもあると思います。ただ、「プロダクト開発

ついに「YouTube」進出🥹──担当本についた「Amazonレビュー」にアンサーしてみた!

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小学校の先生からアイドルになった私

私は大学を卒業して、小学校の先生をしていた。 授業はやりがいがあって楽しいし、子どもたちの成長はこの上なく嬉しい。 大きな行事があれば、子どもたちと一緒になって全力で取り組む。 忙しかったけど、教師である日々は毎日が充実していた。 だけど。 私には人には言えない夢があった。 アイドルになりたい。 昔からアイドルが大好き。 歌やダンスは得意ではないけど、それでもステージに立ってみたい。 そんなことは叶わない。 だって私は教師をしている。 年齢も24歳。 普段から先生をし

なんでもないふりして暮らしているボクらの、このなんでもなくない日常

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きっとちょうどいいくらいの奇跡

深夜2時過ぎ 久しぶりに中途覚醒したボクは、当たり前みたいな振りをして、no+eを見る。 そして、昨日から新しい住まいの寝室となった2階の和室の暗闇に白く浮かび上がったスマホの光は、ボクにとって文字通り 光 となった。 というか、最初は、何が起きたのかまったく分からなかったくらい、 それは紛れもなく 奇跡 ってヤツでもあった。 なぜならボクは、このとき あの「バナナブレッドのプディング」のあの主人公のあのセリフを 自然とそらんじていたのだから。 夢にも

最悪の失恋の腹いせに、”星野リゾート全制覇”を目指し、今49施設目のOLの話。

33歳の秋、7歳年下の彼氏に振られた。 独身、失恋、崖っぷち。人生白紙、お先真っ暗、オワタ。今からまた振り出しか、積んだ。 さらに追い討ちをかけるように言われた、元彼からの別れの衝撃のセリフ。 「ミカちゃんよりも面白いコンテンツが世の中にはたくさんあると思った。」 めちゃくちゃ腹が立った。なんだよ、私より面白いコンテンツって。悔しい。悔しすぎる。思い出しても腹が立つ。 とはいえ失恋しようがしまいが平日は週5で仕事がある。平気なふりをしながら、怒りを燃料に働いていたが

“敗者の哲学”の果てに🇨🇿チェコ版『巨人の星』マレク・フルプのバットに託された野球小国の未来図⚾️

星飛雄馬?星一徹?どちらが『巨人の星』のスパルタ親父で、どちらが火の玉目玉っ子ジャイアンくん本人なのかさえ教えてもらえないアンチ巨人軍・アンチ鉄拳制裁の温かい中流家庭で、僕はかなりチャランポランに育った。 『ドカベン』『一発貫太くん』『名門!第三野球部』辺りに、大いなる未来のビジョンを描かせてもらった少年時代である。 一方、去る9月25日、晴れて讀賣ジャイアンツとの育成契約にサインしたチェコ共和国の主砲、マレク・フルプは、ひょっとしたら星家のような厳しい環境の下、英才教育を施

「誰のために、生きてんだっけ?」40歳で、自分のために生き始めました。【研究の世界から飛び出し、未知の世界へ🕊️】

こんにちは、シズカです。 2024年3月に会社を辞めて、独立しました。 これまでも転々としてきたのですが、これまでは「研究キャリアの中」で「サイエンティスト」という強みを活かして仕事してきました。 しかし今回は、違います。これまでいた「研究の世界」からエイっと飛び出し、「未知の世界」へ向かっています🕊️ これまでの経緯と、飛び出した理由、今の想いを綴ります。 「やりたいことがない!」 とにかく辛かった学生時代 高校生の頃、「進路」を人一倍悩みました。 何故悩んでいた

人手は足りているのか仕事は変わったのか

いろんなニュースを見ていて思うのは・・・ 実際のところ 人手は足りているのか? それとも足りていないのか? その基準となるのが 有効求人倍率 有効求人倍率とは 仕事を求めている人に対して、何件の仕事があるのか R6年8月で1.2倍となっており、基本的には求職者が有利な売り手市場となり 人手不足の状況とのこと。 人手は不足しているので 景気は良いとの指標になるが、果たしてほんとにそうなのだろうか 人手が足りていないと思う理由 ・少子高齢化による 就労可能な人口が減っているこ

写真を撮ることができるということ

2024年の11月の上旬に幡野広志さんの写真のワークショップその3に参加した。 初めて写真のワークショップに参加したのが2023年の2月。 初めての参加は少し不安もあったけど、思い切って申し込みをした。結果、「写真を撮る」ということがグッと身近に感じることができるようになり、カメラを毎日持ち出して撮る生活が始まった。 翌年の同じくらいの時期に写真のワークショップその2を受けた。 そこではより実践的な撮影時に意識した方が良いことや現像のコツなどを教わった。 そして今回、3

夢のない大学生がハライチに憧れてテレビ業界に飛び込む話

大学2年生の春、広島に住んでいた僕は、友人と一緒に東京へ旅行することにした。 少しでも節約をしたい大学生の僕らは、夜行バスに揺られる10時間の長旅を選んだ。 硬くて狭い座席、慣れない夜行バスでは深く眠ることができなかった。 一緒に乗っていた友人も寝付けなかったのだろう。深夜に突然、動画のURLを送ってきた。 「ハライチのターン フリートーク 神回まとめ」 TBSラジオで放送されている『ハライチのターン』のフリートークがまとめられている動画。もちろん違法アップロードであ

栗色パーマのショートカットで。

この初秋にこのヘアスタイルにしてから 楽でラクで、しょうがない。 なにがラクって、 根本さえしっかり起こしてやれば 髪をまとめなくてもサマになるんだよね (さようなら、散逸するピンやヘアゴム達)。 それまでは数年かけて、 肩より長いストレートヘアに 細かい筋を幾重にも入れてトーンアップし 自然なグレイヘアを目指していた私。 60を過ぎた母は見事なグレイヘアだから 私も、抗わないヘアケアを 考えさせられてきた結果では、ある。   ただし毎回、3時間はかかるこのメンテ。

流行りのガジェットも好きだけど、すぐ「消費」できない「NUME FUKURO」もよいという話

世の中に「消費」されたくない。 SNSの流行り廃りの速さにそんなことをぼんやり考えることがある。 悪気なく自分だって、流行りものは猛烈にハマって、そして気がつけば忘れてしまいがちだ。 そうなってしまえば、ある日もう一度出会った時に「あの時流行ったやつね」と烙印を押してしまう。 商品を取り扱う上で、世の中の需要に素早くついていけることは、大切な能力のひとつなのだけど、一方で少しずつ長く愛される商品を取り扱いと思うことはわがままだろうか? そんな思いを知ってか知らずか、ある

妻がうつ病と診断されて自分が実施したこと

①はじめに 「うつ病家族」、「鬱病家族接し方」、「うつ病家族治し方」、「20代 うつ病 治し方」、「20代 教員 鬱」「うつ病効果がある」 ——何度このようなキーワードを検索したかわかりません。心の中に積もる不安やモヤモヤを解消できるような答えを探しても、なかなか見つけられずにいました。 インターネットには、うつ病を抱えている本人の体験談や、彼らの苦悩に焦点を当てた記事は数多くあります。しかし、うつ病の方を支える家族の視点からの話は驚くほど少なく感じました。 このブログ

Gutsヒロのスイーツ・ストーリー:Just Like a Boy〜喜びを届ける日〜

Gutsヒロのスイーツ・ストーリーへ、ようこそ!お菓子作りが生きがいでスタートしたお菓子のお店の活動を皆様と共有し、美味しく幸せなひとときとなれば幸いです。 先日の10月27日は、私のお店「お菓子工房たびこ」の第3回目の店頭販売日でした。この日を迎えるのに様々なことがありました。 Gutsヒロのスイーツ・ストーリー:心の音は正直者 前回の投稿にも書いたのですが2回目の「急性腰痛症」を診断されました。徐々に良くなっていったのですが、店頭販売の週のはじめに職場で物を置こうと

缶コーヒーと兄

2つ上の兄がいる。両親からここ25年くらい「本当は優しい子なんだよ」と言われ続けている兄である。 私は兄と会話をしない。兄が中学以降、家の中で喋ることがほとんどなくなったからだ。ただ無口になっただけで特に非行に走っているわけでもなく、はたしてグレたといえるのかはよくわからない。 ご飯の時間になれば一緒に食卓を囲むし、一緒にリビングで『笑う犬の冒険』も見ていた。でも食事中に兄が自分から話し出すことは一度もなかったし、どんなにはっぱ隊やセンターマンが面白くても兄が声を出すこと

これはボクからのメッセージ【すべてのno+erの人たちへ】

1.ポスト・コンテスト・シンドローム この1週間ほど サイドエフェクト(副作用) にずっと悩まされていた。 原因は、no+eのある創作コンテストに参加したことである。 ありがたいことに僕の作品は、その中のある賞の候補に選ばれた。その「想像していなかった未来」に当初の僕はとても浮かれていたのだけど、今は、対照的にとても憂鬱なムードの中にいる。 それは、結局のところ受賞を逃してしまった、という結果のせいでもあるけれど、それ以上に、賞の受賞うんぬん以前に、それぞれのエン

ちいさな 本当の

私は今まで何も言葉に出来なかった ママにも先生にも友達にも このnoteは今まで全部の日記 10年前の日の事がやっと言葉になったりして 書いた日記 駅前 待ち合わせに誤差は付き物 スカートが冷たい 制服 紺色 髪色明るく見えがちだよな…。 人間関係には 誤解が付き物 あの日のママへ  あの日の先生へ  あの日の友達へ 大好きな貴方に 下手っぴな滲んで破けた日記 これがnoteに合ってるとも思わないけれど 優しい想いの場所 だと思ったから。 noteに想い

もし「担当本に低評価レビュー」がついたら──実はそれもありがたいです🥹✨

こんにちは!   三笠書房の5年生編集者です!✨ 唐突ですが、みなさんはAmazonレビューを投稿したことがありますか?📚 特に本のレビューって、書いてくれる方が多いんです。読書は、著者や読者さん自身と対話する時間でもあるので、感想が湧き起こりやすいのですね。 そして編集者にとって、 Amazonレビューは、 本当にありがたくて心に響く 存在なんです🥹🥹 今回は、そんな編集者がAmazonレビューにどんなふうに向き合っているのか、お話ししてみたいと思います! ◆読者

創作大賞2024授賞式で「なんのはなしですか」と言えた日に。

創作大賞のベストレビュアー賞受賞のメールをいただいた。そうか、もうその季節かと感じていた。思えば去年もそうだったなと去年のメールを読み返した。 去年は受賞していなかった。 そんなはずはないと思ったが、世間の事実はそうみたいだった。私は受賞していなかったのかと、この段階ではじめて認識し、一年経過したことに気付いた。受賞していた気分で過ごした一年間の自分がとても好きになった。 事実と向き合うのに二、三日かけていたら、事務局の方から再びメールが飛んできた。 こんな確認の仕方

まさか自分の子供が不登校になるなんて

#想像していなかった未来 2人目の娘が生まれた 娘はとても母ちゃんっ子だった 小学一年生赤いランドセルを背負って 普通に学校に行くのが当たり前と思っていた その頃我が家は不安定だった時期と重なっていた きっかけは一年生初めての音楽会 キーボードに選ばれた 娘はピアニカが良いと言った すごく感受性が豊かで敏感だったのだろう 音楽会はきっかけにすぎない その後は体育の授業の時男子と女子 一緒に体操服に着替えないといけない事になっていた その事も本人は嫌だ

コピーライターになれなかったけど、糸井重里さんに褒められた話

コピーライターになりたかった。だけどなれなかった。 大学4年の就職活動では、広告代理店を上から順番に受けて、ことごとく落ちた。合同就活イベントには足を運ばなかったし、ほかの業界に見向きもしなかった。想いだけは強いわりに、準備をおろそかにしていたし、計画性のない、視野の狭い学生だったと思う。 タイムマシンがあれば、2005年に戻って、当時の自分を叱りつけてやりたいと思うが、おそらく彼は自らに似たヤバいおじさんの出現にきょとんとするばかりで、考えを改めることはないだろう。

愛する夫に、恋人を。

夫に、恋人をつくろう。 私たち夫婦が見出した、答え。  私たちは互いに、信頼しあっている。 ただ性的な欲求のバランスが、取れない。 結婚後、ほどなく妊娠し (妊娠が発覚したのは着床から5ヶ月後、おかげで妊婦生活は体感半年)、 生まれたと思ったら生後2ヶ月で心臓の手術、 退院、 保育園、 仕事復帰、 引っ越しと駆け抜け 2人きりの生活はおよそ2ヶ月の私たちが やむなく先送りし続けてきた問題だった。 娘が3歳になり、 七五三を無事に終え、 さてと夫婦 顔を見合わせて 久方

下を向いていた日々から、前を向いて歩き出すまで

皆さんこんにちは😆 ららです。 今日はマイナビ × note さんのコンテスト企画#想像していなかった未来、に基づいて自分の体験を書かせて頂こうと思います。 よろしくお願いします☺️🙏 (当該記事はこちらからどうぞ😊) これは僕が、絶望のどん底から希望を持って這い上がるまでのお話です。 少し昔のことになります。 自分で言うのはちょっと恥ずかしいですが、僕ららは割と幼少期から勉強ができる方で、人当たりもよく、運動もサッカーを中心に頑張っている、いわゆる「模範的」な子供で

誰でも書けるからこそ厄介。

書くことは誰にでもできるからこそ厄介だ。 掃除、洗濯、食べ物を食す。この行為を「すごいね」と褒めてくれる人はだれもいない。なぜなら誰でもできるからだ。こんなこと誰でもできんねん。 たとえば、赤ちゃんが二足歩行をするまでには約1年、言葉を話すまでには1年以上もかかる。反復と失敗を経てようやくできるようになるのに、なぜかこと「文章を書く」ということはクソを漏らすようにカンタンなことに思える。反復などは不要で、自分の気持ちを文字にするだけで、それを公開するだけ。そしたらまるで人

本に救われた過去の私へ

秋と本が、どうしようもなく好きです。読書の秋と言いますが、秋でなくとも本は好きですし、本がなくとも秋は好きです。 昨日、秋の高い空の下で街を散歩していて、私はお気に入りの古書店へ向かう道中、花屋さんに寄りました。自然を眺めながら読書をしたいと思ったからです。 買ったのはユーカリ・グニーの枝物です。ドライにすればきれいなまま長持ちするので、おすすめですよ。やさしいグリーンが好きです。見ていて心が落ちつく色合い。 あわせてガーベラを買ったのですが、花屋さんがバラもおまけで差

「すみません」をやめたら、世界が少し優しくなった

こんにちは!いつも読んで頂き、ありがとうございます。 10代の頃、僕の口癖は「ごめん」でした。クラスマッチでバレーボールをしていたとき、スパイクが決まっても、つい「ごめん」と言ってしまう。 友達に「なんで謝るの?」と不思議そうに聞かれても、自分でも理由はわかりませんでした。 ただ、「もしかしたら迷惑をかけているかもしれない」と思い込んでいたのかもしれません。何も起こっていなくても、つい謝ってしまう。そんな性格でした。 「すみません」が増えた社会人生活社会人になり、営業の仕

ビジネス書の著者が「スゴすぎて」つらいとき──スーパービジネスパーソンと比べない

こんにちは!   三笠書房の5年生編集者です📚✨ ビジネス書を読んでいると、ふと、 「この著者、ホントにすごいな!」 って感心すること、ありませんか?😌   行動力がズバ抜けていて、タフでエネルギッシュで……。 特に、ビジネス書には、逆境や「長い低空飛行」期間を乗り越えて成功を掴んだなどという、 「ビフォーアフター」系のドラマを持っている著者が多い気がします。 なんだか、若い頃からずっと順風満帆な人よりも、「昔はうまくいかなかった」と語る人からのほうがエネルギーも

コーヒーを片手に新聞を読むおっさんみたいな少年が、20年後に編集者になった話

中学1年生ごろから新聞を読む習慣があった。 朝起きると、布団もたたまず部屋を出て、階段を降り、よろよろとキッチンまで歩く。母はやかんで湯をわかし、その熱で手を温めている。父ははちみつをうすく塗った5枚切りのトーストをかじりながら、中日新聞の朝刊を読んでいる。それがぼくが毎朝起きて一番に遭遇する、家族の風景だった。 ダイニングテーブルの父の対面にすわり「新聞、まだ?」と父に聞く。数分待つと、父は読み終わった新聞を、テーブルの上をすべらせるように「ほい」としずかに渡してくれた

ボクらのファウスト・ストーリー

そもそも未来って想像もつかないからこそ未来なんじゃないのだろうか? まあ、我ながら性格悪いなあ、と思うよ。 #想像していなかった未来 というタイトルのコンテストにこんな出だしの記事を書くなんてさ。 しかも、さらに僕が性格が悪いのは、 主催者の人たちが期待しているような 想像もしてなかった(素晴らしい)未来 についてのエピソードなんて絶対に書いてやるもんか と固く心に誓っているところだ。 けど、別にパンクな気分ってわけじゃない。 セックス・ピストルズはもう歌

noteに居場所を見つけたらリアルと向き合えたってなんのはなしですか?

「マイトンって由来はなんなの?」 居酒屋でハイボール片手に聞いてきたのは、noteで知り合ったコニシさんだった。 その質問で忘れかけていた思いがふいに湧き上がる。 「それは……」 ◇◇◇ そもそもnoteを始めたきっかけは、経済的に余裕が無かったから。 子供2人を抱えてサラリーマンの給料一本足打法は正直キツイ。 妻はやれメルカリだの、やれバイマだのと、最近流行りの物販に手を出すも一向に軌道に乗らない。なんでもいいから堅実に働いて欲しいという気持ちと、妻の気持ちをポ

書籍編集者の「楽しくnote続けるコツ」⑥── 電車時間を活かす!

こんにちは! 三笠書房の5年生編集者です! さて、そこまで「大好評!」というわけでもないんですが(笑)、 多くの方に見ていただいている、 「noteを楽しく続けるコツ」 シリーズの第6弾 をご紹介します〜🙌 ◆電車で過ごす時間、みなさんどう使ってますか?突然ですが、皆さんは電車に乗っている時、何をしていますか? 以前の私は、ただスマホをいじったり、読書をしたり、特に何も考えずに過ごしていました。 でも、ここ半年くらいで、 「電車に乗ったら → noteを書く」

勇気を出して開けた扉の向こうに

「日本語、忘れそう」と夫に話す。 冗談ではあったが事実、昼間は誰とも話さない日が続いていた。直近で夫以外の誰かと会話したのはいつだっただろう?すぐには思い出せない。 あの頃、地元を離れて知り合いのいない土地で私は初めての育児をしていた。 当時の感情を振り返るとき、私の瞼には北陸の冬空が浮かぶ。 約10年前。まだ少し肌寒い3月初旬に私たち夫婦は結婚式を挙げた。互いの地元である東海地方で。 そして式の翌週、なんと夫の転勤が決まった。勤務地は石川県。それからは式の余韻に浸

保健室の先生になりたかった私の#想像していなかった未来

マイナビnote編集部の松田です。 note社とマイナビで開始しているコンテスト、「#想像していなかった未来」。 今日は私のエピソードを投稿させていただきます。 プロフィール  たいがい、#想像通りではない未来、なのかもテーマが決まった瞬間、自分の約30年の人生がぶぁあっと早送りで頭に浮かびました。 紫ドレスを着た魔女見習いになるつもりだったな。 お花屋さんになるつもりだったな。 保育園の同級生のS君のお嫁さんになるつもりだったな……。 30年のだいぶ序盤ばかり浮かび

わがはからいにあらず

それまで勤めていた会社を辞めて 難波で仲間と一緒に会社を作ったのは 36歳の時でした。 それから3年、39歳の時 また、元に勤めていた会社に戻りました。 アルムナイ採用? 今の時代だとそういうのかもしれませんが 当時はまだ珍しいパターンだったと思います。 戻った直後から、とにかく忙しい毎日でした。 毎晩遅くまで、当然、土日も関係なく。 あっという間に時間が過ぎて、10ヶ月後。 その日もいつものように夜中まで働き 家に帰った時には日付も変わっていました。 とにか

春夏秋冬。額縁に切り取られた風景は、時計仕掛けの絵画のようだ。

額縁に切り取られた風景は、時計仕掛けの絵画のようだ。 透明な板で空間を隔てることで、ガラスの向こう側は幻想的な空間へ、ガラスのこちら側は感覚的な空間へと変容する。 心なしか、時の流れも緩やかに感じられる。 せわしない日常から抜け出して、まどろみの中で忘れかけていた大切なものに触れていると、迷子になって今にも泣き出しそうな存在を、愛と慈しみで包み込むことができる。 過去も未来も、想像も現実も、喜びも悲しみも、いつしか永遠の平安へと融けてゆく。 自然豊かな片田舎でひっそ

【‘‘誰しもが表現者になりうるもの’’】

今の自分がこうして、noteというプラットホームの中で物を書いているということは数年前、十数年前までは想像もしていなかったことである。 noteを書くきっかけになったのは、自分の中のモヤモヤとした感情を言葉で表現したいとそう思ったからだと思います。 話すのが苦手な自分にとって、書くことの方が自分に合ってると思いますし、書くのが苦手でむしろ話すことの方が得意という方はYouTubeやVoicyといったメディアで自分を表現する人たちもたくさんいます。 XやInstagram、Ti

9年憧れたアイドルにイベント出演オファーされた

ダブルパチンコ🎰🎰 先週行われたでんぱ組.inc主催イベント『カオスフェス』に出演するため横浜を訪れた。 開演の4時間前に入ったのだが、どうやらそれはこっちの事務所の連絡ミスで、本来よりかなり早かったらしい。 とりあえず楽屋に荷物を置く。壁ごしに、憧れたでんぱ組.incの練習する声が聞こえる。 受験生が部屋を片付けたくなるようなソワソワがつきまとう。立っては座り、座っては立ち、歩く姿はビッグ官能小説といった様相。とにかく落ち着かなかった。 今から9年前、札幌で観たでん