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#想像していなかった未来

挑戦や努力から学んだことや、昔の自分では想像できないいまの自身の姿など、あなたの「想像していなかった未来」ついて教えてください! 11月27日まで 【賞】グランプリには10万円分のAmazonギフトカードなど、合計10名にプレゼント!

人気の記事一覧

マイナビ×noteで、投稿コンテスト「#想像していなかった未来」を開催します!

いまの自分は、過去の自分の延長線上にあります。 思い切ったチャレンジや、積み重ねた努力、あるいは、何気なく続けていた習慣によって、過去の自分からは想像していなかった未来を実現した方もいるのではありませんか? たとえば、趣味のランニングを続けていたらマラソンを完走できるようになった。好きな海外ドラマを見続けていたら留学して新たな環境に飛び込んでいた。学生のころには考えられない仕事に就いていた。また、そのような変化の過程で新しい経験や気づきを得たという方もいると思います。 そ

村上宗隆のホームランを見て引きこもりから脱出した

2021年9月。 テレビを点けた瞬間、ヤクルトの村上宗隆選手のホームランが映った。 ボールは綺麗な放物線を描いてスタンドに入っていった。 スタンドの観客たちの割れんばかりの歓声が耳にこびり付いて離れない。 村上選手はスタンドを指差しながらダイヤモンドを1周する。 その光景を見たとき目が離せなかった。 目がちかちかとして、心臓が波打つのが分かった。 「ぜっっったい!生で観る!!!」 心の中で叫んだ。 「消えたいんです。」 スクールカウンセラーにそう相談した頃のこと。 当時、高

6万円の使い方——夫の趣味を「なぜ許せるんですか?」と聞かれて考えたこと

会社の研修で、勉強会に参加することになった。講座の目的は、自分自身を魅力的にプレゼンできるようになること。まずは自分の興味や専門、経験などのなかから、他の人が面白いと思えるものはどんなものかを探ろうということで、グループワークで話し合うことになった。 私の経歴は、けっこう変わっている。社会人になってからイギリスに留学し、帰国後は働きながら大学院に通い、最近は博士号をとったばかりだ。専門は外国語教育で、研究テーマは帰国子女。そして、趣味は音楽、熱気球部に入って活動していた経験

高校3年間、ひとり別空間にいた

「男子しかいない学校なら、全員と仲良くなれるじゃん!」 これが、男子校の高校に入学する前の自分が思っていたことだった。 中学では、女子と話すときはスカしてしまってしゃべれないけど、男同士ではたくさんはしゃいで3年間を過ごした。だから、男子校ではクラス全員と仲良くなって歯止めが効かない。これから楽しすぎる3年間になる、と信じていた。 入学式の日、席の近いクラスメイトたちと「どこ中?」「入学前から宿題多すぎるよね」など初対面の距離感で言葉を交わしながら、 「これがおれが歯止め

マイナビとnoteで開催した、「#想像していなかった未来」投稿コンテストの審査結果を発表します!

2024年10月28日から約1ヶ月にわたって開催した、挑戦や努力から学んだことや、手に入れた未来、昔の自分では想像できないいまの姿について語る「#想像していなかった未来」投稿コンテスト。期間中(10/28-11/27)には、12,685件もの作品をご応募いただきました!未来を前向きに捉えられるようなすばらしい作品を投稿いただき、ありがとうございます。 noteでの応募作品一覧は、こちらをご覧ください。 選考の結果、下記のとおり受賞者が決定いたしました。 グランプリ(1作

夫が4年働いてない

2024年2月29日、うるうの日に1通のメールが届いた。 差出人は、4年前のわたし。PRESENT4229という、4年に1度、うるう日のみ利用できる「4年後にメールを送る」というWebサービスで、自分で自分に送ったメールだった。 4年前、2020年2月29日のわたしは東京に住んでいて、転職したばかりで、コロナ禍の入り口に立っていた。そうだった、こんな状況だったな、不安と期待とない混ぜだったな、と懐かしく思い返しながら読んでいると、続けてこうあった。 この文を読んで、ひと

本当は40歳でもやりたくなかった

気が付けば結成30周年を迎えてしまい、うっかりデビュー30周年も迎えてしまいそうだ。 何の話かというと、自分が所属している「SOPHIA」というバンドの話だ。 25年ほど前に数曲のスマッシュヒット… いや、当時はミリオンヒットが珍しくない時代だからまぐれ当たりのポテンヒット程度かな?があったのでご存じの方もいらっしゃるかもしれない。 が、その方々の多くは「まだいたの?」という程度の認識だろう。 それも当然の反応で、当の本人が「まだやるの?」と思っているからだ。 同時期にデ

【ウリ坊日記】ハーフバースデー

おかげさまで先日、ウリ坊が産まれて半年になりました! まだ半年だったのか…と驚きます。 新しい出来事の連続で もうウリ坊が産まれて3年ぐらい経ってるような感覚です。 思えば 1ヶ月前はまだ離乳食も食べれませんでした。 2ヶ月前は人見知りで今みたいに笑ってばっかりいませんでした。 3ヶ月前はコロコロと寝返りできませんでした。 4ヶ月前は物を掴むこともできませんでした。 5ヶ月前は「キャッキャッ」と声を出すこともできませんでした。 6ヶ月前はお腹が空いたら泣くこと

中卒ヤンキーに育てられた私が教員になった話

七海恋です🩵✨️ 私は中卒ヤンキーの母親と、 中卒ヤンキーで龍の刺青が入っている母の彼氏に 育てられ すくすく大きくなりました🤣🤣 だから、私は何となく 自分も周りの大人と同じように 18歳とかで家出て、 23歳とかで子供産んで、 トラックの運転手とかやりながら、 ギャルのママになっているんだろうな〜 なんて思っていたんです🤣 そういう世界しかしらないのですから。 人生の最初の転機は 部活動の先生との出会いでした。 私は部活動で、 バレーボール部に入りました。 と

【Essay】答え合わせ

 つい先日、選挙に行ってきた。  大学進学と同時に東京に行っていたので 地元で選挙に行くのは初めてだ。  投票所は僕が小学生の頃に通っていた母校だった。  小学校に行くのは約18年ぶりになる。 少し補修されている部分もあったがほとんど何も変わっていなかった。  なんだか懐かしい気分になって、投票を終えてから窓から教室を覗いてみたり校庭の遊具で軽く遊んだりしてみた。  一緒に来ていた妻に「この鉄棒で豚の丸焼きという技をよく披露していたんだ」「この滑り台で頭から滑ったら

光を見つけた話

18歳。高卒で就職の道を選んだ私は、社会の厳しさに揉まれていた。 正社員として入社した大きな洋菓子会社の研修はとても手厚く、お辞儀の角度から生クリームの絞りまで教えてくれた。 今思えばとっても楽しい仕事内容だったのだが、18歳の私にはまず”毎日働く”ということが既に苦しく、半年経たずに泣きながら退社したのだった。 そこからいくつかの転職を経て、なんとか毎日働くことには慣れたと思ったその頃、ずっと女手ひとつで育ててくれた母が亡くなった。 最後の親が亡くなるってとても大変

究極の私信

2010年に結婚した。 妻とは職場の同期として出会い、お互いに仕事の悩みを相談し合う中で、仲が深まり自然な流れとして結婚することになった。 世の中にはこんな出会いはたくさんあり、ありふれているだろう。 ただ、私たちに二人にとっては唯一の出会いであり、運命であり、その先にある幸せな未来しかその時は見えていなかった。 結婚する人の大多数は、はじめは幸せな未来を信じて疑わないと思う。 私たちも、もれなくそうであり、私たちの乏しい想像力では結婚後に楽しい未来だけでなく、いろ

一粒のイチゴが働く理由

日本のサラリーマンは、6,000万人。 そうならば働く理由は、6,000万通りなのか? おそらく違うだろう。 わたしが10年弱日本の社会の割と真ん中の方で働いて分かったことは、周りにいた多くのサラリーマンは、「生活のため」に働いていた。 たしかにほとんどの人が「生活のため」に働いているが、それを口に出してしまうと味気ないし、何かわたしたちの毎日が無味乾燥なものになってしまう。 だから人々は、働く理由をこのようにいうのだ。 そのためにこそ働くのだ。 「そうでないと

小学校の先生からアイドルになった私

私は大学を卒業して、小学校の先生をしていた。 授業はやりがいがあって楽しいし、子どもたちの成長はこの上なく嬉しい。 大きな行事があれば、子どもたちと一緒になって全力で取り組む。 忙しかったけど、教師である日々は毎日が充実していた。 だけど。 私には人には言えない夢があった。 アイドルになりたい。 昔からアイドルが大好き。 歌やダンスは得意ではないけど、それでもステージに立ってみたい。 そんなことは叶わない。 だって私は教師をしている。 年齢も24歳。 普段から先生をし

【2分小説】おかえり

俺は地元が大嫌いだ。 なぜなら何もないからだ。 オシャレなセレクトショップもない。 美味しいコーヒーが飲めるスタバもない。 夢や希望が詰まった高層オフィスビルもない。 こんなとこにいるとちっぽけな人間で終わっちまう。 できることなら一生地元になんか帰りたくない。 ところが、今回実家に置いていたこち亀がなぜか無性に読みたくなってやむを得ず帰ることにした。 もう1度言うが本当に帰りたくない。 決して 仕事中、取引先のお偉いさんのカツラを転んだ拍子にはたき落として

コンテスト「#想像していなかった未来」審査会の様子をお届け&副賞について

こんにちは。マイナビnote編集部のMです。 2024年11月に開催したコンテスト「#想像していなかった未来」は、マイナビにとって二度目のコンテスト開催となりました。 今回も多くのエピソードをお寄せいただき、本当にありがとうございました。 12月下旬に審査会を行い、受賞作品を選出したので、その様子をお届けできたらと思います。 テーマに込めた想いマイナビには「一人ひとりの可能性と向き合い、未来が見える世界をつくる。」という企業パーパス(存在意義)があります。 先が見通せな

【Essay】今日が過去になったとしても

「このケーキ屋さん、オシャレで美味しそう!」  妻がスマホ画面を僕に向けてきた。先日、妻の誕生日を迎え誕生日プレゼントを渡したが、ケーキは買っていなかった。  僕が仕事を終える時間には、いつもケーキ屋さんは閉まっているため休日に買いに行くことにして美味しそうなケーキ屋さんを妻に探してもらっていた。  「どこにあるの?」  僕が聞くと「この辺らしいよ」と妻がGoogleマップに画面を切り替えて見せてきた。  家から車で15分ぐらい離れた場所にあるらしい。「へー、こんなところにケ

私は質問ができない

午後8:14 いつもならベッドに入って寝ている時間だ 明日も午前5時出勤なので、3時に起きなくてはいけない しかし、頭が冴えて眠れない 今日もしっかり10時間働いた 体も心も疲れ果てている しかし脳だけがらんらんと冴え、リラックスとは程遠い方向へ独り歩きしている 何か大きな失態を犯した訳では無い 職場の誰かにケガをさせたとか、店にとって大きな損害を与えた訳でもない でも、今日私は明らかに「間違った」ことをした 質問が出来なかった 上司は私によく言う 「わからなかったら聞

イヤイヤ期を恐れている、2年半前の私へ

子どもが生後半年くらいの頃、私は「幸せ」と「不安」の間を反復横飛びしていた。 それは、良くも悪くも「赤ちゃんかわいすぎるだろ」、という感情のせいだった。 赤ちゃんは、あぅあー、とかしか言わないし、顔を一度隠したうえでまた出現させるだけの行為(いないいないばあ)で爆笑する沸点の低さだし、なんか体も全体的に柔らかくてプニプニしてる。この世にあるすべてのかわいいものの起源って赤ん坊なんじゃないかと思う。権利関係は大丈夫なのでしょうか。「赤ん坊©️」とつけるべきでは? そんな幸

人の話を適当に聞いていたら、本を書くことになった話

「え?ほんとに本を書く人になっちゃったの?」 そう、私は本当に今、本を書く仕事をしている。 適当な相づちによって与えられたミッションさかのぼること7年前、2017年11月。 私はとある専門商社で貿易事務の仕事をしていた。27歳だった。 この会社で過ごす時間は、残り2ヶ月。 いろいろあって外資系企業への転職を決めたことは、まだ上司と人事部にしか知られていない。 私は日常業務をこなしながら、せっせと引き継ぎ資料を作成していた。 辞めると決まったら、あとは何の問題も起きない

「誰のために、生きてんだっけ?」40歳で、自分のために生き始めました。【研究の世界から飛び出し、未知の世界へ🕊️】

こんにちは、シズカです。 2024年3月に会社を辞めて、独立しました。 これまでも転々としてきたのですが、これまでは「研究キャリアの中」で「サイエンティスト」という強みを活かして仕事してきました。 しかし今回は、違います。これまでいた「研究の世界」からエイっと飛び出し、「未知の世界」へ向かっています🕊️ これまでの経緯と、飛び出した理由、今の想いを綴ります。 「やりたいことがない!」 とにかく辛かった学生時代 高校生の頃、「進路」を人一倍悩みました。 何故悩んでいた

法律婚とも事実婚ともちがう「約束婚」をしました。

3年前のいい夫婦の日にプロポーズしたら「やり直し」と言われましたが、 2年前くらいに結婚できました。 せっかく結婚するので、指輪のデザインにこだわるように結婚のデザインにもこだわろうと思いました。 その結果、籍は入れず、「約束婚」という結婚のカタチにして2年が経ちます。約束婚という名前もふたりで考えました。事実婚の拡張版ですが、法律婚よりたくさんの意志ある約束を交わしてます。 歌手のSILVAさんご夫婦は婚前契約書(プレナップ)を交わし「収入はお互いに報告」「家事は平

つまずきの連続だった子育ての先に

「私は就職しても小児の担当にはなりたくないわ。お母さんみたいな親が怖いから。」 約8年前、長女にポツリと言われたその言葉が、ずっと私の頭から離れなかった。 その時の私は返す言葉がなくて、「そうだよね。」と答えた。 当時の彼女は大学4年で、リハビリの先生を目指していた。 二女のすべてに対して必死過ぎる私の姿が、長女には「怖い母」に見えていたのかもしれないと思った。 ***** 二女が未就学児の頃 二女は筋肉が壊れていく難病で、身体だけではなく知的にも重い障がいを持って

選ばれなかった人間が、選ばれるようになるまで

私は普段モデルという仕事をさせてもらっています。 みなさんはモデルと聞いてどのような人をイメージしますか? モデルと聞いて富永愛さんのようにスタイル抜群で、海外のファッションショーに出演している方をイメージする人が多いと思います。 モデルの仕事というのは、いくつかジャンルがあります。 富永愛さんのようなファッションショーで活躍するモデル。 ファッションブランドのカタログやHPに出演するモデル。 CMや広告に出演するモデルや、イベント等でコンパニオンのような仕事をするモデルも

日本で死んだ顔をしていた私が、インドに行って人生が180度変わった話

「よし、採用!いつから働ける?」 インドの首都ニューデリーのとある会社で、恰幅のいい日本人男性は私に向かってあっけらかんと言い放った。 「内定って、面接が終わって何日か後にメールか電話で言われるものじゃないの?」と、私はうろたえた。 しかし、「え、これって、もしかして本当にインドに住めるってこと?」と、じわじわと想いがこみ上げてくる。 前のめりな採用担当者を前にして無理やり冷静さを装い、自分のスケジュールを伝え、今後について相談する。 「インドで働く」 インドに来

あんなに稼ぎたかったのに、専業主婦化してる。

個人的に仕事をくれる先輩がいる。 仮にその先輩をAさんとするが、彼女が昨年のある日突然「広告用の動画を作ってほしい」と連絡をくれた。 喜んでその仕事をこなしていたら、Aさんが、マーケティング会社経営のBさんという男性を紹介してきた。AさんとBさん2人が組んでやっている仕事の手伝い(反響営業の電話)が今の私の収入の柱だ。 ……柱などと言うと太そうな印象を与えてしまいそうだし、冒頭のビッグマウスが恥ずかしすぎるので早めに白状すると、私の今年の年収は45万円である。笑 まも

愛する夫に、恋人を。

夫に、恋人をつくろう。 私たち夫婦が見出した、答え。  私たちは互いに、信頼しあっている。 ただ性的な欲求のバランスが、取れない。 結婚後、ほどなく妊娠し (妊娠が発覚したのは着床から5ヶ月後、おかげで妊婦生活は体感半年)、 生まれたと思ったら生後2ヶ月で心臓の手術、 退院、 保育園、 仕事復帰、 引っ越しと駆け抜け 2人きりの生活はおよそ2ヶ月の私たちが やむなく先送りし続けてきた問題だった。 娘が3歳になり、 七五三を無事に終え、 さてと夫婦 顔を見合わせて 久方

“敗者の哲学”の果てに🇨🇿チェコ版『巨人の星』マレク・フルプのバットに託された野球小国の未来図⚾️

星飛雄馬?星一徹?どちらが『巨人の星』のスパルタ親父で、どちらが火の玉目玉っ子ジャイアンくん本人なのかさえ教えてもらえないアンチ巨人軍・アンチ鉄拳制裁の温かい中流家庭で、僕はかなりチャランポランに育った。 『ドカベン』『一発貫太くん』『名門!第三野球部』辺りに、大いなる未来のビジョンを描かせてもらった少年時代である。 一方、去る9月25日、晴れて讀賣ジャイアンツとの育成契約にサインしたチェコ共和国の主砲、マレク・フルプは、ひょっとしたら星家のような厳しい環境の下、英才教育を施

人生の予定が狂った(起業します)

※この記事は、私の起業記念note二部作のうちの第一部(ポエムの部)です。第二部では事業にかける思いを真面目に綴る予定です。 起業します。突然ですが、この度キャディ株式会社を退職し、起業することになりました。 提供するのは、企業向けのDX推進サービスです。 私は10年以上にわたるプロダクトマネージャーとしてのキャリアを一旦ここで終えます。 もちろんプロダクト開発のバックグラウンドは私の強みですし、今後も時にプロダクト開発をすることもあると思います。ただ、「プロダクト開発

時代を読む文法

11月最終週。 車の中も寒くなり、 朝は膝掛毛布を用意するようになりました。 体調第一。 腸を大事にし、免疫を高めていきましょう♪ 共育LIBRARYへようこそおいでくださいました✨ 教育、人間、人生など、様々な「知恵」や「情報」が詰まった図書館のような、皆さんがくつろぎ、人生の「気付き」を得たり、知的好奇心を満たしたりできる居場所を目指しています😌 どうぞ、ごゆるりとお過ごしください。 共育LIBRARYりょーやん、元教師です。 激動の時代。 世の中は変化し

父の手づくり弁当

母は正規保育士として定年退職まで35年以上勤めた。退職前の数年は園長でありコロナ禍による葛藤や苦悩も大きかったはずだ。 それでも園児や保護者、家族の前で明るく笑顔であった母を私は心から尊敬している。 そんな母であったが、35年のキャリアのなかで「仕事を辞めたい」と父に漏らしたことがある。重い肺炎を患い入院した時のことだ。 当時の私は3歳。記憶はほとんどない。 体調を崩し「仕事を続ける自信がない」と言う母に父は「これから家事を積極的に行う」と約束したそうだ。 言葉どお

転がる石コロ #想像していなかった未来

「道端で拾った石コロみたいな命をどう使おうか」 病院の集中治療室、モヤっとする頭で考えていた。  2019年11月、宇都宮駅近くの路上で心臓発作を起こし意識が遠くなる中、通りすがりのオッさんが救急車を呼んでくれ、病院に救急搬送されたことは解った。  救急外来から集中治療室に移動し、手術は回避できたものの、心臓は痙攣して激しく動き、酸素が脳にロクに届かない状況で 「このまま死んじゃうのかな」 と覚悟しつつ 「生き延びて退院できたら、拾った石コロみたいな命をどう使おうか、オマケ

誕生日なのでYouTube開設しました

皆さんお疲れ様です。 今日で私は27歳になりたました… いやぁ嫌ですね できるなら18歳と名乗り続けたいですが そうも行きません。 界隈では「トランスAGE」という言葉が一時期流行りました。 自認 年齢を自分で好きに決めるらしいんです 本当は27歳なのに「自分は18歳なんだ」と言えばそれがまかり通る世界にはなって欲しくないですが、実際にそういう人がいるんです こんな人間にはならないように頑張ります ということで 誕生日の日にYouTubeを解説しましたー 弱小チ

初心者noterに立ちはだかる【三作目の壁】〜継続こそが成功への鍵〜

 最近noteに投稿を始めたあなた。クリエイターとして活動していると、一つの壁にぶつかることがあります。それは「三作目の壁」です。  僕もブログを始めたばかりの頃、この壁に直面しました。特にnoteでは、一作目の自己紹介記事には多くの「スキ」が集まり、嬉しさと高揚感でいっぱいでした。  しかし、二作目を投稿すると、スキの数は一桁台。三作目に至っては、ほとんどスキがつかない状況に。  モチベーションは下がる一方で、このまま続けていく意味があるのかと悩んだものです。  実は

ついに「YouTube」進出🥹──担当本についた「Amazonレビュー」にアンサーしてみた!

こんにちは! 三笠書房の5年生編集者です!! 唐突ですが、 YouTubeをやるのが、 ずっと夢だったんです〜🥹著者さんが発信しているYouTubeをいつも拝見しているうちに、 「自分もやってみたい!」という思いがどんどん大きくなっていきました🥹 その思いがあふれてついにやってみました!題して、 自分の担当本についた「Amazonレビュー」に、アンサーしてみた!書籍編集者にとって、自身の担当本にAmazonレビューがつくことほど嬉しい&勉強になることはありません!

最悪の失恋の腹いせに、”星野リゾート全制覇”を目指し、今49施設目のOLの話。

33歳の秋、7歳年下の彼氏に振られた。 独身、失恋、崖っぷち。人生白紙、お先真っ暗、オワタ。今からまた振り出しか、積んだ。 さらに追い討ちをかけるように言われた、元彼からの別れの衝撃のセリフ。 「ミカちゃんよりも面白いコンテンツが世の中にはたくさんあると思った。」 めちゃくちゃ腹が立った。なんだよ、私より面白いコンテンツって。悔しい。悔しすぎる。思い出しても腹が立つ。 とはいえ失恋しようがしまいが平日は週5で仕事がある。平気なふりをしながら、怒りを燃料に働いていたが

妻がうつ病と診断されて自分が実施したこと

①はじめに 「うつ病家族」、「鬱病家族接し方」、「うつ病家族治し方」、「20代 うつ病 治し方」、「20代 教員 鬱」「うつ病効果がある」 ——何度このようなキーワードを検索したかわかりません。心の中に積もる不安やモヤモヤを解消できるような答えを探しても、なかなか見つけられずにいました。 インターネットには、うつ病を抱えている本人の体験談や、彼らの苦悩に焦点を当てた記事は数多くあります。しかし、うつ病の方を支える家族の視点からの話は驚くほど少なく感じました。 このブログ

時給2500円から時給1100円のバイトに転職したら人生が豊かになった話

時給2500円の医療職のパートを辞めて、 時給1100円のまったく異なる業種の会社に応募しようとしたそのむかし。 あのとき、いったい何人の人に止められたことだろう。 「え〜もったいないよ〜〜〜!」 「仕事が嫌になったの?」 「辛いの?」 「医療事故でも起こした?!」 などという言葉のシャワーをあまりにもたくさん浴び、心がびしょ濡れになり、 「だ、だれも賛成してくれない…」 と、小石を蹴りながら帰宅し、夕日を眺め、そのあとはぼんやり満月を見つめ、飼い猫をなでた。

なんでもないふりして暮らしているボクらの、このなんでもなくない日常

昨日は、明日の引越しを控えて、家族3人で新居のお掃除に出かけた。 開栓したはずの水道が出なかったりというトラブルが発生したりもしたけど、14時前にはなんとかお掃除を終えた僕たちは駅前の大型商業施設のフードコートで遅めのランチを取ることにしたのだった。 その施設は今年、開業したばかりの施設だったこともあり、フードコートにあるお店も今まで見たことがないユニークなお店がたくさんあった。 「あ!牛肉のフォーの店がある!」 無類のフォー好きの妻が思わず声を上げる。 「いいじゃ

栗色パーマのショートカットで。

この初秋にこのヘアスタイルにしてから 楽でラクで、しょうがない。 なにがラクって、 根本さえしっかり起こしてやれば 髪をまとめなくてもサマになるんだよね (さようなら、散逸するピンやヘアゴム達)。 それまでは数年かけて、 肩より長いストレートヘアに 細かい筋を幾重にも入れてトーンアップし 自然なグレイヘアを目指していた私。 60を過ぎた母は見事なグレイヘアだから 私も、抗わないヘアケアを 考えさせられてきた結果では、ある。   ただし毎回、3時間はかかるこのメンテ。

私の幸運。岡山で八年間暮らして、書く楽しさを知った

こんな人生、想像もしていなかった(風景スケッチ1)  岡山市内を流れる旭川の上流から、黒い鳥の小さな群れが対岸へ近づいてきた。わたしはスマホのコンパスを出して東西南北を確かめる。上流は東、下流は西。これは見通しのよい場所へ来たときのわたしのクセだ。どこへいても、10歩も歩けば方位がわからなくなるスペシャルな方向音痴を自覚している。今日は旭川河川敷、ここへ来るまでに川沿いを30分も歩いてきたのだから当然西も東もわからなくなっていた。  堤防に腰かけて、地図を確かめる。対岸は

反出生主義者が出産するまで

反出生主義だけじゃなかった  4歳の時に母親の手を掴んで「なぜ人は死ぬの?なぜどうせ死んでしまうのにお母さんは私を産んだの?」と泣きじゃくったことを覚えている。  幼い頃から習い事漬けでずっと練習と競争だけしていたこともあり、日々は苦痛の連続だった。人が親によって同意もなく生まれて苦しんで死ぬ、ということがただただ無意味な営みに思えたものだった。  「そもそも、生まれてこなきゃ良かったのに。」と語る幼児は…周囲の人がドン引きするほどの反出生主義者に育った。子供を持つことは毛

お喋りがまだまだ下手くそで、YouTubeを何度も撮り直ししてたら、こんな時間に🥹 本作りせず、こんなでよいのかな、、、😵‍💫

それは悲しみの先に待ってるんだよ

「僕、最近、サンタを信じられなくなってきたんだ」 「うん」 「それがなんだかとても悲しくてさ」 「うん、そっか…」 いつかこんな日が訪れるとは思ってはいたけど、それはもっとずっとずっと先のことだと思っていた。 いや、本音を言えば、彼なら永遠にサンタを信じるだろうとすら思っていたかもしれない。 そして、そんな僕の脳裏に、不意に 「3歳の頃、うちにサンタが来てさ。めっちゃ大きかったんだよ!」 「サンタは、たくさんの小人たちに指示して、おもちゃを全部手作りしてるんだ

安西先生が三井寿になったミラクルひかるな夜

「◯◯がしたいですっ!」 東京丸の内のビルの地下一階にある海鮮居酒屋で、感極まった僕は、まるで「スラムダンク」の三井寿だった。 見た目はどちらかといえば、安西先生なのだけど…。 本当にいい年して何やってんだか、と思われるかもしれないけれど、正直、このときの僕の気持ちはめちゃくちゃ清々しかった。 実際、生まれて初めてだったからだ。 こんなふうに人に対して気遣いや忖度なく、あと自分自身に対してあらかじめ防御線を張ることもなく、 「自分はこれがやりたいんです」 という

人手は足りているのか仕事は変わったのか

いろんなニュースを見ていて思うのは・・・ 実際のところ 人手は足りているのか? それとも足りていないのか? その基準となるのが 有効求人倍率 有効求人倍率とは 仕事を求めている人に対して、何件の仕事があるのか R6年8月で1.2倍となっており、基本的には求職者が有利な売り手市場となり 人手不足の状況とのこと。 人手は不足しているので 景気は良いとの指標になるが、果たしてほんとにそうなのだろうか 人手が足りていないと思う理由 ・少子高齢化による 就労可能な人口が減っているこ

きっとちょうどいいくらいの奇跡

深夜2時過ぎ 久しぶりに中途覚醒したボクは、当たり前みたいな振りをして、no+eを見る。 そして、昨日から新しい住まいの寝室となった2階の和室の暗闇に白く浮かび上がったスマホの光は、ボクにとって文字通り 光 となった。 というか、最初は、何が起きたのかまったく分からなかったくらい、 それは紛れもなく 奇跡 ってヤツでもあった。 なぜならボクは、このとき あの「バナナブレッドのプディング」のあの主人公のあのセリフを 自然とそらんじていたのだから。 夢にも

思い立ってから半年。東京で古着屋を始めます。

noteで文章を書くのはとても久しぶりですが、いまぼくがやっていることや思っていることをしっかりと残しておきたいと思い、また不定期で更新していこうと思います。 今回はタイトルにもあるように東京で古着屋(リアル店舗)を始めることになったので、その経緯や理由などについてお話しします。 「いつかやりたいリスト」という逃げ昔から洋服やファッションが好きで、学生時代から古着屋によく通っていました。店頭で服を見て試着したり、スタッフさんといろんな話をするのがとても好きで「いつか自分で

Gutsヒロのスイーツ・ストーリー:Just Like a Boy〜喜びを届ける日〜

Gutsヒロのスイーツ・ストーリーへ、ようこそ!お菓子作りが生きがいでスタートしたお菓子のお店の活動を皆様と共有し、美味しく幸せなひとときとなれば幸いです。 先日の10月27日は、私のお店「お菓子工房たびこ」の第3回目の店頭販売日でした。この日を迎えるのに様々なことがありました。 Gutsヒロのスイーツ・ストーリー:心の音は正直者 前回の投稿にも書いたのですが2回目の「急性腰痛症」を診断されました。徐々に良くなっていったのですが、店頭販売の週のはじめに職場で物を置こうと

「学びながらお金が欲しい」というシンドイ人たち

先日、気になるポストがあった。 医学部の学生と思しきアカウントから発信された、 という内容だ。 一読した最初は、 と勘繰ったのだが、どうやら違ったらしい。 臨床実習に対して、本気で金銭的な対価が発生するものだと思っているようだ。 30半ば、ゆとり世代と言われた僕ですら頭がクラクラするような感覚を覚える。 世の中年以上の世代にはまるで異星人の発言かのように捉えられているだろう。 「おぉ、とうとう時代はここまで来たか!」 多くのオジサンたちは絶望と諦念と感嘆が相