見出し画像

光を見つけた話

18歳。高卒で就職の道を選んだ私は、社会の厳しさに揉まれていた。

正社員として入社した大きな洋菓子会社の研修はとても手厚く、お辞儀の角度から生クリームの絞りまで教えてくれた。

今思えばとっても楽しい仕事内容だったのだが、18歳の私にはまず”毎日働く”ということが既に苦しく、半年経たずに泣きながら退社したのだった。

そこからいくつかの転職を経て、なんとか毎日働くことには慣れたと思ったその頃、ずっと女手ひとつで育ててくれた母が亡くなった。

最後の親類が亡くなるってとても大変で、姉と二人で様々な手続きや実家の始末などをしなければならず、その多忙さや絶望で気付けば仕事を辞め、しばし無職となった私は随分と”無”を過ごした。

その”無”の中にもいろんなことは起こったのだけど、今の人生にプラスになったことなどほとんどない。

そんな日々の中で、「この先どうなっていくのか、私はどんな仕事が出来て、どんな人生を歩めばいいのか、もう何もわからない」と口走った時、

「めぐちゃんはパン屋になるから大丈夫。」

そう言ってくれた人がいた。

それは言葉そのままの意味でもあり、あなたにはきっと特別なことが出来るという励ましだったように思う。

ただその時の私は、確かにパンは好きだったが本当に1ミリもそんなことは考えていなかったし、その後事務的な資格を取って普通に就職した。


それから10年、今私は焼菓子店を経営している。

就職先で激務に倒れた私はまた無職になり、再び絶望し、ただただあつまれどうぶつの森をやり込み、やがて光を見つけた。

その時一番楽しかったことが「お菓子作り」だったのだ。

無職にかまけて完全に朝と夜が逆転した生活の中で、毎日ケーキを焼き、ベランダで夜明けを見ながら食べたりしていた。

元々趣味でやっていた程度の製菓だったが、少ないながら初めて就職した先で学んだ知識もある。

これをちゃんと勉強して、お店を作って好きなように働こう!

そう閃いた時に、光を見つけたような気がしたこと。
そしてそのお店が誰かにとっての光になれるようにと願いを込めて。

1年かけて、ひかり焼菓子店 というお店を立ち上げた。

こんな立派なことを言っているが、経営はもちろん初心者。
季節で思うように売上が上がらなかったり、詰めの甘さなどもあって、ただお菓子を作るだけではいけないんだなと痛感する日々。

今思えば製菓だけでなく経営についてもっと学ぶべきだったなぁと思ってはいるが、苦しくも楽しい毎日を送っている。


めぐちゃんはパン屋になるから大丈夫。

私にはきっと何かが出来ると思わせてくれたあの一言が、未だに胸の中心にある。

パン屋じゃなくてお菓子屋さんにしたよ〜。

きっとこれからも想像したような未来は来ないように思うし、幾つになっても七顛八倒なのだろう。
とにかく生きている以上、なんとかオリジナルで進んでいくしかないのだ。

菓子屋になって、楽しそうな私や、時には悩み、製菓で身体バッキバキになる私を見て、何か感じてくれる人がいるならそれも嬉しい。

きっと誰にでも出来る。
あなたも何者にだってなれる。
全然働けないと思っていた私の、想像していなかった今のように。


#想像していなかった未来

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集