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一粒のイチゴが働く理由
日本のサラリーマンは、6,000万人。
そうならば働く理由は、6,000万通りなのか?
おそらく違うだろう。
わたしが10年弱日本の社会の割と真ん中の方で働いて分かったことは、周りにいた多くのサラリーマンは、「生活のため」に働いていた。
たしかにほとんどの人が「生活のため」に働いているが、それを口に出してしまうと味気ないし、何かわたしたちの毎日が無味乾燥なものになってしまう。
だから人々は、働く理由をこのようにいうのだ。
ときに、古参のファンであるアイドルを応援するため
ときに、休日を丸一日つぶしてまでするゲーム時間のため
ときに、週に1度の町の焼肉店でビールを飲むため
そのためにこそ働くのだ。
「そうでないと、やってられない!」
そんな声もきこえてくる。
できることなら、
「働くことは、私の生きがいの一つである」
そんな社会とキャリア観をつくっていきたいし、そのために必死に動いているが、それは今日はおいておいて。
この「働く理由」を小さくするほど、少し気軽に働ける人もいると考えている。
例えば、
働く理由が「生活費」ではなく(本当はそうだけど)、年に一度のオーストラリア旅行(4泊5日)だとする。
すると、「働く理由」のコストは、大体20万円くらいだ。
そして、年に1度の頻度である。
では、働く理由をもう一つ作ってみよう。
2月に1度の少し高級なフレンチレストランだとどうだろうか?
「働く理由」のコストは、大体5,000円で年間3万円だ。
そして、年に6回訪れる。
どうだろうか。
少し頑張れそうな気がしてくる。
つまり、「1年間頑張らないと来ない楽しみ」が、「2か月に一度くる楽しみ
」が加わったからだ。
しかし、ただ楽しみを加えるだけならこれにはコストがかかってしまう。
だから、コース
低コストで、高頻度の「働く理由」=楽しみをみつける必要がある。
それがイチゴ1粒だった。
どういうことか。
我が家の長男は、イチゴが大の大の大好物。
1パック600円のイチゴを1粒食べたとき、彼はミシュランの5つ星レストランのコースを凌ぐリアクションをする。
ほんっっっとうに幸せそうな顔をするのだ。
わたしは、この顔を見たくて、明日も働こうと本気で思った。
近所のスーパーの2階の角に売っている1パック600円のイチゴが「わたしの働く理由」だ。
これは「低コストで、高頻度」で実現できる。
そんな小さくて大きい「働く理由」を今後も見つけていきたい。
それには、わたしの心が「足るを知る」心になる旅でもある。