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時給2500円から時給1100円のバイトに転職したら人生が豊かになった話

時給2500円の医療職のパートを辞めて、
時給1100円のまったく異なる業種の会社に応募しようとしたそのむかし。

あのとき、いったい何人の人に止められたことだろう。


「え〜もったいないよ〜〜〜!」

「仕事が嫌になったの?」

「辛いの?」

「医療事故でも起こした?!」

などという言葉のシャワーをあまりにもたくさん浴び、心がびしょ濡れになり、

「だ、だれも賛成してくれない…」
と、小石を蹴りながら帰宅し、夕日を眺め、そのあとはぼんやり満月を見つめ、飼い猫をなでた。

誰かが私の心のリモコンを
「ピッ」と操作し、「弱」になってしまったかのような夜を過ごした。



そのまましばらく心は「弱」のままだったけど、弱のまま、みんなからのことばの中で1番多かった、
「もったいない」ということばについて考えてみることにした。



もったいないということばを普段、子どもたちが残した味噌汁とか、食べ残したせんべいぐらいにしか使わないので、職業に関しての「もったいない」ってなんなんだろう…。



みんなが言ってくれているのは、お金のことなのか、それともせっかく8年くらい続けてきた職業をやめるということなのか。詳しく聞かなかったけど、多分どっちもなんだろうな。



国家資格を取るために通った学校の学費はまんざらでもないし、働き出してからのスキルとか経験とか、8年間かけて得たものは確かに大きい。 

国家試験に受かったとき「おめでとう」と誰よりも喜んでくれた祖母の顔も思い出し、胸がツンとなったりもした。



そのうえ2500円の時給を貰い続けていたら、1日8時間働いたら2万円もらえるところ、時給1100円の場合は8800円である。

げ。11200円も違う!
これが1ヶ月となるとかなりの差になるじゃないか。
と、お給料の差にも驚き、ビクビクしたりもした。


8年間で大抵の仕事はこなせるようになり、
新人の頃みたいに、仕事の前夜は緊張でお腹が痛くなったりすることもなくなった。

トラブルなどもそれなりに経験し、
問題が多少おきても、それに冷静に対応できるような、ふとっちょな精神も身についた。

その8年間の経験やスキルが小鳥のようにパタパタと飛んでいってしまうということなのでしょうか。


逆に気になる会社のアルバイトに転職しないことに関しての
「もったいない」を考えてみる。

お金でもない。
経験やスキルでもない。

しいてゆうなら「おもしろそう」「やってみたい」というワクワクした気持ちを捨てること。
それがもったいないことなのかなと思った。



そして、

「やってみたい!」というワクワクする気持ちを捨てることと、

「1ヶ月15万円」「8年間のスキル」を捨てること

どちらが、もったいないのか
を悶絶しながら考えてみた。



結果。
「やってみたいきもち」を捨てる方がもったいないな。と思ってしまった。



お金はどうにかして生み出すことができるかもしれないけど、やってみたいことは、後からやろうと思ってもできないかもしれないし、気持ちを生み出すことはできないと思ったから


ありがたいことに資格は消えないので、
まぁ、またもし働きたくなったら、働けばいっか。くらいの軽い気持ちで


結局私は高時給のパートを辞め、興味のある会社のアルバイトの面接を受けた。


♦︎


あれから7年くらい経っただろうか。
わたしはあの時アルバイトで受けた会社で今でも働いている。

アルバイトから入り、最初は雑用だったり事務仕事だったりしてきたけど、
今ではだいすきな制作の仕事などをやらせてもらっている。あの時のワクワクはまだ消えておらず、むしろより一層増えた気がする。

前職と仕事の内容はまったく違うけど、
前職で学んだ仕事の経験は、まったく別の仕事でも違った形で生きるんだなー。というのも感じた。

むしろ前職があったからこそ、
その仕事で学んだ良さがミックスされ、
新しい味が生み出されてるんじゃなかろうか。




あの時

「やってみたい」

とおもったワクワクした気持ちや、
このまま働くことが、ほんとうに自分にとっていいことなのかな?
と感じた心の引っかかりを
きちんとキャッチしといて良かったなぁと思う。

じぶんのきもちを、ゴミ箱にポイっと捨ててしまわなくてよかった。


それこそがほんとうの意味で、いちばんもったいないことなんじゃないかなぁと思ったりもする。

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