
私の幸運。岡山で八年間暮らして、書く楽しさを知った
こんな人生、想像もしていなかった(風景スケッチ1)
岡山市内を流れる旭川の上流から、黒い鳥の小さな群れが対岸へ近づいてきた。わたしはスマホのコンパスを出して東西南北を確かめる。上流は東、下流は西。これは見通しのよい場所へ来たときのわたしのクセだ。どこへいても、10歩も歩けば方位がわからなくなるスペシャルな方向音痴を自覚している。今日は旭川河川敷、ここへ来るまでに川沿いを30分も歩いてきたのだから当然西も東もわからなくなっていた。
堤防に腰かけて、地図を確かめる。対岸は法界院。
なるほど。
岡山在住8年。法界院地区の位置はなんとなくわかる。なので自分のいる場所がようやく把握できた感じ。岡山の地理に詳しいひとなら、旭川河川敷で対岸は法界院と聞いただけでわたしがどこにいるのか、だいたいの見当がつくだろう。
さあ、風景スケッチを始めよう。
川面を見ながら小さな水色のノートを出して、日付と時間を書き込む。さきほど調べた場所と方位も忘れずに記す。柔らかめの芯の鉛筆が、いつものシャープペンやボールペンとは違う太い線を紙の上に残す。「スケッチ」とはいっても、絵を描くのではない。これは、作家乗代雄介さんから教わった、「見た風景を言葉で書き留めておく訓練」だ。
わたしは空を見上げた。薄めに溶いた白い絵の具を平筆ですーっと塗ったような薄い雲が、10月の青空に広がっている。対岸に走る道路にはひっきりなしに車が往来する。県道27号線。この道は旭川に沿って上流へ進むと、そのうち大きく曲がりくねった旭川にかかる橋を渡って赤磐市へ抜けるルートになる。なんて知ったふうに書いているが、これは地図で確認した情報である。知らない情報でも調べて正確に書けば「それを知っている人」になれるのだから、文章というものは面白くてキケン。
対岸の川面には無数の黒い鳥が豪快に水の中へ潜ったり、長い首を水の中へ突っ込んだりしている。黒い鳥の正体はカワウだ。対岸寄りの浅瀬に彼らがコロニーにしている大きな木がある。ほかにも木はあるのに、なぜかその木に集中してカワウは集団で羽を休めている。そのため枝に大量にへばりついた糞のせいで、木肌が白く見えている。
「きっとあの木の生えているあたりの川の深さとか何かが、コロニーにちょうどいいんでしょうね」と誰かの声が聞こえた。振り向いたら乗代さんだった。ワークショップの仲間と外を歩く乗代さんは、いつも朗らかで楽しそうだ。そしていつも参加者の誰よりも動きまわり、スケッチ現場を軽やかにあちこちへ走っていく。
その日も上流へ下流へ、ワークショップのメンバーを見つけては「あ、◯◯さんあそこにいたんだ」と言いながら、声をかけに行くために小走りになる姿を見た。元気なひとだなあと、いつもわたしは楽しくなって小説家先生のその姿を眺めている。乗代作品のあれこれを思い浮かべて、目の前にいる乗代さんに見え隠れする無邪気さを作品に重ね合せた。
カワウはピリリピリリともピギャアピギャアとも聞こえる鳴き声で大騒ぎしている。双眼鏡のピントを枝に合わせて目をこらすと、カワウのトレードマークとも言える黄色いほっぺが確認できた。双眼鏡をはずすと、遠目にはカワウの真っ黒な体がカラスにも見えるが、拡大した姿はカラスとは全くフォルムが違う。大きく違うのは首の長さで、カラスの立ち姿はどちらかというと横型だが、カワウはスゥッと上に引っ張られたような縦長のシルエットだ。水鳥は首が長い。
コロニーの木のふもとに座ったら、あの鳴き声はきっと耳をつんざくような大音量だろう。水面がクッションになっているのか、対岸で聞く彼らの鳴き声は「いやいや、元気だねえ」とまったくの他人事にできるくらいの音量だ。大騒動も対岸なら気にならない。まさしく対岸の火事。世の中、少し離れて見る方が面白がれることが山ほどある。そうだよ、大きな音からは離れるに限る。
「風景スケッチの本懐は『私』の消滅です」と、乗代さんは言った。彼は宮沢賢治や正岡子規の言葉を借りて、風景スケッチは生きている今を豊かにしてくれるはずですと言った。
見たものを言葉だけで表すのは存外に難しく、そして楽しかった。見たまま書く、主観は入れない。けれど描写に使う言葉は自分の中から出すしかないのだ。「私」を消すために「私」の言葉をどう処理するか。矛盾しているこの行動にはそこはかとない中毒性がある。自分で書きあげたものを何度となく読み、どうしても「私」を消せない自分にいつも苦笑してしまう。どれだけ我が強いのだろう、わたしは。
岡山で暮らすようになって8年が経った。8年前、わたしは東京で暮らしていた。こんなふうに岡山を大きく横切る旭川のほとりでノートを開き、鼻歌まじりに風景スケッチをする生活を送るなんて想像もしていなかった。
書く仕事、いつまでできる?
この15年、フリーランスで文章を書いて仕事にしてきた。占い原稿、企業や団体の広報誌、編集者から預かった取材音源、読者ページのハガキやどこかの経営者や社長が書いた原稿のリライト。そんなふうにゴーストライターとしての仕事に専念してきた。今でこそ慣れているが、仕事で書き始めた当初は紙ベースだったので、厳しい校正スタッフが入れた容赦ない赤字を涙ながらに修正をしたこともある。
書くことが好きかと聞かれたら、迷いなく好きだと答えてきた。仕事のための文章を書き、さらに合間の息抜きに役に立たない文章を書けるくらい、一日中何かを書いたり読んだりして生活してきた。取材仕事に対しても「『人』を書くのが楽しいです」と前向きな態度で対応してきた。
わたしが岡山で暮らすようになった頃、企業や個人が「オウンドメディア」を持つムーブメントが起こっていた。ホームページとは別に、もっと手軽でミニマムなメディア、例えばそれまで個人のものだった「SNSアカウント」を「公式に運用」する流れが一般的になりつつあった。個人の用途とは少し違う、オフィシャルな情報でありながらSNS特有の親しみやすさを前面に出した使い方だった。そのためゴーストライター的な仕事がどこへ行っても重宝されていて、一件の仕事をもらうと、その後はわりと苦労なく数珠つなぎに仕事になった。
ただ、2020年に始まったコロナ禍における自粛生活で外出が減り、わたし自身もインターネットの世界にずぶずぶになったことで、「書くこと」に対してほんの少しだけ疲弊した。これまでさほど気にしなかった他人のことを見聞きしすぎたのかもしれない。
SNSのタイムラインを見ながら、世の中にはこんなにも同業者がいるのかと面食らい、同時に同志がこんなにもいるのだと心強くなった。SNSを通じた友人・知人がたくさんできたのは、コロナ禍による怪我の功名のひとつ。ここnoteで遊ぶこともたいそう楽しくて、2020年は、ほんとうに不思議な年だった。
しかし、SNSというやつは楽しい反面、付き合い方を間違えると毒になる。同業の人はみんな輝き、誰もが成功しているように見えた。きちんと仕事をしなくては、note仲間と遊ぶために面白いものを書かなくてはと、誰にも望まれていないのに、わたしは自分で勝手に文章に対するハードルを上げていた。楽しく書いて仕事をしていたはずなのに一体どうしてこうなったんだろう?
わたしはいつまでこの仕事ができるんだろう。
ふと湧き上がる将来への不安。会社を興す気概もなければ、交流会に参加する社交性も薄い。でもそれを自覚して気に病む繊細さも、人に相談する前向きさも持ち合わせていない。ようは何も考えていないのかもしれない。リモートワーク流行りが追い風になり、仕事も収入も増えていたにもかかわらずそう感じたのは、やはりSNSのせいなのだろう。切り取られて流れてくるものから、少し距離を置いたほうがいいと感じた。
岡山市がユネスコ創造都市ネットワーク、文学分野で加盟認定都市に
そんな時、私の住む町岡山市が2023年に「ユネスコ創造都市ネットワーク」に文学分野での加盟都市に認定された。文学好き!と高らかに言えるほど教養深くはないけれど、本好き書き物好きとしてはこのお知らせはなんだかワクワクした。
岡山市では認定加盟都市になるべく、「文学創造都市おかやま」として、前年から文学に関する事業でたくさん種まきをしてきたという話を市役所の人に聞いた。こういうものは、黙っていて認定されるものではないのだと知った。
「岡山文学フェスティバル」の第1回目。期間は短かったけれど、市民参加のイベントがたくさん開催されていた。平松洋子さんの講演会を皮切りに、「おかやま表町ブックストリート」「おかやま文芸小学校」、わたしはそれを「賑やかで楽しいなあ」と外から楽しんだだけだった。
しかし同年秋に告知が出た乗代雄介氏のワークショップは、なにやらピピンとアンテナが立った。作家は普段どんなことを考えながら書いているんだろう。乗代さんの文章は決してライトではない。ななめ読みにしにくいあの作品はどうやって書いているんだろう。それが知りたくて、参加申し込みのフォームを埋めて送信した。そのワークショップで教わったものが、冒頭に書いた「風景スケッチ」である。
書けなくて愕然とした、初めての「風景スケッチ」(風景スケッチ2)
旭川の対岸に、凛々しい岡山城がそびえたつ。黒い鳥が川の水面近く行き交う。サギだろうか時々白い鳥も……。ええと……?あの鳥、何の鳥??
初めての「風景スケッチ」で、わたしは鉛筆を持ったまましばらく固まっていた。黒い鳥はなんの鳥? 足元に生える雑草は一体何。目の前に大きく垂れている枝の樹の名前は? 自分のまわりの風景から描写しようとして愕然とした。鳥の名前も植物の名前も、この時間の太陽の光をあらわす適当な言葉もまったく出てこない。「どうですかー」と乗代さんに声をかけられても、なんだか照れ臭くて「書けません」「まったくわかりません」と言えなかった。だってホンモノの乗代雄介氏だよ? 諦めて岡山城を見上げ、空と城の様子から書くことにした。
「天守閣のてっぺん、金色のしゃちほこが陽を受けて光る。その後ろを右から左へ白い雲が流れていた。座っていると感じないが、上空は風が強いらしい。そういえば、以前、城内の窓から外を眺めたとき、しゃちほこのサイズが思いのほか大きかったのを思い出した。」
つらつらと書き留めて、わたしは少し驚いた。岡山城内へ入った時のしゃちほこの感想なんて、さっきまで忘れていたのである。
乗代さんはこうも言った。
「風景スケッチは、感情や記憶や理想や思考を呼び起こしてくれるものを自覚するため、いわばこの世界からもらえる情報の質や量を増やすための練習です。」
旭川のほとりに座って岡山城をじっと眺めたことで、わたしは忘れていた記憶を呼び起こしたらしい。そう考えると、自分には無理かもしれないと感じていた風景スケッチに、ぼんやりとだが期待がもてた。
そうだよ、自分を消し去る必要はない。どうしたって私が書くものには私が宿る。でも誇張せず、風景を受け止めてから見えたものや思い出した情報を書く。これは訓練なのだ。
でもやはり鉛筆をにぎると自ら発するに気が急ぐ自分があるのを痛感する。面白く書こう、共感をもらおう、そんな文章を書こうとする自分がいるのを痛感する。笑わせよう、泣かせよう、そんな言葉を紡ごうと必死な自分を痛感する。
風景スケッチは、そんな痛い自分を知る機会にもなった。
痛い自分を乗り越えて、おかやま文学フェスティバル・おかやZINEフェスティバルへ参加する
このワークショップきっかけに、わたしはミニ文フリとも言えそうな2024年2月開催の「おかやまZINEフェスティバル」に参加した。
そのためにへたくそながらも小説らしきものを書いてZINEにした。第三者の編集が入っていない書き物、こんなものを売り物にしてよいのか? と少し躊躇したが、この催しはそういうものだねと割り切って参加した。「書きたい!」と思ったその時を逃したくなかったのである。
ワークショップのお仲間も大勢参加していて、現在もこれをきっかけにゆるゆると交流が続いている。
なんだか少し気がらくになった。仕事とは別に、こうして書きたいものを書いて、書きたい人たちと創って遊んで生きていけばいいのかもしれない。数年先、文章に触る仕事はしていないかもしれないが、風景スケッチはきっと一生楽しめる。年齢を重ねても、住む場所が変わっても、気に入った場所に腰かけて、目に見えたものを書けばいい。
2023年の秋から少しずつ書き留めた風景スケッチの薄いノートは、やっと1冊目が終わる。1冊目を終えて思ったのは、「もう少し文字をきれいに」という小学生みたいな反省だった。ざかざかと思いつくままに書いた文字、取り上げて使いたいときに読みにくくて笑ってしまった。
わたしはいつか岡山を離れるときがくる。
2022年、2023年、そして2024年、地域の文学熱が高まったこの年に、ここ岡山に暮らしていたこと、風景スケッチという一生楽しめそうな書き方を知ったことが、わたしにとってこの10年ほどで最高の幸運だったかもしれない。
この先、好き勝手に書くのか、仲間と書くのか、それとも文学賞やコンテストを目指すのか、行く先はわからない。しかしだ、仕事で堅いものを書くしかしていなかったわたしが同人誌を作るだなんて。
人生の後半をどう生きるか、ここ岡山でヒントをもらった気がする。どうやらわたしは今、10年前に「想像していなかった未来」にいる。
https://www.city.okayama.jp/bungakucity/0000063640.html
いいなと思ったら応援しよう!
