くろ

しろでした。くろになりました。復活しました。文章を書くことが好き。

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最近の記事

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娘が7歳、息子が5歳になった。 これはもう空前絶後の七五三チャンスである。 この機会を逃したら、今後の人生でいつ七五三をやればよいのかというくらいの絶好機だ。 もし見逃そうものなら、野球の解説者であれば「今の甘い七五三はとらえて欲しかったですねー」と心の底から残念がるだろう。 七五三スラッガーの私は、先日、七五三イベントを行ってきたのである。 当日は休日であり大安であるという、七五三を行うには最大の好機であったが外は雨だ。 大雨には出来るだけ気が付かないようにして、七五

    • エッセイのようなエッセイ

      今年の8月末に血を吐いて救急車で運ばれ、入院した。 9月上旬には退院できたのだが、通院は続いている。 昨日は大きな病院に行って造影検査というのを受けてきた。 腕に注射で造影剤をうち、CTスキャンみたいな機械で内臓の中を調べるようだ。 造影剤をうってもらうと身体の中が温かくなり、変な気持ちがしたが検査自体はあっというまに終わった。 造影検査では、長年の飲酒により肝臓などの臓器が、どれくらいダメージを受けているか調べてくれるらしい。 結果は後日分かるようだが、どうか無事で

      • 私が旅に出る理由

        旅行が好き、というほどではないが、人並みには旅をしてきたと思う。 47都道府県はほとんど行っているし、海外にも何度かは足を運んでいる。 インドではそこにいる人のバイタリティーに圧倒されたし、オーストラリアのクラブではドキドキしながらビールを注文して、オーストラリアの人の元気さに驚きながら音楽を聴いた。 インドネシアの遺跡の中にあるホテルに泊まったり、台湾の怪しげな屋台で驚くほど美味しいものを食べたりと、それなりに旅を満喫してきてはいると思う。 ただ旅の中で、一番印象に

        • 新しい食レポのリーダーズ

          noteでは役に立つ文章を書くことがよいと聞いたことがある。 だから今日はそんなことをテーマにしたい。 役に立つといえば食レポのやり方を伝えることだろう。 誰にでも食レポをする機会が人生にはある。 どんな人でも人生に一度は、食事の感想を視聴者に分かりやすく伝える機会に出くわすことがある。 今や国民総彦摩呂化が進んでいる。 食レポができなければ、大人として認められない世の中になりつつある。 うまい食レポができてはじめて大人と認められる、いわば現代の元服式が食レポである

          同じ空をみている

          娘が4月から小学校の1年生になった。 子どもの成長は早い。 つい最近まで、赤ちゃんだと思っていたのに、最近は「パパはあっちにいって」などと生意気なことをたくさん言うくらい成長した。 娘は弟(年中)に意地悪をすることはあるが、優しく面倒を見ることも多くなり、お姉さんになってきたなと感心する。 娘が「パパだっこ」と言って、私のそばを離れなかった2歳くらいのころが懐かしいが、小学校で懸命に頑張っていると思うと、よく育ってくれたなと感謝の気持ちでいっぱいである。 そんな中で、

          同じ空をみている

          サ行変格活用絶対しないマン

          先日、急に熱が上がり、39.0度を超えた。ただの風邪だと診断は受けたが意識は朦朧としていた。 そんな中で、アルロンさんが中二病について記事を募集していたことを思い出し、布団の中で妄想してみた。熱がある中の妄想なので、おかしなところもあると思うが、せっかく考えたので文章にしてみた。読んでいただけると嬉しい。 ◇ 私はフランスで育った。産まれた場所は不明である。父と母は私の産まれた場所については、頑なに口を割ろうとしなかった。 フランスで育ったが私はバスク人としてのナショナ

          サ行変格活用絶対しないマン

          やさしさとしての水遁の術

          手裏剣が作れる人に憧れていた。 ただ手裏剣といっても金属製の本格的なものではなく、折り紙で作る手裏剣のことである。 不器用な私は、幼稚園のころ折り紙の手裏剣が折れなかった(今でもだが)。 そんな中で、上手に手裏剣が折れる子がいて、私の憧れの対象だったのである。 なんとなく周りの子どもたちも手裏剣が折れる子はカッコいい、という雰囲気が出来上がっていて手裏剣が折れる子は、幼稚園ヒエラルキートップに躍り出ていた。 簡単に作れる紙飛行機を折って遊んでいたのは年少組さんまでの過

          やさしさとしての水遁の術

          振り返れば9月がいた。

          ここで今月の振り返りをしていきたいと思う。 やったことを反省し、それを次に活かして良い方向に行動を改善していくのが正しいあり方だからである。これぞ良い社会人の取り組み方だと思うのでやってみたい。 世の人の中には、夜の校舎窓ガラス壊してまわったり、盗んだバイクで走り出したり、きしむベッドの上で優しさを持ちよったりすることもあると思うが、大切なのはそれをどう反省して、次にどのようにその失敗を活かしていくかということを考えるのが重要なのである。 きしむベッドの上で優しさを持ちよ

          振り返れば9月がいた。

          車の中の音楽が、聴こえる

          ちょっと前のことなのだが、職場の飲み会で音楽の話になった。 どういう経緯かは忘れたが、GLAYやL'Arc〜en〜Cielの話題になり「あっなんとなく知ってます!すごく小さい頃に父や母が車の中で聴いてました」と言う若い人がいて、驚いたことがある。 なぜ驚いたかというと、私にとってGLAYやL'Arc〜en〜Cielといえば、青春時代に流行ったバンドだからだ。 GLAYやL'Arc〜en〜Cielを聴くと、今でも若かった頃の甘酸っぱい思い出が蘇る。 そんなGLAYやL'Ar

          車の中の音楽が、聴こえる

          いきることがずっとつらかった、でもいきることをするため

          ただ生きることをやめたくなかったため。 私にとって書くこととはそれだけだ。 私はできることが少なくて、周りの人たちに褒められることがない。この前はヤクルトのフタがが開けられなくて娘に呆れられた。 電車、バス、タクシーに乗ることなとが不安で移動に困難もある。 歳をとるごとになんか不安という気持ちも増して、生きること自体が大変になってきつつもある。 自分の子どもがいることはもちろん生きがいになっている。 ただそれは日常であるし、評価されることが難しいことだ。 当然なのではあ

          いきることがずっとつらかった、でもいきることをするため

          マザコン息子

          息子(5歳)はママが好きである。 息子は毎日ママに抱っこしてもらったり、甘えたりしている。 そんな息子を私はとても可愛く見ている。 妻は息子が近づいてくると「やめて、やめて」とわりと塩対応なのであるが、息子はめげない。 妻は息子にものすごい勢いでキスされたり、抱きつかれたりして、もうやめてと言うものの、息子は「ママが好きだから」と答えるのである。 その発展した形として「ママが一番好きだから」、「ママが大好きなんだから」、「ママがかわいいから好き」、「ママ大好き」、「マ

          マザコン息子

          私はカブトムシ

          退院する日がついにやってきた。 退院デイである。 ハッピーデイズである。 もう一回、夢かい!である。 入院した時はいつ退院できるかなんて分からなかった。ただ、尿管に繋いだ管が外れ、モニターが外れ、点滴の線が外れるに連れて、素人の自分でもなんとなく退院が近づいてきたのかなと思っていた。 ちょっと前までは、医師や看護師さんが頻繁に私のベッドに来て様子を見てきてもらえていたのだが、放置されはじめていたことも、もう大丈夫だと思われている証拠なのだなと捉えていた。 ただそんなの

          私はカブトムシ

          走ることが苦手だった

          私は石橋を叩いて渡る性格である。叩きすぎて叩き壊して途方に暮れるくらい慎重である。 よって、これまでの人生で挑戦らしいことを一切してこなかったような気がしていた。 ただそんな私でも「挑戦」ということを掘り下げてみると、石橋を叩かずに、むしろ吊り橋を一気に走って進むような体験が一つだけあったことを思い出した。 それはマラソンへの挑戦である。 私はもともと運動が苦手で、走ること、跳ぶこと、鉄棒やマットなど器具を使って身体を動かすこと、ボールを扱うことなど全てにおいて下手だ。

          走ることが苦手だった

          反抗期が早すぎる娘

          私には娘(小1)と息子(年中)がいる。 うちの家庭は共働きで、娘も息子も0歳児の頃から保育園に入っている。 妻が保育園への送り、私がお迎え担当である。妻は職場から帰宅するのが遅いので、基本的に夜は子どもたちと私で寝るまで過ごしている。(最近私は入院していたのでその間は、お迎えもなにもかもできていなかったが) 特に息子が産まれる前は、保育園に迎えに行ってから寝るまでは、私と娘の二人でゆっくりと過ごしていた。 そのおかげか小さい頃は娘は私にものすごく懐いていた。 娘は警戒心が

          反抗期が早すぎる娘

          入院と孤独

          入院して2週間が経とうとしている。 最初の2日はHCUというわりと重めの患者が行く病棟に入って、横になる以外何もできなかった。携帯も持ち込み禁止で、外部との連絡も取れなかった。 3日目には一般病棟にうつることはできた。ただこの時はまだ尿道に管が付いていて、尿が入った袋をぶら下げ、点滴とモニターも常時身体に付いていて、移動する時も常に一緒で不便なことこの上なかった。 常に大きな荷物を背負って生きているようだった。 荷物なら望遠鏡かベルトに結んだラジオで十分なはずなのに、入院

          入院と孤独

          痛みと羞恥とやっぱり痛み

          私は基本的に痛いことが苦手である。 根性がないだけと思われるかもしれないが、自分では勝手に、人より皮膚の痛覚を感じる受容器が多いのだと解釈している。 今回の入院では痛いことがたくさんあった。それは私の病気を治すために仕方のないことであると理解しつつ、それでもつらかったことがあった。 「痛みに耐えてよく頑張った!おめでとう!」と称えて欲しいくらいである。「くろオリンピック、痛みに耐えただけで偉いのでみんな優勝でーす」である。 とにかく今日は入院中の痛かった話を書いていきた

          痛みと羞恥とやっぱり痛み