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「学びながらお金が欲しい」というシンドイ人たち

先日、気になるポストがあった。

医学部の学生と思しきアカウントから発信された、

「研修医みたいにお金もらいながら臨床実習できるなら、学生ももっと真面目に実習するのに…」

という内容だ。

一読した最初は、

お、研修医よりもさらに若い学生世代からの"形骸化した初期研修制度"に対する痛烈な皮肉か?

と勘繰ったのだが、どうやら違ったらしい。

臨床実習に対して、本気で金銭的な対価が発生するものだと思っているようだ。

30半ば、ゆとり世代と言われた僕ですら頭がクラクラするような感覚を覚える。

世の中年以上の世代にはまるで異星人の発言かのように捉えられているだろう。


「おぉ、とうとう時代はここまで来たか!」


多くのオジサンたちは絶望諦念感嘆が相まった感情に包まれているだろう。

これは、現代社会の歪さを体現した言葉であり、そしてそのまま維持不可能な従来の職場教育を象徴している。

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「どちらかと言えば、教えを乞う方がお金を払うのが普通では…?」

世の大多数が、そう思っているだろう。

これについては、

「そうです、その通りです。」

以外の答えが見つからない。

周りを見回してみればすぐにわかる。

泳げるようになるまで手当が支払われるスイミングスクールはないし、練習したらお小遣いをくれるピアノ教室もない。

習う側がお金を払うのが至極当然だからだ。


ひょっとすると、医療関係者以外の人はこう思うかもしれない。

「医学生というものは非常に特殊で、労働に近い高度な実習内容のため給料が発生してもおかしくないのだろうか!?」


安心して欲しい。全くそんなことはない。


医学生の実習内容は、対価が発生するようなレベルでは到底ない。

自身の勉強のために見学をしたり、なんちゃって担当医をしたりするだけだ。

医学部生が現場で医療者として金銭と交換できるレベルの価値を提供することは不可能だ。

そもそも医師免許を取得した研修医ですら最初は、医師免許の価値におんぶに抱っこの状態だ。

それすらまだ未取得の医学生には現場では下の下、最下層中の最下層である。

オペ室で看護師からゴミを見るような目で「邪魔」と言われても「すんません…。」としか返せない、そんな存在なのだ。

このような現場で市民権すらない存在になぜ、"給料が発生する"という発想になるのだろうか?


それは簡単だ。


学校のルールと、社会のルールが全く異なることを認識できていないからである。

学生時代にテストでいい点数を取って、親に褒められるのと同様に、医学生として現場で実習することでだれかからお小遣いをもらえると思っているからだ。


頑張ったことに対価が支払われるという見当違いの稚拙な子供の発想である。

今回のケースは極端な例で悪目立ちしてしまったが、この傾向は昨今のトレンドでもあるだろう。

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「頑張ったから、ご褒美がもらえる」

この甘ったれた考えは多くの職場で上司の頭をなやませている。

皮肉なことに、そこにタイミング良く働き方改革ハラスメント全盛の時代が到来してしまった。

現在の新人たちは「辛くなく」「怒られることなく」「楽な仕事」で給料をもらうということに慣れてしまった。

そうなると「学び」というのものは相対的に辛い作業になる。

「辛いのだから、頑張ったのだから、報酬が必要だ。」

脳の深部で無意識下にこの発想の囚われてしまう。

教育という概念が終わり始めている点もこの論理の延長線上にあるだろう。


不幸にも、人間というものはすぐに環境に適応してしまう。

「学びながらお金が欲しい」から「お金がもらえないなら学ばない」まではあっという間だ。



働き方改革と各種ハラスメントがとの相性も絶妙で、現代の職場では歪な雰囲気が形成されている。


ただ、新人たちに都合の良い時代は長く続かない。

今は時代と時代の狭間であり、変革した未来への行進はすでに始まっている。

例えば、医療の現場で肌感覚で感じるものとして

「1回目のチャンスがもらえない若者」

が増えている、ということがある。

僕は循環器内科医だから、カテーテル手術という手技を行う。

その下準備である血管穿刺や終わった後の止血、または助手なんかを研修医にやらせることも多かった。

必須の習得事項では無いものの、慣習的に経験させていたものだ。

ところが、最近は事情が異なる。

「お金がもらえないなら学ばない」のスタンスに辟易した上司たちは、そっとその機会を与えるのを辞めた。

そうなるとどうなるか。

新人たちは「まだ一度もやったことがない」状態のまま教育プログラムを終えることになる。

これは医療の世界のみならず、仕事の技術を磨いたことがある人なら誰しもがわかる甚大なリスクだ。

「一度もやったことがない」
「一回やったことがある」
「一回成功したことがある」

この3つには大きな差がある。

本当に切羽詰まった時、ふとした解決の糸口が想定しない角度からくることがある。

それは往々にして、教育プログラムのメインコンテンツではなく、たまたま過去に「一回経験したことがある」「一回成功したことがある」経験だったりする。

「若いうちになんだかよくわからないが、経験したことがある技術」に土壇場で救世主となることはよくあるのだ。

また、1度目がなければ2度目がないというのも致命的な損失だ。

1度うまくできれば、その先もそれは自分の仕事になる。

自分一人で解決できることを増やしていくのが現場での効率的な成長方法であり、多くのチャンスをもらえるということは大きなアドバンテージだ。

一回目をクリアすることで開ける未来と、一度もやったことがないの差は年次とともに埋められない格差となっていく。

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「学ばない」ことを正当化する一つのロジックとして

「今の時代は頑張った分に対するリターンが少ないから」

というのもよく見かける。

確かに増大する社会保険料を中心に、現役世代の手取り額は減少している。

職場待遇についても上でポストが詰まっており昇進できない、というケースもよく目にする。

頑張った分に対するリターンが少ないというのは、真実かもしれない。


ただその先を考えるべきだ。

「頑張ってもリターンが少ないのだから、頑張らなかった場合は…?」

このリスクへの解像度はしっかりと上げておくべきである。

確かに今は制度の移行期の狭間であり色々な抜け穴がある。

ただ、その抜け穴はビジネスオーナーによって必ず丁寧に一つずつ潰されていく。

特に医師は保険医療制度に乗っかった報酬形態を取っているため、財布を握られているのと完全に同義だ。

本質的な知識やスキルを"金"を理由に取得しないことは甚大なリスクになる。

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最後に一つ断っておくが、僕は「人間としてのポテンシャル」については世代間格差は無いと明確に考えている。

時代を問わず、優秀な人は優秀だ。

一方で、職場教育や働き方が変化した今、世代全体の習熟度合いや成長レベルは鈍化するだろう。  

それら悲劇ではあるが、+2SDの個体にとっては際立つチャンスであることを意味している。

特定の個体がレイヤーを引き上げられ、その底には無数の集団がAIに怯えながら、単純作業による雇われ賃労働を強いられる。

「学びながらお金が欲しい」から「お金がもらえないなら学ばない」を選択しまった人たちに、社会は「学んでない人たち用の仕事」を当てがうだろう。

能力不十分なモブキャラとなってしまった人たちの未来は暗い。


長年当てがわれたモブキャラ用の仕事から価値ある業績や汎用性の高い上澄みスキルを捻り出すことの難易度は極めて高い。


レイヤーを上げることが益々難しくなるのだ。

これからはますます高度な仕事や高いポジションのの奪い合いになる。

さながら武器アリ総合格闘技の世界だ。

上司や中年世代は屈強な精神経験という強力な武器を片手に、戦い方を知らない丸腰の新人プレーヤーを刈っていくだろう。

乱世を見ながら子供時代を過ごした次の世代の若者たちも幼い頃から鍛錬をし、自己防衛のスキルを身につけて社会に飛び出してくる可能性もある。

「あの世代はなんなんだろうね。」


ライフワークバランス世代は上からも下からも珍妙な存在として扱われ、切り捨てられる世界線は間違いなく到来するだろう。


そんなことは露知らず、  

「学びながらお金が欲しいんです。」



声高にそう叫びながら、猛者の巣食う社会に乗り込んで行く若者を思うと、全くもって不憫でならない。





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