反出生主義者が出産するまで
反出生主義だけじゃなかった
4歳の時に母親の手を掴んで「なぜ人は死ぬの?なぜどうせ死んでしまうのにお母さんは私を産んだの?」と泣きじゃくったことを覚えている。
幼い頃から習い事漬けでずっと練習と競争だけしていたこともあり、日々は苦痛の連続だった。人が親によって同意もなく生まれて苦しんで死ぬ、ということがただただ無意味な営みに思えたものだった。
「そもそも、生まれてこなきゃ良かったのに。」と語る幼児は…周囲の人がドン引きするほどの反出生主義者に育った。子供を持つことは毛頭考えていなかった。私に似てしまったらあまりに可哀想だから生まれない方がいい、とも。
ちなみに子供のことも好きじゃなかった。特に赤ちゃんの泣き声。前触れなく聞くと自然と眉間にしわが寄ってしまう。「もし仮に親になったとして、自分がまっとうな親になれるわけないだろう」と信じて疑わなかった。
さらに、結婚も全く考えていなかった。元々無茶苦茶なことをしがちな人間だったので、誰かに合わせ合わされするなんて無理。猫のようにひとりで生きていくつもりだった。好きな時に好きなことをして、どっかの地方で自由気ままな隠居人生を送って音信を断ちたい。
そもそも何度も生きることを諦めかけた人間である。将来設計なんてものも特になく、それなりに楽しめれば儲けもんでしょ〜くらいのスタンス。
腐れ縁からの信頼
ところが何やかんやあってコロナ禍の真っ只中、10年弱付き合ったり別れたりを繰り返し腐れ縁だった夫と結婚することにした。理由は単純、実家を出たかったから。
諸々のトラブルで(割愛)家族との関係がギクシャクしていて、出された食事を食べることすらできず吐いて痩せこけていった時期もある。衛生状態が悪く、住むだけで健康を害する。そんな状況の実家に、外出もままならない時期に居続けるのは精神を完全に壊すカウントダウンをしているようなものであった。
で、実家を出て独り立ちする方法のうち両親が唯一許可する方法は結婚しかなかったのだ。
※何ならそれを提案してプロポーズしてきたのは夫。酔狂過ぎるだろ。夫の私に対する忍耐力は異常なものであるのだけど、その話はまたいつか。
とはいえ、バタバタと夫と同棲し入籍した後、彼が信頼できる人間だという確信は持てた。根気強く話し合いの場を設け、やるべき事はさっさとこなし、生真面目。腐れ縁だからお互いよくわかってるし大好きでもある。だからこそ子供を持つという選択肢を検討することになるが、正直そこに至るまでが長かったように思う。
私は前述の状況だったので自分の子供を育てるなんてとても考えられなかった。似ていたら尚更。それに出産とか痛いのは嫌だ。
でも、こんなに信頼できるしっかりした夫の子供なら世界のどこかで育っていてほしいと思うようになった。それで、どうしたか?
夫に「精子バンクにドナー登録して」と頼み続ける狂気の沙汰をしていた。3年くらい説得したけど、結果はいつだってNOで揺らぐことはなかった。「君との子供じゃないなら意味がない」と目に涙をためて訴えられた。そうかぁ。私は説得を諦めた。
将来を前向きに考えた結果
そんな荒事をしているうちにコロナ禍が終わった。少しずつ生活が元に戻る中で、自分の将来について改めて考える時間が増えていった。
そして鏡に映る自分を見た時にふと自分の老いを感じたのだった。ホクロも増え、体力も気力もどこか衰えている。このまま年齢を重ねていくだけなのかな、と。大きな変化が必要なのではないか。
加えて60代の両親に痴呆の兆候が見え隠れし始め、生活に何か新しい風を入れる必要があるのでは?と考えるように。こんなに苦しい思いをしても親孝行を考えるなんて皮肉な話ではある。
ちなみに義両親に至っては70代。もし今子供を持ったとすれば、10年後に介護が本格化する前に子育てを手伝ってもらえるし、成長した孫の顔を見せてあげることもできる。で、じゃあその子はどっから来る?私が産むしかないのでは???
そのほか経済的な問題が解決できそうという見込みや、自分のメンタルの安定も含めて"私のエゴで私自身の喜びのために"子供を産むことを決断した。責任をとってどんな苦痛も受け入れて、生まれてくる子に対しては避けられる不幸を避けることができる環境を整えようと決めた。
「一緒に幸せになる」という考えで動くのは私にはまだ難しそうかもしれないけど、それでもやってみよう。
いろいろな条件が揃ったタイミングで「今しかない」と感じたのも事実だし、人生をようやっと前向きに考えるようになってきたところだから。
現代の都市部の大卒女性として26歳での出産を企図するのはかなり早い部類だ。知り合いのうちでは最速であったものの、私自身はもう少し早く判断しておけばよかったとも思っている。結婚したのは大学卒業後すぐだったし、20代前半をただ漫然と過ごした。
もっと計画的に動いていれば…精子バンクの話なんてしている場合じゃなかったのでは…?という後悔も今になってみればある。
おわりに
そんなわけで、2024年の8月に第1子を授かりました。幸い超安産。顔かたちはあれほど望んでいなかった私ほぼそっくりそのまま。夫と似ているのは現時点では眉毛くらいで、クリームを塗ると嫌がり、お風呂に入るとオッサンみたいなにへら顔をする妙なところまで遺伝してしまった。
そして不思議なことに生まれてみると可愛いすぎる。可愛さでこちらが爆発四散するんじゃないか。爆音の泣き声は気になるけど、まぁ赤ちゃんだからしょうがないと思えるまでになった。本能的なものなのかもしれない。
この先どうなるかはわからないけれど、ひとまず現時点の自分の選択の連続を良しとしよう。
ミルクをあげてこなきゃ。
【多くの方にお読みいただいているようなので、追記】
「純粋な反出生主義者」というよりも、「反出生主義的な思考や感覚を持っていたけれども、状況の変化や思考の深化を経て考え方が変わり、結果的に出産に至った」のではないか?とのご意見を頂いています。確かにその側面はあります。反出生原理主義者(?)に比べればはるかにゆるいものです。
私自身は反出生主義の思想について哲学的に厳密ではなく、感情的なものであると言うことも併せて述べておきます。ではその場合、私の考えは何と呼べば良いのでしょう?
また、「考え方が変わる」ことは誰にでもある自然なことであり、その過程を共有すること自体には意味があるのではないかと思います。全ての主義主張はその時点でのポジショントークでしかありません。たとえ一時的なものだったとしてもそうした経験を振り返り、どのように現在の選択に至ったのか。これを綴ることが誰かの思想の糧になるよう願っています。