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あんなに稼ぎたかったのに、専業主婦化してる。
「年収1,000万円」をずっと夢見ていた。
それなのにどうしたことだろう。
10月から無収入のまま、今年を終えそうだ。
個人的に仕事をくれる先輩がいる。
仮にその先輩をAさんとするが、彼女が昨年のある日突然「広告用の動画を作ってほしい」と連絡をくれた。
喜んでその仕事をこなしていたら、Aさんが、マーケティング会社経営のBさんという男性を紹介してきた。AさんとBさん2人が組んでやっている仕事の手伝い(反響営業の電話)が今の私の収入の柱だ。
……柱などと言うと太そうな印象を与えてしまいそうだし、冒頭のビッグマウスが恥ずかしすぎるので早めに白状すると、私の今年の年収は45万円である。笑
まもなく42歳になる私は、2020年、37歳で第3子を産んだ直後にコロナ禍がスタート。授乳しながらテレビをつければ、横浜に停泊中のダイヤモンドプリンセス号の映像ばかりだった。そして、亡くなる著名人の報道に打ちひしがれ、感染の恐怖におののきながら、
「いつ死んでもおかしくないな。死ぬ前に『あれやっておけばよかった』と悔やみながら死にたくないなぁ……」
という思いを次第に強くしていった。
また、私は「仕事のできない人間」というネガティブな自己像を持ったまま33歳で専業主婦になっている。
なんとも情けなくて、それが自信のなさにも繋がっていて、いつかそれを払拭できないだろうかという願望をずっと抱えていた。それを叶えるには「稼げる自分になる」しかないと考えていた。
そうして意を決して、38歳で5年間の専業主婦期間に終止符を打つ。
保活と並行しながら、クラウドワークスで「未経験者OK」の仕事に応募しまくり、14社目でやっとWEB広告の会社で、業務委託契約ではあるが、働けることになった。
ちなみに、本当は“雇用”される働き方がしたかった。しかし、子どもの発熱などで稼働できないことを考えたときに「締め切りさえ守れば、いつ仕事しても良い」という勤務時間が固定されない労働条件が望ましく、その場合は業務委託契約という選択肢しかなく、結果的に、開業届を出して、フリーランスという立場になった。
この会社で私は、WEB広告———中でもYouTube広告を作る必要に迫られ、使ったことのない動画編集ソフトを見様見真似で使い始めた。そして夢中になっていった。
他にも同じように業務委託で働く人は数十人いて、全員在宅ワーカーなので、一度も会うことのない先輩や同僚がいたのだが、私の作った広告の成果を見て、社長を通じて広告制作の依頼をしてくれる先輩が何名かいた。
そのうちの1人がAさんであった。
「私はもしかしたら、仕事ができないというよりも、能力が活かせる職種や環境を選んでいなかっただけなのかもしれないよ……これは」と、徐々に自信を持つようになっていった。
しかし、この会社で求められることは広告を作るだけではなく、運用といって、広告が最も効果的に作用するようにターゲットを分析して設定したり、数値をもとに次の一手を考えたりという業務も重要なのだが、私はこの業務が壊滅的に苦手だった。そして、1年半お世話になった末、やめることにし、自信はまた底に落ちた。
その半年後にAさんは私を思い出して個別に連絡をくれたという次第だ。彼女たちから仕事をもらうようになって1年が経った。
この夏くらいまでは、もう少しガッツリ稼げる継続的な仕事が欲しいなと思っていた。
手伝いじゃなくて、できたら私も運営に関わらせてほしい。
そうしたら、月に30万円くらいはもらえるのでは、などと皮算用していた。
しかし、気が変わった。
9月に、Bさんから「長橋さんの仕事は繊細でとても助かっているので、運営に入ってもらいたい」という連絡があった。
10月には、やはりWEB広告の会社で一緒に仕事をしたことのあるCさんから「お元気ですか?ちょっと仕事が忙しくなっちゃって誰かに手伝ってもらいたいと思ってるんですが、長橋さん、一緒に仕事しやすかったなーと思い出して。最近はいかがお過ごしですか?」という連絡をもらった。
どちらも、とても嬉しかったし、もったいなかったけど、断った。
うわぁ、なんで今……少し前は渇望していたけど、今は彼氏いらないや、と思ったら告白されるあの不思議な現象に似ていた。
断った理由の1つは、7月にnote創作大賞に向けて小説を書いたことが大きい。創作が楽しいと知ったことと、なまじ中間審査に通ったこともあり、自分のエネルギーの使い道を厳選したくなり、「文章を書くことで収入を得られたらどんなにいいだろう」と思うようになった。
他の大きな理由としては、動画編集の締め切りギリギリで焦っている日に、乳アレルギーの次男に乳入りチョコレートを与えてしまい、救急車で運ばれ、1日入院することになったことや、基本、ほったらかしにしていた末っ子長女が9月にぜんそくで1週間入院することになったこと、そして、中学受験を検討している長男にサポートが必要なことなど、どう考えても仕事を頑張ろうと思える状況ではなくなってしまったことがある。
また、地域の子育て支援の活動にもやりがいを見出してしまい、未就園児を育てている保護者と繋がることや、下校する小学生の見守りが、私の今やりたいことでもあった。
私にとって、何が大切か、をあぶりだすような日々を今過ごしている。
そして、「仕事できない人間」と思っていた自分には、「もうそんなふうに思わなくて大丈夫だよ、あなたを必要としてくれる人はいるんだからね」という言葉を贈ることができるようになった。
気づけば「稼ぐことで自分の価値を見出さなきゃ」と躍起にはならなくなった。
最近、本屋さんでこんな本を見かけた。
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もしあと1年で、人生が終わるとしたら。
私…きっと週に1回、皮からこねて餃子を包み、家族で奪い合うように食べ、読みたい小説を貪り読み、一つでも多くの小説の公募に応募し、電子書籍に、生きた証を残そうと必死になるだろう。
これがしたいことなんだ。
じゃあ今は、それを私にさせてあげようよ、それ以外は必要最低限でいいでしょ、と思えた。
そのために、専業主婦化している自分を許し、野心は持ちつつ、焦らずに進みたい。やっと、やっと、そう思えるようになった。
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