人気の記事一覧

【生配信】12月8日19時〜 パールハーバーは奇襲ではなかった、米国人探偵の視点で解明!Al Johnsonインタビュー

1か月前

「つらい真実 虚構の特攻隊神話」を読むー戦中派で特攻隊に自分も行くのが当然と考えていた筆者がたどり着いたのは、腐敗し官僚化した軍隊の姿でした

すっきりと晴れるのは何か

1か月前

わが心の近代建築Vol. 46 荻外荘(近衛文麿邸)/東京都杉並区(荻窪)

1か月前

太平洋戦争末期の日本陸軍、B29を相手にするため視力増強剤を開発ー飛行兵の疲労回復など、さまざまな研究の最後

無事を祈って交わし合った戦時下のはがきと、その無念な結末

太平洋戦争開戦となった1941年12月8日の最初の戦闘は、真珠湾攻撃ではなくマレー半島のコタバル上陸作戦でしたーこれを1944年の国策紙芝居にした理由

お腹が減って死にそう

1か月前

潜水艦のごちそうだった「うなぎの缶詰」を試食したー「潜水艦気質よもやま物語」にちなんで

#145【雑記】永遠の愛 ~約束を守った男の話~

5日前

資料_20241216

加害の歴史を忘れない

1か月前

<戦時下の一品>戦時生産の末期型飯ごう 良質なアルミの不足が如実に表れる

わずかでも空襲被害者に役立った「戦時災害保護法」ー敗戦後に軍人関連の補償制度とともに廃止、軍人関連は恩給など復活するも、空襲関連は復活せず

日中戦争が始まった1937(昭和12)年の11月ごろ、各地にこんな年賀はがき印刷見本が届いていました

「ドクトル・ジャパン〜私の祖父はインドネシアに残ることに決めた」

AIに、「日本は、なぜ、太平洋戦争につながる米攻撃をしたのか」と質問 私は、東大大学院総合文化研究科で、社会科学の研究をしていた時、マンハッタン計画の始めから終わりまでの政治的・経済的・技術的・産業的な問題を分析し、学会論文誌原著論文にし、掲載されましたが、米側条件が桁外れに大きく強く、日米比較論では、大人(米国)と赤子(日本)の喧嘩であり、最初から喧嘩が成立せず、結果は、見えすぎており、日本側の状況判断ミスだと気づきました

アナログ派の愉しみ/映画◎溝口健二 監督『元禄忠臣蔵』

1か月前

祖父や叔父らの戦歴を知りたい、戦死の状況を知りたいー第一歩は軍歴照明書の取得から

やりぬけと雪の谷間にこだまする

1か月前

こんなところにも戦争があった:延岡の特攻艇「震洋」格納壕

2か月前

戦場で兄を亡くした妹が、父と2人で参列した1940(昭和15)年の靖国神社臨時大祭の回想を「院友」に寄稿ー1942年10月の臨時大祭写真とともに見る

靖国神社で執り行った戦死者を合祀する「臨時大祭」に合わせて遺族が手にしたもの

長野赤十字病院の関係者でつくる院友会の年に一度の会報、1943年の惨状と反比例する過激な内容

忘れ去られた特攻基地 高知の海に潜んだ「震洋」と「回天」

2か月前

続・絵映フィルムー1943年8月5日発行の防諜作品「スパイは狙ふ」ー勘違いやら、〆のセリフは謎やら、注意を引き寄せる工夫なのか

戦地からの便り(9)

9日前

太平洋戦争末期、信濃毎日新聞のコラム「信山風」の提案は、現代にも通じる名コラム

軍隊では、どんな歌を歌っていたかーそして戦後にも登場する、軍歌を歌える酒場とは

太平洋戦争開戦の詔書を、当時の価値観で解釈した本で読むー「天祐は歴史的事実」とかいっちゃってる人の文ですが…

敗戦後13年しても、消息不明長野県関係者が1770人も記載されていた「未帰還者名簿」に見る戦時下、戦後の惨状

「自分たちが行かないと国を守れない」と信じた青年が敗戦を迎え、悩みを打ち明けた青年学校教師の返信

わしは戦争は嫌いじゃ🐰

空襲と物資欠乏が出版も奪っていくーそれでも戦争継続呼号

興亜奉公日から大詔奉戴日へー臣民の戦争への関心維持に、あの手この手。そして追従した情けない新聞の姿

日露戦争後、建造された「義勇艦」を知っているかーその後の国策の参考になった可能性も

今日は太平洋戦争開戦の日。二度と戦争は起きて欲しくない。戦時中、唯一の地上戦があったのが、沖縄だ。その沖縄に今も米軍基地が集中していることに矛盾を感じる。 私が安穏な毎日を過ごしている一方で、今この瞬間にも、ガザで、ウクライナで失われていく命があることを考えると、心が重くなる。

1か月前

奇妙な軍事小説を読む夢

2か月前

フィルム原料も不足の戦時下、蝋紙に絵を印刷したとみられる「絵映フィルム」が登場ー幻灯機で使えたか

【本日開戦せり】昭和16年12月8日。悪の枢軸国・大日本帝國、アメリカ・イギリス・オランダに対し宣戦布告。真珠湾に奇襲せり。

「非常時」に備えた衛生思想普及の目玉は「大キンタマ」でした

昭和天皇の戦争責任 愛国者学園物語 第248話

戦前、戦中の若者たちが歌った、さまざまな歌ー戦争の深まりによる変貌と、変わらないもの

空襲から逃れる「疎開」にも、いろいろ煩雑な手続きが必要でしたー対象者も防空法で限定されました

【沖縄慰霊の日6・23】~沖縄の心を私は忘れない~

敗戦後に届いた、陸軍大臣感謝状配布の依頼

戦地からの便り(10)

3日前

日独防共協定に1937年、イタリアが参加したことを受け、森永製菓は何をしたか

米陸軍製作の爆撃用地図の精密さに、総力戦の実力の違いを感じる

日中戦争、太平洋戦争で召集され、ビルマの戦場で看護を続けた長野県の日赤看護師・竹内静子(旧姓・宮本)さんの話