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こちらでは、過去10年間かけて訪問してきた近代建築について、Facebookに書いたも…

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こちらでは、過去10年間かけて訪問してきた近代建築について、Facebookに書いたものをベースに、関東を中心として、とことん、徹底的紹介していきます。 こちらでは政治などの話には触れませんが、歴史的背景などについて触れる時は極力、山川出版の概説日本史をもとに話します。

最近の記事

わが心の近代建築Vol.35 旧本多忠次邸/東京都世田谷区野沢→愛知県岡崎市東岡崎

みなさん、こんにちわ‼ 今まで、小笠原伯爵邸、旧土岐家住宅、坐漁荘(西園寺公望別邸)など、いくつかの華族邸宅を記載しましたが、今回は、東京都世田谷区から愛知県岡崎市に移築保存された、旧本多忠次邸について記載します。 まず、この邸宅は、施主の本多忠次が1930年に東急沿線沿いに約2000坪の土地を購入。邸宅は1932年に竣工。 忠次は、専門的な建築教育を受けていなかったものの、邸宅建設に関し、自らスケッチや図面を引くこともあり、また、各所の建築を訪問。 自身が気になった建築家

    • わが心の近代建築Vol.34 俣野別邸公園/神奈川県鉄砲宿(戸塚)

      みなさん、こんにちわ。 今回扱う建物は、神奈川県藤沢バイパスわき、ちょうど横浜市と藤沢市の境目にある俣野別邸公園より、「俣野別邸」を扱います。 この邸宅は、もともとは住友財閥の別荘建築として1939年に建立。 のち、住友家から横浜市に寄贈されて(国指定)重要文化財に選出。公開向けて修繕工事が行われる中、湘南地区の近代建築を襲った相次ぐ不審火で全焼… しかし、照明器具や襖などといった建具が修繕のため横浜市が取り外して保管されていたとや、多くの方の市民運動により2016年に再建さ

      • わが心の近代建築Vol.33 旧イタリア大使館別荘記念公園/栃木県中禅寺湖

        皆さん、こんにちわ。 今回も、以前記載した建築物より、奥日光… 中禅寺湖畔に建てられた旧イタリア大使館別荘記念公園について記載します。 現在、東京の奥座敷として名高い奥日光、中禅寺湖畔については、782年に勝道聖人が男体山の東長寺に発見したのが始まりとされ、784年に神宮寺(のちの中禅寺)が建設。以降霊場として有名になります。 明治期以降、いち早く着眼したのは、イギリス公使秘書官だったアーネスト・サトウ氏。1875年に「A GUIDE TO NIKKO」を記載したところ、避

        • わが心の近代建築Vol.32 厚木市古民家岸邸/神奈川県本厚木

          みなさん、こんにちわ。 Vol.30にて長野県岡谷の旧林家住宅について記載しましたが、今回も文明開化以降、日本の殖産産業を支えた生糸について、厚木市久保地区に遺された厚木市古民家岸邸からアプローチをかけていきたいと感じます。 まず、厚木市は神奈川県のほぼ中央部分に位置し、江戸期より交通の要衝として栄え、西は丹沢山系、東は相模川に囲まれ、現在も県央部の重要な商業都市として位置付けられています。 また、江戸期には「大山山詣り」で賑わう大山街道の宿場町として栄えます。 また、江

        わが心の近代建築Vol.35 旧本多忠次邸/東京都世田谷区野沢→愛知県岡崎市東岡崎

        • わが心の近代建築Vol.34 俣野別邸公園/神奈川県鉄砲宿(戸塚)

        • わが心の近代建築Vol.33 旧イタリア大使館別荘記念公園/栃木県中禅寺湖

        • わが心の近代建築Vol.32 厚木市古民家岸邸/神奈川県本厚木

          わが心の近代建築Vol.31 坐漁荘(旧西園寺公望別邸)/静岡県興津→博物館明治村

          みなさん、こんんちわ。 本日は、以前訪問した建造物の中から、かつて静岡県興津にあり、諸事情により明治村に移築された西園寺公望別邸… 坐漁荘について記載します。 まず、興津の歴史について記載すると、その海岸は古くから「清見潟」と呼ばれ、和歌の枕詞などに多く使用された名勝。江戸期には東海道五十三次の17番目の宿場町として栄え、歌川広重の浮世絵にも遺されています。 明治以降は当時の嘉仁親王、のちの対象店のの海水浴地として知られたほか、東海道線開通などで交通アクセスが上昇すると、

          わが心の近代建築Vol.31 坐漁荘(旧西園寺公望別邸)/静岡県興津→博物館明治村

          わが心の近代建築Vol.30 旧林家住宅/長野県岡谷

          みなさん、こんにちわ!! 今回は、先日訪問した、長野家岡谷にある旧林家住宅について記載します。自身、この邸宅を最初に訪問した時から、双極性気分循環障害と適応町外を併発… 文章を書くどころか、本を読むこともできなくなり、斃れていましたが、何とか快復し、やっとの掲載に至りました。 まず、今回扱う林家のある岡谷市は、長野県内の市では最小の地区になり、人口密度に関しては、県内で最も高く、諏訪湖畔の西岸に接し、豊富な水源から、古くから養蚕が盛んな地域として知られていました。 生糸産業

          わが心の近代建築Vol.30 旧林家住宅/長野県岡谷

          わが心の近代建築Vol.29 旧松城家住宅(静岡県戸田)

          みなさん、こんにちわ。 最近は暑い中、いかがお過ごしでしょうか?こちらは、建物探訪…やはり5月に比べ、暑さからか、だいぶ訪問ペースが落ちていますが、皆さんも暑さ対策、気を付けてくださいね‼ なお、今回は、静岡県沼津市戸田にある旧松城家住宅について紹介できたらと考えております。 旧松代家住宅について記載する前に、静岡県戸田について記載すると、現在は沼津市になり、その歴史について記載すると… 歴史の表舞台に出たのは1854年の幕末期。 ロシア海軍船・ディアナ号が安政東海地震の津

          わが心の近代建築Vol.29 旧松城家住宅(静岡県戸田)

          わが心の近代建築Vol.28 横浜市イギリス館/神奈川県元町中華街

          みなさん、こんにちわ。 メンタル不調も多少は緩和。今回は、横浜市の元町中華街駅界隈にあるフランス山を登り切ったところ、イギリス山(港の見える丘公園)にある、横浜市イギリス館について記載したいと思います。 まず、横浜の歴史を記載すると、1853年にペルリ提督が神奈川県浦賀に来航し、幕府に開国を要求。結果、1854年に日米和親条約、1957年に日米修好通商条約を締結。 幕府側は当時、寒村の1つに過ぎなかった横浜港を開港し、現在の国際都市・横浜が始まります。 が、幕末期の186

          わが心の近代建築Vol.28 横浜市イギリス館/神奈川県元町中華街

          わが心の近代建築Vol.27 旧宇田川家住宅/千葉県浦安市

          みなさん、こんにちわ。 最近は、メンタル不調やパソコンの不具合などで更新が滞っていた掲載… 今回は、千葉県浦安市にある宇田川家住宅について記載します。在現在、浦安はウォータフロントとして、舞浜や新浦安界隈に代表される高層マンションやホテル、アミューズメントパークなどで注目されますが、その地名が誕生したのは1889年のこと。古くから遠浅の海を漁場としてきた漁村であり、当代島/猫実/堀江の3村が合併したもので、「安らかな海浦」になる事を願って付けられました。 3方を海で囲まれた

          わが心の近代建築Vol.27 旧宇田川家住宅/千葉県浦安市

          わが心の近代建築Vol.26 旧渡辺甚吉邸/茨城県寺田

          みなさん、こんにちわ。 今回は、2023年、茨城県取手市の前田建設敷地内に移築保存された旧渡辺甚吉邸ついて記載します。 旧渡辺甚吉邸は、1934年、東京都でも指折りの閑静な住宅街でもある白金台に建立。 施主は岐阜で銀行業を営む名家・渡辺家の14代目当主・甚吉氏で、新婚を機に建てたもので、ゆくゆくは二人の弟が上京した際に、同居することを見据えて建てられます。 なお、白金台は、東京の中でも指折りの閑静な住宅街で、近隣にはVol.23で紹介した東京都庭園美術館があり(下記リンク参照

          わが心の近代建築Vol.26 旧渡辺甚吉邸/茨城県寺田

          わが心の近代建築Vol.25 江戸東京たてもの園より「田園調布の家〝旧大川邸”」/東京都武蔵小金井

          みなさん、こんにちわ。 今回は、江戸東京たてもの園の建築群から、かつて東京都田園調布に建てられていた「田園調布の家」について記載します。この邸宅について記載する前に、この邸宅がもともと建てられていた田園調布の待ちの経緯について記載します。 まず、「田園都市」構想は、環境の良くない都市部を脱出し、郊外に自然に囲まれた邸宅を構えるもので19世紀末から20世紀に初めに英国で起きました。 わが国でも1918年に澁澤榮一翁が「田園都市株式会社」を設立。おりしも明治期の産業開発により、

          わが心の近代建築Vol.25 江戸東京たてもの園より「田園調布の家〝旧大川邸”」/東京都武蔵小金井

          わが心の近代建築Vol.24 小笠原伯爵邸/東京都若松河田

          みなさん、こんにちわ。 今回は、新宿区若松河田にある「小笠原伯爵邸」について記載しますが、この邸宅のある若松河田界隈について記載すると… この界隈は、起伏に富む土地柄、庭園造成に適しており、尾張徳川家の戸山屋敷など、数多くの下屋敷が建てられ、今回紹介する小笠原伯爵邸のルーツになる豊後小笠原家もその1つでした。 明治期になると、下屋敷のほとんどが姿を消し、とくに尾張藩戸山屋敷の土地には、軍楽学校や陸軍戸山学校、戸山学校練兵場が造られ、その他の大名屋敷も陸軍士官学校や陸軍砲学校

          わが心の近代建築Vol.24 小笠原伯爵邸/東京都若松河田

          わが心の近代建築Vol.23 東京都庭園美術館本館(旧浅香宮邸)/東京都白金

          みなさん、こんにちは。 今回は、東京都の白金に建つ東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)を記載します。 まずこの界隈は、東京都白金に位置し、江戸期は高松藩主・松平隠岐守頼重公の下屋敷が置かれ、廃藩置県後には政府所有となり、兵部省、海部省などの火薬庫が置かれましたが、1917年に宮内省の所有になり、白金御用地になり、1921年に御料地の南西部が浅香宮賜邸地にとして譲渡されます。 一方、この建物の施主・朝香宮鳩彦王は久邇宮朝彦親王の第七皇子として生誕。19歳の時に、朝香宮家を立ち上げ、

          わが心の近代建築Vol.23 東京都庭園美術館本館(旧浅香宮邸)/東京都白金

          わが心の近代建築Vol.22 青梅宿・津雲邸/東京都青梅

          こんにちわ。 今回は、書こうと思いながら記載できなかった、青梅宿・津雲邸について記載します。 この邸宅は、戦前・戦後期に活躍した政治家で仏像コレクターでもあった津雲国利氏の別邸建築にあたり、数多くの政財界人をもてなした迎賓施設としても知られています。 青梅の歴史を記載すると、1606年に江戸城築城のため、青梅・成木村から石灰を運んだことが始まりとされ、徳川家康が江戸幕府を開いたときに青梅陣屋が置かれたことに始まり、青梅街道は「成木街道」と呼ばれていました。 成木地区の石灰が成

          わが心の近代建築Vol.22 青梅宿・津雲邸/東京都青梅

          わが心の近代建築Vol.21 臨江閣別館(群馬県前橋)

          Vol.20では臨江閣本館/茶室「畔堂庵」について記載しましたが、今回は付随し、前橋で行われた1府14県産業共進会(産業見本市)のセレモニー会場/迎賓施設として臨江閣本館の隣に1910年に建てられた臨江閣別館について記載します。 まず1府14県産業共進会(産業見本市)はについて記載すると、明治政府は産業振興のため、地方ごとに共進会(展示会)を開催。 前橋では1910年に第13回一府十四県連合共進会が開かれます。 これは群馬県はもとより、近隣の神奈川、千葉、埼玉、茨城、栃木、

          わが心の近代建築Vol.21 臨江閣別館(群馬県前橋)

          わが心の近代建築Vol.20 臨江閣本館・畔堂庵/群馬県前橋

          みなさん、こんにちわ。 今回は群馬県前橋の重要文化財… 臨江閣を本館/茶室と別館…2部構成で掲載します。 まず群馬県は、廃藩置県後、旧高崎城で県政が行われていましたが、高崎城が兵部省に接収された関係で明治4年に前橋に県政が移転。 それもつかの間、入間県(現在の埼玉県)と群馬県合併ののち、熊谷県と改称され、県庁も熊谷に移転します。 が、明治9年に熊谷県は廃止され、再度、埼玉部分とと群馬部分に分割され、新たに群馬県が誕生。 県庁に関しては、先述のように群馬県庁のあった高崎が、す

          わが心の近代建築Vol.20 臨江閣本館・畔堂庵/群馬県前橋