kikuzirou
章ごとに分けてみました。
内容が多くなってきたので、垂仁天皇から第三部と致します。ジャパンのウォーズについて語って参ります。
渋沢栄一さんと、杉浦譲さんの欧州視察日記です。
お気に入り楽曲です。
いろんな方の歴史に関する記事を紹介したいと思いました。
長く連載をつづけている、ジャパンウォーズですが、このあたりで、整理をかねて、マガジンを紹介させていただこうと思います。 第一部と第二部は、こちらから・・・。 今回は、第三部を紹介させていただきます。 ①垂仁天皇編。 JW472~541 第十一代天皇、垂仁天皇と家族や側近たちの物語です。 ②伊勢遷宮編。 JW542~578 第十一代天皇、垂仁天皇の皇女である、倭姫と仲間たちの物語です。 この章で、ようやく、伊勢神宮にたどり着きました。 ③垂仁経綸編。 JW579~6
最後の日記 ただ命を待つだけの軽い気持である。 隣の室で「誰か故郷を想はざる」をオルガンで弾いてゐる者がある。 平和な南国の雰囲気である。 徒然なるままにれんげ摘みに出かけたが、今は捧げる人もなし。 梨の花とともに包み、僅かに思ひ出をしのぶ。 夕闇の中を入浴に行く。 隣の室では酒を飲んで騒いでゐるが、それもまたよし。 俺は死するまで静かな気持でゐたい。 人間は死するまで精進しつづけるべきだ。 ましてや大和魂を代表するわれわれ特攻隊員である。 その名に恥ぢ
【景行征西編】エピソード61 亀との遭遇 第十二代天皇、景行天皇の御世。 西暦88年、皇紀748年(景行天皇18)6月3日。 景行天皇こと、大足彦忍代別尊(以下、シロ)の一行は、土蜘蛛の津頬を討ち取った。 そして、天照大神(以下、アマ)に感謝し、玉名大神宮を建てることになった。 地元の豪族、中尾玉守(以下、中尾)も加わり、一行は、祭神について解説するのであったが・・・。 えっさん「それだけではありません。大王も祀られておりますぅ。」 シロ「我もか?」 リ
著:渋沢栄一・杉浦譲 訳:大江志乃夫 慶応三年二月二十八日(1867年4月2日) 晴。風、強く、船の動揺も、あいかわらず。 朝九時、サルジニア、コルシカの二島の間を過ぎた。 この二島は、昔はイタリーに属していたが、ここ百年というものは、仏国領となっているという。 サルジニアは、その傍に、群島が星を散らしたように連なり、それぞれ跪いているようで、海峡は延々と曲折して、ちょうど庭園の池に浮かぶ山水のようで、天然の妙が備わっている。 島中に、一軒の小さな白壁の家がある。
【景行征西編】エピソード60 がんばろう玉杵名 第十二代天皇、景行天皇の御世。 西暦88年、皇紀748年(景行天皇18)5月。 景行天皇こと、大足彦忍代別尊(以下、シロ)の一行は、還幸(天皇が帰宅すること)と銘打って、筑紫(今の九州)の巡幸(天皇が各地を巡ること)をおこなっていた。 ここは、熊本県玉名市の立願寺に鎮座する、疋野神社。 解説を終えた一行に「シロ」は、退治するべき土蜘蛛がいると語るのであった。 シロ「その名を津頬という。」 百足「では『ツラ』と呼
遺詠 嗚呼 父母よ 我が妻よ はた 妹よ 弟よ 海山 如何に へだつとも ふたたびあはむ その日まで ま幸く いませ その日まで ふるさとの秋 月 明く かの 背戸山も 谷川も さやけく 照りて しづかなる せせらぎの音も 聞こゆがに かへらぬ 日々を おもへとか 泣けと ごとくに むせぶがに 陸軍少尉 山川弘至命 昭和二十年(1945)8月11日 台湾屏東飛行場にて戦死 岐阜県郡上郡高鷲村出身
【景行征西編】エピソード59 女石 第十二代天皇、景行天皇の御世。 西暦88年、皇紀748年(景行天皇18)5月。 ここは、長渚之浜。 二千年後の熊本県長洲町。 ここに、二人の女人が来訪していた。 大王の妃である、日向の御刀媛(以下、ハッカ)と、采女の「キャサリン」である。 ハッカ「御跡慕いて、参りましたが、大王は何処なのじゃ?」 キャサリン「どこにも見当たらないわね。」 するとそこに、男がやって来た。 男「あのう? 我は、朝勝見と申します。『かつ
愛児への便り 素子、素子は私の顔をよく見て笑ひましたよ。 私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入つたこともありました。 素子が大きくなつて私のことが知りたい時は、お前のお母さん、佳代伯母様に私の事をよくお聴きなさい。 私の写真帳もお前の為に家に残してあります。 素子といふ名前は私がつけたのです。 素直な、心の優しい、思ひやりの深い人になるやうにと思つて、お父様が考へたのです。 私は、お前が大きくなつて、立派な花嫁さんになつて、仕合せになつたのを見届けたいのです
ザ・ロネッツの楽曲。 1963年の作品。 作詞・作曲は、ジェフ・バリーさん、エリー・グリニッチさん、フィル・スペクターさん。 プロデューサーは、フィル・スペクターさん。 邦題は『あたしのベビー』で、弘田三枝子さんや、伊東ゆかりさんなどがカバーしています。 1999年には、グラミー殿堂入り、2017年には、ビルボードの「偉大な歴代ガールズグループソング100」において1位を獲得しています。
【景行征西編】エピソード58 魚の名は 第十二代天皇、景行天皇の御世。 西暦88年、皇紀748年(景行天皇18)5月。 景行天皇こと、大足彦忍代別尊(以下、シロ)の一行は、還幸(天皇が帰宅すること)と銘打って、筑紫(今の九州)の巡幸(天皇が各地を巡ること)をおこなっていた。 ここは、熊本県長洲町の腹赤にある、深田浦という池。 御腰の石に坐る「シロ」に、漁夫の朝勝見(以下、かつみ)が、魚を献上したのであったが・・・。 百足「鱒に似ておりまするな。」 モロキ「海
【景行征西編】エピソード57 高来県を治めて 第十二代天皇、景行天皇の御世。 西暦88年、皇紀748年(景行天皇18)5月。 景行天皇こと、大足彦忍代別尊(以下、シロ)の一行は、還幸(天皇が帰宅すること)と銘打って、筑紫(今の九州)の巡幸(天皇が各地を巡ること)をおこなっていた。 ここは、島原半島。 島か、陸か、確認をするため、宿禰(大王の警護役)の神大野(以下、ワオン)は、海を渡り、山の神、高来津座(以下、クック)に遭遇したのであった。 クック「ここは、神代直
【景行征西編】エピソード56 島か、陸か 第十二代天皇、景行天皇の御世。 西暦88年、皇紀748年(景行天皇18)5月。 景行天皇こと、大足彦忍代別尊(以下、シロ)の一行は、還幸(天皇が帰宅すること)と銘打って、筑紫(今の九州)の巡幸(天皇が各地を巡ること)をおこなっていた。 シロ「して、我らは、何処に向かっておるのじゃ?」 ナッカ「船路を進んでるみたいっすね。」 野見「では、あちらに、停泊致しましょうぞ。」 小左「あちらというのが、熊本県宇城市の三角町
著:渋沢栄一・杉浦譲 訳:大江志乃夫 慶応三年二月二十二日(1867年3月27日) 晴。カイロ。 暁一時、汽車で出発。 朝十時、アレキサンドリアに着いた。 この地は古い国で、とくに首府なので、古器物の考証の素材となるものも多く、博覧会場に収められている。 みな、太古のもので、多くは土中から掘り出した棺槨の類と見受けた。 死者の飾りに用いた金具で、襟にかけるもの、または、指環、曲玉、土製の人形、素焼きの甕や瓶の類は、虫の形を彫り、印章類は、鳥の形をした篆字(篆書体
【景行征西編】エピソード55 火国造 第十二代天皇、景行天皇の御世。 西暦88年、皇紀748年(景行天皇18)5月1日。 景行天皇こと、大足彦忍代別尊(以下、シロ)の一行は、還幸(天皇が帰宅すること)と銘打って、筑紫(今の九州)の巡幸(天皇が各地を巡ること)をおこなっていた。 前回は、不知火現象について、解説がおこなわれたのであるが・・・。 シロ「では、不知火の解説も済んだゆえ、火国造を任命しようぞ。」 タケ「誰を任じるのじゃ?」 シロ「左様ですな・・・。
今回の衆議院議員選挙の投票率が、推定で53.81%になるとほうじられていました。 数字の低さに、歎く声なども有ると報じられていましたが、私は、当たり前なんじゃないかな・・・と思ったりもします。 というのも、我が国は、国民主権を唱えておきながら、実質は、選民主権だからです。 選ばれし者だけが、政治を運営している、まるで、平安時代の貴族のような状況となっているように思うのです。 かつて、我が国は、投票率が低いことを問題視し、選挙権を18歳にまで引き下げました。 しかし、
【景行征西編】エピソード54 不知火 第十二代天皇、景行天皇の御世。 西暦88年、皇紀748年(景行天皇18)5月1日。 景行天皇こと、大足彦忍代別尊(以下、シロ)の一行は、還幸(天皇が帰宅すること)と銘打って、筑紫(今の九州)の巡幸(天皇が各地を巡ること)をおこなっていた。 ところが、船路の途次、夜を迎えてしまい、暗闇の中、一行は、途方に暮れる。 そんな時、遠くに火の光が見えたことで、ようやく岸に辿り着いたのであったが・・・。 地元民(に)「こぎゃん夜に、何し