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太平洋戦争開戦の詔書を、当時の価値観で解釈した本で読むー「天祐は歴史的事実」とかいっちゃってる人の文ですが…

 1941年12月8日、宣戦布告前にマレー半島のコタバルへの奇襲上陸で始まった太平洋戦争ですが、戦を宣するのは天皇によって行われるというわけで、天皇による対米英への宣戦の詔書が出されるわけです。独特の言い回しであり、その意味を解釈するのは当時の人でも断片的でした。そこで、翌年1月2日の閣議で毎月8日を大詔奉戴日と決定し、この日には詔書を読むようにとしたので、より内容を正しく伝えようと、解説の冊子が国学院大学院友会によって作られました。

文学博士・山本信哉著「宣戦の詔書謹解」

 著者の山本博士は神道の研究者でした。冊子自体は非売品で21㌻と小さいものなので、学内を対象に配布したのかもしれません。

大詔奉戴日が発刊のきっかけです

 山本博士は序文から「禍つ国々をして慙死せしむべき大詔」と飛ばしていきます。そして戦争目的の一つとしての大東亜共栄圏の確立を普通に唱えていますが、詔書の解説では、実は出てこないので、ここしか書くところがなかったのでしょう。

「醜(しこ)の御楯」として奮い立てと戦前価値観全開

 この方は、神のご加護があると信じているか、少なくとも吹聴していた方で、元寇での台風を「天祐」の歴史的事実としています。

「神風は天祐として余りにも顕著な事実」

 さて、前置きに続いて詔書が来ますが、読みにくいので、開戦当日の夕刊紙面でお示しします。

詔書前半
詔書後半

 この冊子では、詔書を5段落に分割して、詔書、語釈(語句の説明)、大意、それに補説という流れで全体を説明しています。神がかりな本人の補説はともかく、大意を写真でお示ししてみます。

 冒頭は天皇から臣民に告げる、という部分で、補説では、冒頭は過去の宣戦詔書とほぼ同じとしつつ「最初の大御言」で「万国無比の国体の有難さ」を感じ「皇運を扶翼するため、身命を捧げる固い決意となすもの」としています。

詔書大意1ー冒頭

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 続けて告げる内容と、その「正義の戦」を成し遂げる為、固く決心せよとしています。

詔書大意2「英米との開戦とそのための臣民の決心」を求める

 補説では、国民への決心を説いたこの部分について、今回の戦いが総力戦であるとして特に入れたものであり、国民全体が「天壌無窮の皇運を扶翼しまつらなければならない」とあらためて強調します。
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 そして詔書は続きで、本当は世界平和を願っているのに戦争に立ち至ったのは理由があって、決して天皇の本意ではない、とします。日本は悪くないけど、開戦するのにはやむを得ない理由があったとの説明です。現在からみれば弁解にしかならないのですが、政府情報の垂れ流しに慣らされていた人々にしてみれば、日本は被害者だという意識をこじらせていたでしょうから、納得されたでしょう。

詔書大意3ー戦争は望んでしたわけではない。それには理由があると

 補説では八紘一宇の精神を顕現するため、東亜の安定確保に心を砕いてきたこと、「下万民に至るまで平和を愛好することに於いて、世界何れの国家にも民族にも劣るものではない」と断言し、今回の戦争で「初めて大東亜永遠の平和を確立すべき好機に際会した」とします。八紘一宇という精神的な言葉を最大限に拡大解釈しています。
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 そして、先に挙げた戦争に至った理由についての説明が続きます。中華民国が事を起こして東亜の安定を乱してきたので、武力で懲らしめて4年に至ったが、汪兆銘を首席とする新たな政権ができたのに、米国と英国が蒋介石の「滅びかかっている政権」の後押しをし、東亜を我が物にしようとしていると。そして経済制裁をしてきて、帝国の先行きを不安に陥れたとします。

詔書大意3-1
詔書大意3-2

 補説ではなく、歴史を振り返ってみます。日本が日清、日露の戦争で朝鮮と台湾、南樺太を手に入れて帝国主義国家となるまでは、世界の帝国主義陣営も認めていました。しかし、第一次世界大戦を機に生まれた不戦条約、中国市場を巡る九か国条約を、それぞれ一方的に破って満州事変を起こして傀儡の満州国を建国、さらに中国の華北地方を同様の地域にするべく工作する過程で日中戦争へと発展して、蒋介石の代わりに汪兆銘の傀儡政権を南京に立てたという中国侵略の経緯があります。
 そして経済制裁については、日中戦争継続のための物資を確保するため、日本が1940年と1941年に行った仏印進駐が英米の植民地を狙っていると看破されたのがきっかけとなったのが事実です。ここでも、被害者意識全開です。中国に責任を押し付け、米英が日本をいじめているという構図を詔書が語っているのです。ABCD包囲陣をされたから開戦したという一部の言説は、この時代の庶民と同程度の情報弱者と言えるでしょう。
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 詔書は、日本の存立のため米英と交渉したけれども、「不利不安極まりない状態」になってきたので「自らの勇を奮って起ちあがり」東亜安定のため、邪魔者を打ち破る以外道がないとします。

詔書大意4-1
詔書大意4-2

 歴史的に紐解きます。ここでいう交渉は日米交渉のことであり、ハルノートの提出というのが「脅しつけ、屈服させようとした」にあたるとみられます。補説でもこのへんは取り上げていますが、ハルノートについて「この提案を受諾したならば、遠くは日清戦争以来、又近くは支那事変に於いて身を捧げた将兵の功績を無にし、何百億の国費をむなしく打ち捨てることになり」として、大東亜の安定、世界新秩序は建設できないとして、大東亜戦争の責任は米英にあることは「極めて明らか」とします。
 ハルノートは、①中国・仏印からの軍隊などの撤退②重慶政府以外支持しないこと③他国とのどの協定も太平洋全域の平和確保に矛盾するように解釈しないーの3点で、この冊子にも挙げてあります。1,2は日中戦争終結と満州事変以前の状態への復元、3は日独伊三国同盟に絡むものとなります。しかし、これが日本の不利不安になるのか。ここでは朝鮮や台湾の解放を入れていないので、あくまで帝国主義陣営の一員に残ってやっていけばいいという内容。これ幸いと日中戦争を切り上げられなかったのは、領土的野心はないと言いながら、「兵が血を流した土地を手離せるか」という、領土的野心全開の軍の面子がすべてだったでしょう。
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 最後は簡単にまとめです。歴代天皇や神々が守っているから、臣民の武勇を信じ、英米勢力を取り除いて栄誉を保有し安全にすることを決心するものと。

詔書大意5

 以上、大意を中心に見てきましたが、東亜の安定、東亜永遠の平和といった抽象的表現は出てきますが、アジアの植民地を解放するという言葉は出てきません。そして、その根拠として補説が利用した八紘一宇は、結局日本を中心とした「家」の形成ということであり、アジア全体の植民地化、あるいは属国化でしかありません。少なくとも、戦争目的に植民地解放を挙げてはいないのが、当時の解釈においても明確です。

 結局のところ、日中戦争打開を狙った仏印進駐で他の帝国主義国家の圧迫をまともに受けるようになって、さらに大きな戦争で物事を片付けようとした、その姿がよく表れていると、当時の解釈でも明確になったと思います。事実を直視することは、文を鵜呑みにするのではなく、その背景を見ることだと思います。


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信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)
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