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太平洋戦争末期の日本陸軍、B29を相手にするため視力増強剤を開発ー飛行兵の疲労回復など、さまざまな研究の最後

 米軍がサイパンを陥落させ日本国内への空襲が本格化、1945(昭和20)年3月10日東京大空襲で都内が灰じんに帰し、他の都市も次々に被害を受けていたころ、本土防空を担う陸軍は、飛行場を守るため、光を点灯させることなく飛行機を離着陸させることで、夜間のB29迎撃と艦船攻撃に役立てようと、夜間視力の増強を狙って訓練で目を慣らさせようとしました。が、うまくいきませんでした。

 このころ、第七陸軍航空技術研究所が夜間視力の研究にあたっており、眼球網膜に含まれるビタミンB2の量が夜間視力と関係を持つことに注目していました。しかし、ビタミンB2の大量生産は困難で困っていたところ、朝鮮半島の近海で捕れるスケソウダラの眼球に多量のビタミンB2が含まれていることが分かったため、これを利用して1945年4月、夜間視力増強剤の試作品を完成させます。これが「み号剤」でした。
 パイロットに飲ませた実験で、食後7時間から効力を発揮し、18時間目に最大効力となったということで、服用時の視力向上効果は服用しない場合に比べ距離にして1・44倍になったということです。これを受け、陸軍衛生材料本廠で生産され、直ちに航空隊に支給、使用されました。

み号剤の瓶

 瓶の説明文によりますと、1日3回3錠ずつ食後に服用することを2日続けたら2日休養するようにとあり、連続使用は2日が限度だったようです。そして出撃の1日前から服用を開始せよとあります。つまり、当直の乗員を、この「み号剤」服用のペースに合わせて備えさせれば、いつでも視力を増強した飛行兵を迎撃に出せることになります。
 ただ、量産が戦争末期であり、肝心の航空燃料が乏しくなってきていたこともあって出撃回数は限定されているころで、実戦効果ははっきりしないまま、敗戦を迎えました。収蔵している瓶は気泡も多く、戦争末期の混乱状態をよく表します。

気泡が入り、歪んでいても気にせず使用

 本土決戦に備えて、各地の監視部隊にも配布され、夜間斬り込みの挺身隊用にも備えられたとされますが、時期的にはこれらの部隊が活躍できる場面はなかったため、やはり効果は未知数のままでした。
 一方のドイツでは戦車や歩兵用に赤外線暗視装置を開発していましたが、こちらも戦争末期となって、効果を発揮する間がなかったとみられます。
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 み号剤は遅すぎた登場ですが、航空機パイロットの疲労軽減策としての特別食については日中戦争開戦後、徐々に研究が進められていました。敗戦後に駄菓子となって登場したゴム玉入りの羊羹も、気圧が変化する飛行機の中に備えられる簡便なものとして開発されたものの一つです。
 そして、飛行後の疲労回復用に「航空ブドウ酒」というものも作られました。ブドウ酒の中に特殊慰労回復剤(ビタミンC、アスコルビン酸などを含む)を混合したもので、長時間飛行の疲労に即効的に効き目を与え、気力を高める効力がありました。基本的には高さ約15センチ、直径2センチほどの小瓶に詰めますが、ビール瓶に詰めたものもつくられています。また、ヒロポン入りチョコレートも試作されていますが、こちらはどれぐらい使われたかは不明です。

 さて、この「航空ブドウ酒」ですが、敗戦直後、長野県は木曽福島町で起きたあるエピソードを紹介させていただきます。敗戦が伝えられた日の夜、木曽福島町のある酒屋に、三重県の明野(陸軍の航空学校があった。現在も自衛隊の航空学校になっている)からトラックで来た飛行兵らが、コメを渡すから炊いてくれと訪ねてきたのです。
 コメを炊いて出すと、飛行兵らはご飯を食べながら航空ブドウ酒を飲んでいて、去り際にお礼にと航空ブドウ酒の大瓶が入った木箱1個を置いていきました。中山道経由で厚木に向かう途中だったとのことで、当然、酔いはしますが、疲労が回復するし、気持ちを高ぶらせるためにも飲んでいたのでしょう。こうした特殊な食品が、敗戦時に航空隊にあったことを如実に物語るエピソードです。その後の彼等の足取りは分かっていません。
           ◇
 それにしても、科学力の差は置いておいて、み号剤の、気泡がいっぱいで形も歪んだ瓶を見ますと、当時の日本の切迫した状況を如実に語る証人に思えてくるのです。そして、戦争はここまで来ても止まらないのです。肝に銘じておきたいものです。

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信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)
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