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すっきりと晴れるのは何か

「帝国陸海軍は、今八日未明西太平洋に於いてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」
 いかにも、成程なあ、という強い感じの放送であった。一種の名文である。日米会談という便秘患者が、下剤をかけられた様なあんばいなのだと思った。僕等凡夫は、常に様々な空想で、徒らに疲れているものだ。日米会談というものは、一体本当のところどんな掛け引きをやっているものなのか、僕等にはよく解らない。よく解らぬのが当り前なら、いっそさっぱりして、よく解っているめいめいの仕事に専念していれば、よいわけなのだが、それがなかなかうまくいかない。あれやこれやと曖昧模糊とした空想で頭を一杯にしている。その為に僕等の空費した時間は莫大なものであろうと思われる。それが、「戦闘状態に入れり」のたった一言で、雲散霧消したのである。それみた事か、とわれとわが心に言いきかす様な想いであった。

小林秀雄「三つの放送」

 上記は昭和十七年一月号の『文藝春秋 現地報告』に掲載されたものである。このように小林秀雄は、開戦のニュースによって、国際政治上のもやもやした鬱憤が一気にすっきりと晴れる様を素直に表現していた。他国との関係が良くないと聞くとき、さらに自らの生活が脅かされているとき、国民は抑圧された感情をもつ。その抑圧を晴らすものはなにか。そして、その一時的な「鬱憤晴らし」の代償はあまりにも大きい場合がある。

 太平洋戦争といえば、8月15日の喪失感ばかりが取り上げられるのだけれども、12月8日の開戦の高揚感というものも、無視することのできない要素であると考えている。こうした高揚感は当時の日本人に広く共有された感覚ではあっただろうけれども、そこに文学・言論界はどのように関与したのか。毎年、この日にはできるだけ記事を書くようにしている。

※以下は昨年の記事。


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