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太平洋戦争開戦となった1941年12月8日の最初の戦闘は、真珠湾攻撃ではなくマレー半島のコタバル上陸作戦でしたーこれを1944年の国策紙芝居にした理由

 1941(昭和16)年12月8日、大日本帝国海軍の機動部隊による米国のハワイオアフ島真珠湾基地攻撃で太平洋戦争が始まった、とはよく言われます。確かに対米という意味ではその通りですが、実際は英領マレーへの陸軍によるコタバル上陸作戦が、戦闘開始という意味では1時間余り先んじていました。
 「昭和2万日の全記録6」(講談社)によりますと、日本時間午前1時30分、第一航空艦隊からハワイに向け第一次攻撃隊発進。同1時35分、第25軍佗美支隊の上陸用舟艇がマレー半島コタバル沖から陸岸に向かい発進、同2時15分、敵前上陸に成功。同時刻、真珠湾では米軍駆逐艦が正体不明の潜水艦(日本軍の特殊潜航艇)撃沈。同3時19分、真珠湾上空で全軍突撃せよ打電、22分「トラ、トラ、トラ」(我れ奇襲に成功せり)打電、25分第一弾投下、という時系列でした。駐米日本大使館が対米通牒を手交したのは午前4時21分で、真珠湾攻撃開始からほぼ1時間遅れでした。
 また、同じく日本時間で午前8時から香港攻撃開始。午後1時32分、フィリピンの飛行場空襲を実行しています。
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 こうして太平洋での戦闘が始まったわけですが、ここでコタバル上陸作戦を描いた国策紙芝居「コタバル」をご紹介します。手元にあるのは1944(昭和19)年3月15日発行のものですが、初版かどうかは不明です。開戦劈頭の話がなぜこの時期に出されたか。まずは紙芝居を追ってみましょう。

脚本鈴木景山、絵画小谷野半二 日本教育画劇発行
山下兵団の先遣部隊、マレーに迫る
南部仏印基地の飛行部隊が掩護

 1940(昭和15)年の北部仏印進駐は、まだ蒋介石への援助ルート遮断という名目がありました。これを受けて米国が屑鉄輸出を差し止める制裁を実施。1941(昭和16)年7月には現在のベトナム、カンボジア、ラオスの仏印全体を抑える南部仏印進駐を行っています。これは、開戦の日に示すように、日中戦争を継続するための物資確保を狙った南方作戦の準備という色彩が濃く、逆にオランダは日本との石油輸出交渉打ち切り、米国は日本への石油輸出を停止します。この結果、海軍が一気に開戦派となってこの日を迎えるのです。

シンゴラ、バタニはマレー半島のタイ領
沖合の船から上陸用の大発へ乗り移る
英軍の爆撃を受けるのは上陸後だが、空襲のさなかの上陸として緊張感を高める
地雷や鉄条網の障害を果敢に突破
トーチカも目前にして突撃の合図
凄まじい突撃の威力
感情に強く訴える

 「侘美部隊長指揮の下に(略)コタバル敵前上陸は成功した。悪戦苦闘、忠勇義烈なるわが将兵の、敵弾に倒れたその中にも、父が、兄が、弟がいたのだ! 夫もいた、親しい友も、隣組の誰それもいたのだ。
 みんな一命を 大君に捧げて、ただまっしぐらに敵中に突撃したのだ。」

最後に標語
戦時債券を買って英霊にこたえよと呼び掛け

 盛り上げて、そして戦時債券の購入を訴えます。これが最終的な目的です。1944(昭和19)年3月であれば、1944年度の新たな貯蓄目標が示されたころです。膨大になった戦費を経理上で賄うには今でいう赤字国債、戦時国債を国民が買わねばならなかったのです。そして、生産に伴う人件費や配当金をこうした債券で回収しなければ、ハイパーインフレを招くからです。
 しかし、そうした努力も、戦争が長引くほど日本円の価値は落ち、カネがあってもモノがない状況におかれて、この年あたりからは物々交換が盛んになる、つまり着物と食糧の交換などが行われるようになっていくのです。しわ寄せは庶民に重くのしかかります。

 こうした国策紙芝居は、隣組や地域の常会で上演されるなどしました。身近な人の言葉で語られる分、効果は大きかったとされます。しかし、この時期に開戦劈頭の話題を持ってこなければならないところに、緒戦を除いてあとは持久戦から後退に告ぐ後退となった戦局も示しているようにも見えます。戦意高揚につながったか、戦局の絶望感を感じたか。いずれだったでしょうか。ともかく、これからまだ1年半近く、戦争が続くのです。
 戦争に対し反対や疑問を示す勢力を根こそぎにしてきたツケが、こうした後退局面でも攻め続けるという選択しかできなくさせてしまったのでした。戦争が始まるとき、それは前段の戦時体制下で反対勢力を根こそぎにする、いわばブレーキを壊して突入するものです。その前段がいつであるか、そこを見極め、抵抗するすべを磨かねばならないでしょう。


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信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)
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