土偶子

好きな時代=縄文時代。好きな歴史上の人物=小野篁。よく知られた事件や人物より、謎の多い時代や人物に惹かれます。

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マガジン

  • ぶら近所

    近所を歩いて気になった場所、記憶、歴史などなど…

  • 古代チベットが気になるんだ!

    古代チベットには秘密がいっぱい。驚くよ。

  • 大和岩雄遺稿『日神信仰論』

    古代史研究家の大和岩雄さんの遺稿『日神信仰論』を紹介します

  • ささやななえさんの怖い作品

    漫画家ささやななえ(ななえこ)さんのホラー・ミステリー作品を紹介します

  • 立ち寄ってみた

    寄り道してみた場所。道草よりは内容ありです。

最近の記事

捨て子と拾い親━━洋の東西

 日本ではかつて、一人の子供に実の両親(生みの親)や養い親以外にも複数の「親」がいました。取り上げ親、乳付親、名付け親、生まれて最初に他人に抱いてもらい、その人を抱き親と呼ぶなどです。  抱っこされて外出した時に、初めてあった人のことを行き合い親と呼ぶ地域もありました。全く見ず知らずの偶々出会った人でも「親」と呼んだのです。  拾い親という風習は、昭和の頃まであったようです。大藤ゆき氏の『児やらい 産育の民族』(岩崎美術社)に、その例がたくさん載せられているので、その中から

    • 星型の魔除━━洋の東西

       五芒星という図形があります。五つの角のある星です。五芒星が魔よけのしるしというのは今ではよく知られていることですが、以前はオカルトに興味のある人以外には、それほど一般的ではなかったかと思います。  五芒星の魔よけのしるしが一般化したのはやはり荒俣宏さんの『帝都物語』(1985年、昭和60年初版)のヒット以降ではないかと思います。 「みんな壊してやる…」(by 加藤保憲)  五芒星とともに、この作品では平安時代の陰陽師安倍晴明を有名にしました。(今年の大河ドラマにも安倍

      • 箒のまじない━━洋の東西

         みなさん、家で箒をお使いでしょうか。特に室内の掃除は掃除機、不織布のワイパー、粘着シートのコロコロなど便利な道具がいろいろあって、箒の出番は昔ほどはなくなってしまったかもしれません。  実はこの箒には不思議な呪力があるのです。  古代の律令制度の官職に掃部寮というのがあります。「カモンリョウ」と読みます。掃は掃除の掃。掃部でカモンとは不思議な読みですが、元々はカニモリです。漢字で書けば蟹守です。掃部=蟹守……どういうこと?  『古語拾遺』によると、 「天祖彦火尊、海神の

        • 辻の神々━━洋の東西比べ

           前回の「ぶら近所」で、三叉路のお地蔵さんをご紹介しました。  三叉路、十字路など道の交わる辻と呼ばれる場所は、人や家畜が通るだけでなく、精霊や死霊が行き交う場所でもあります。  また、村落の境界もその外側は異界とされ、良いことも悪いモノもそこから入ってくると考えられていました。  そうした場所に道祖神や岐神、地蔵、塞ノ神、馬頭観音、庚申塚などが祀られていることがよくあります。  道祖神は男女の神で、伊弉諾・伊弉冉とも、猿田彦、天鈿女ともいわれますが、縄文時代の陰陽石(石棒

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        記事

          【ぶら近所】江戸むき地蔵と三山百番供養塔

           青梅街道と善福寺公園に向かう道が分岐する場所に、江戸むき地蔵という石地蔵がある。隣には石碑があり、これは三山百番供養塔という。両脇には比較的新しい小さな地蔵が二体ある。(東京都杉並区善福寺4丁目1-1)  昔は地蔵の後ろに割と目立つブリキの看板があったと記憶する。確か江戸むき地蔵ではなく、開運地蔵尊と書かれていた。(コインランドリーは以前は看板屋だったので、看板はそこが作ったのかもしれない)都心方面からバスに乗っていると目に入ってくるので、以前から気になってはいたのだが、

          【ぶら近所】江戸むき地蔵と三山百番供養塔

          大山のぶ代さんの声の思い出

           俳優の大山のぶ代さんが逝去されて、このnoteでも多くの人が追悼文を寄せています。今更ですが、筆者も大山さんのことを思い出しながら書いてみようと思います。  大山さんと言えばやはり「ドラえもん」。26年も声を担当されていたのですから、報道でもこの作品が当たり前のように取り上げられていました。  筆者も大山さんの代表作として異論はありませんが、それ以外にもいろいろあるけれどなぁ、忘れられているのかなと感じました。  思い起こしてみると、最初に大山さんのお声に出会ったのはお

          大山のぶ代さんの声の思い出

          【ぶら近所】ゾウのはな子像

           吉祥寺駅の北口の前、バスロータリーの真ん中に島のような広場がある。緑の植え込みが取り囲み、ベンチも置かれている。その傍らに「ゾウのはな子」の銅像がある。  はな子はかつて都立井の頭恩賜公園に隣接する井の頭自然文化園━━私たちは単に「井の頭動物園」と呼んでいる━━で飼育されていた。  1947年タイで生まれ、1949年に来日。元の名前はカチャーといった。最初は上野動物園で飼育されていた。  はな子という名は戦前上野動物園にいた花子からつけられた。上野の花子は戦時中に餓死さ

          【ぶら近所】ゾウのはな子像

          白内障手術を受けてみた

           「つぶやき」でも書きましたが、白内障の手術を受けました。  最初に白内障とわかったのは去年のこと、「四谷怪談の現場を歩く」を書いている頃でした。お岩さんをネタにしているので「祟りか?」と、ちょっとふざけたことをnoteにも書きました。  ゴミでも入ったのか左目が充血してしまい、痛みはなかったのですが以前から健診などをしてもらっているN眼科に行くことにしました。  そのとき、「なんだか白っぽく見える」と言ったら、N先生「あ、白内障だね」と言われました。  白内障?━━去

          白内障手術を受けてみた

          昨日、白内障の手術を受けました。 いま、術後健診から戻ったところです。まだ、瞳孔を開く目薬のせいで少々まぶしいです。 おちついたら、もう少し詳しく書くつもりです。

          昨日、白内障の手術を受けました。 いま、術後健診から戻ったところです。まだ、瞳孔を開く目薬のせいで少々まぶしいです。 おちついたら、もう少し詳しく書くつもりです。

          【ぶら近所】上田辰之助旧居跡

           吉祥寺駅からまっすぐ北に歩いて、練馬区との境に近づいた場所、住宅街の一角に黒い石碑がある。(東京都武蔵野市吉祥寺東2-16-1)  上部には丸いプレートが二つ、男女の顔のレリーフが並んでいる。その下の碑文はすべて細かい英語の文章がびっしりと刻まれている。  石碑の前にはベンチがあるが、座っている人を見かけたことはない。  この石碑は経済学者上田辰之助を記念したもので、ここは上田邸の跡なのだ。  石碑のレリーフは上田辰之助とその奥さんのアヤノ夫人である。  石碑の後ろに

          【ぶら近所】上田辰之助旧居跡

          【ぶら近所】内田秀五郎翁像

           都立善福寺公園(杉並区善福寺3-21-25)は幼いころから(もしかしたら赤ん坊の時から)よく遊びに行き、今でも散歩に行く場所だ。善福寺池は上の池と下の池の二つの池があり、そこから善福寺川が流れ出ている。  上の池の片隅の、池淵の遊歩道からそれた、少し地面が高くなった一角に、一つの銅像が立っている。遊歩道からも見えることは見えるが、階段を上がってわざわざ像を見に行く人は少ないようだ。  小さいころ友達と銅像を見上げて、これは誰だ?となった。私は銅像は偉い人だろうから、総理

          【ぶら近所】内田秀五郎翁像

          友人の個展に行く

           高校時代の友人が吉祥寺で個展をひらくというので、別の友人を誘って見に行ってきました。  彼女は女子美の短大のグラフィックデザイン教室を出て、卒業後はデザイン会社に就職しましたが、結婚後は仕事を辞めて家事、育児に専念していました。  家庭で主婦をしている間も、趣味でトールペインティングなどをしていたこともあったのですが、いつの間に絵を描くように?  聞くと、二年ほど前、ネットで木村創作室と出会って、コラージュなどの作品を作り始めたということでした。  作品はインドのラジ

          友人の個展に行く

          【ぶら近所】千川上水施餓鬼亡霊供養塔

           千川上水は西東京市の境橋のところで玉川上水から分水している。元禄九年[1696]将軍立ち寄り先の小石川御殿、湯島聖堂、東叡山、浅草寺などの給水を主な目的として作られた。設計は河村瑞軒。仙川村の徳兵衛、太兵衛が工事を請け負い、その功績により千川の苗字と帯刀を許された。  上水はその後、農業用水としても利用を許された。  昭和四十六年[1971]大蔵省印刷局王子工場が取水をやめたのを最後に、上水の役割はその使命を終えた。  平成元年[1989]東京都の清流復活事業により、千川上

          【ぶら近所】千川上水施餓鬼亡霊供養塔

          【ぶら近所】アイメイト発祥地

           今年は異常な暑さ。7月、8月は買い物など必要以外ほぼ引きこもり。9月に入っても、まだ暑い日が続いている。もう、猛暑日は結構です。  なので、近所ネタで…。  近所にアイメイト発祥の地を示す説明板がある。(東京都練馬区関町南2丁目)吉祥寺通りに並行する裏道の住宅街。アパートの前の道路に面した場所。気を付けなければ見過ごしてしまうような簡素な説明板。  アイメイト協会は昔は東京盲導犬協会といっていた。盲導犬を育成する公益財団法人だ。協会では盲導犬とは言わず、アイメイトと呼ん

          【ぶら近所】アイメイト発祥地

          ちょこっと断捨離 其十六

          ちょこっと断捨離 其十六

          古代チベットが黄河文明を開いた?(3)

           夏王朝を開いたという伝説の帝禹は西羌(西のチベット族)出身だった。禹の先祖に黄帝がいる。黄帝は伝説上の五帝の一人とされ、氏は軒轅で姓は姫。蚩尤との戦いに勝ち、神農氏から帝位を授かった。  黄帝の出身は河南省とされているが、黄帝ゆかりの軒轅の丘(臺)は崑崙山の近くにある。崑崙山はチベットのカイラス山のことだ。  『山海経』第七 海外西経によれば、「軒轅の国は窮山の際ににあり、そこでは長寿でないものでも八百歳。女子国の北にあり、人面蛇身で尾が首の上でとぐろを巻く。窮山がその北

          古代チベットが黄河文明を開いた?(3)