見出し画像

日中戦争が始まった1937(昭和12)年の11月ごろ、各地にこんな年賀はがき印刷見本が届いていました

 この記事を書いている2024年11月2日の新聞朝刊には、11月1日から年賀状の販売が始まって地元高校生のパフォーマンスなどがあったと伝えていました。さて、日中戦争が1937年7月7日の盧溝橋事件を機に始まり、迎えたちょうどいまごろのことでしょう、「印刷と帳簿」を取り扱っていた幡山久次郎商店から、年賀はがきの注文案内が各地に届けられていました。

 22種類ある年賀状見本のうち、軍事関連とみられるものは10種類と、半分近くを占めました。国民精神総動員や武運長久などの言葉が並びます。ちょうどこの時期、長野県松本市で編成された歩兵第150連隊は杭州湾に上陸、蒋介石軍の背後を突く形となり、苦戦の続いた上海の戦局を有利に導いていました。そんな勝ち戦の雰囲気にも乗りたいし、身内が多数出征しているだろうとの読みは、時宜に適したものだったでしょう。12月10日を締め切りとしていた、この年賀はがき見本から、そんな当時の雰囲気が伝わるものを選んで紹介させていただきます。年賀状の参考に…は、なりませんが。

国民精神総動員。赤い縁で目立たせます
日章旗のデザインに「非常時局重大の折柄」と。
あいさつ文は普通ですが、鉄兜と日章旗が戦時を意識させます
伊勢神宮(鰹木から外宮)と「事変の第一年を迎え」

 本来でしたら内宮を描くところでしょうが、あまりよく見ないで描いたのでしょう。内宮の鰹木は偶数なので、このお宮は外宮と分かります。
 ちなみに、伊勢神宮ではおみくじを売っていません。ホームページの説明によりますと、一生一度と言われるほどの伊勢参りなので、伊勢神宮に来ること自体が大吉であるからだということです。また、はやりのパワースポットがいくつか紹介されることがありますが、実際はそうしたものはなく、無理に言うなら神宮の全域ということになるとのことです。

日の出に日本の地図を重ね国民精神総動員。仕掛けていって平和っていわれてもなあ…
シンプルに国民精神総動員
皇軍戦勝の新春を賀す、と漢文で
出征将士のいる家庭向けです

 以上、8種類(2種類はレタリング違いがある)を見て思うのは、まだまだ戦争を遠く感じているなあということです。国民精神総動員という言葉が目立つのも、国内の生活は精神的なことで済んでいる証拠でしょう。実際、物資が不足し始めるのは1939年ごろからです。そして、こうして年賀状を扱うのも、戦時下の物資や労力の節約を理由に年賀郵便の特別取扱は1940年のものは「当分の間」中止とされます。そして太平洋戦争突入後は、逓信省が年賀状自粛のポスターを掲げるに至ります。

 中国との戦争をしながら、年賀状には漢文や中国の伝説なども含んでいるという、中途半端さも、戦争をまだまだ遠いことと感じていたと思えます。

蓬莱伝説と漢文の祝い文

 まあ、伊勢神宮絡みではありますが、二見の夫婦岩あたりで締めたいと思います。年賀状も減少の一途ではありますが、肉親や知人の安否を気遣うことは、何らかの形で続いていくでしょう。それができるのも、戦争にすべてを駆り出されることがない証拠。年賀状すら使うことができなくなるほど国力を戦のために注ぎ込むようなことは、二度と起こさぬようにしたいです。

二見の夫婦岩

ここまで記事を読んでいただき、感謝します。責任を持って、正しい情報の提供を続けていきます。あなた様からサポートをしていただけますと、さらにこの発信を充実し、出版なども継続できます。よろしくお願いいたします。